生まれつき短く、曲がらない指でピアノを弾く。「流れ星のようなきらきらした音を届けたい」【アペール症候群体験談】
中学1年生の村山陽香(はるか)さんは、指定難病のアペール症候群を抱えたピアニストです。生まれたときは、手足の指はすべてくっつき、頭蓋骨が変形した状態でした。手術後も陽香さんは指が短くて曲がらないハンデを抱えていますが、4歳でピアノを始め、独自の演奏方法で数々のコンクールで入賞しています。陽香さんがどのようにハンデを克服しているのか、学校生活での工夫など、陽香さん本人と母親の尚子さんに聞きました。全2回の後編です。
ピアノとの出合いは4歳。幼稚園で演奏した鍵盤ハーモニカが楽しくて!
――陽香さんがピアノを弾いたきっかけは何でしたか?
村山陽香さん(以下敬称略、陽香) 鍵盤を初めて触ったのは、幼稚園の年中のとき。幼稚園で鍵盤ハーモニカを弾いたのが楽しくて! 自宅にお母さんのピアノがあったので、お母さんと一緒にアンパンマンの曲を弾いてみたというのが、ピアノとの出合いでした。
実は、そのときのことを私はあまり憶えていないんですが、私が楽しそうだったので、ピアノ教室に通うことになったようです。
――指にハンデがある陽香さんを指導できる先生は多くないと思います。どのようにしてピアノ教室を探したんでしょうか?
陽香 近所に住むダウン症候群のお友だちが、障害がある子の指導が得意な先生のもとに通っていたんです。OttO響育社Music Lifeの花崎望先生です。
ドからソまでしか指が届かなくても、独自の演奏方法でコンクール曲も演奏できるように
――花崎先生は、どのような指導をしてくれるのですか?
陽香 花崎先生は、私のハンデをカバーする演奏方法を指導してくれます。私は、指がくっついた状態で生まれ、指を切り離す手術をしたあとも指が短くて曲がらないため、指を全開に広げてもピアノはドからソの5度しか届きません。そのため、私には指が届かなくて弾けない和音がたくさんあるんですが、花崎先生は、私の指で届かない和音を、両手を使って弾く方法をレッスンしてくれるんです。この独自の演奏方法でハンデをカバーでき、コンクール曲も弾くことができます。
――陽香さんはピアノコンクールの全国大会で金賞や芸術賞など、数々の賞を受賞しています。コンクールに挑戦するようになったのはいつからですか?
陽香 ピアノを始めて1年経った年長さんのときです。「TOSU PIANO STEPパラリンコース」という障害者が出場するコンクールに挑戦しました。このとき、金メダルをもらったのがうれしくて、また挑戦したいと思いました。それ以来、毎年、年によっては1年に複数のコンクールに出場しています。
――いちばん思い出深いコンクールは?
陽香 小学校3年生で出場したヴェルデ音楽コンクールです。健常者も出場する全国コンクールで、3・4年生の部の2位にあたる銀賞を受賞しました。
受賞後、花崎先生の提案でバイオリンやチェロも交えたコンサートを開催しました。その後も、毎年コンサートを開催してくれて、小6のときは、小学校最後の集大成に2時間のソロコンサートを行いました。
――ピアノを始めたあとも、年中と小学校5年生のときに右手の指のトゲをとる手術をしています。そのときはピアノの練習はどうしていたんですか?
陽香 右手はお休みしましたが、左手は使えるので、ずっと左手の練習を続けていました。
コンクールやコンサートの前は、1日8時間練習するときもあります。小6のソロコンサートの前は、練習しすぎてつめのまわりがはれてしまい、ばんそうこうを貼って練習を続けましたが、それでも痛くなって中断しました。
小学校は地元の通常級へ。福祉サービスを利用して体育も参加
――学校生活について教えてください。小学校は地元の小学校の通常級に通っています。健常児のお友だちと同じ授業を受けるために、工夫したことがあれば教えてください。
陽香 まず、えんぴつについて、私は指が曲がらなくて一般的な持ち方はできませんが、薬指も使ってはさめば持つことができます。ほかの学用品も、たとえばコンパスは、プラスチック粘土で私が持ちやすい形の持ち手を工作して取り付けて使っています。
体育は、訪問支援という、支援員さんが学校に来てサポートしてくれる福祉サービスを利用していました。鉄棒の授業だったら、支援員さんが私の体を手で支えながらぐるんと回らせてもらうといった具合です。
また、私はえんぴつを床に落とすと、ひざや肩が痛くて拾うのが難しく、友だちに頼んで拾ってもらっていました。掃除の時間は、専任のほうき係です。私は握力が弱くてぞうきんを絞れませんが、ほうきなら持って掃除ができるからです。
こういった支援や工夫、お友だちの理解もあって、健常児と同じ授業を受けることができました。
――今春から中学生になりました。
陽香 中学は、学区外の、エレベーターがある公立校に入学しました。学区内の中学に進まなかった理由は、私のひざの痛みが悪化して階段の上り下りが難しくなったからです。実は、小4から私のひざは常に脱臼している状態になっていて、治療用装具が必要なんです。装具を付けても階段の上り下りが難しく、小学校の最後のころは登校ができなくなっていたんです。中学校生活は、体への負担を軽減し、落ち着いて学習できる環境を最優先したかったので、市と相談して、学区外のエレベーターがある中学校に進学することにしました。
――中学校生活で困っていることはありますか?
陽香 ほとんどありません。私は現在、特別支援級(肢体不自由)に所属していて、介助員の先生方が教室の移動もサポートしてくれます。先日の運動会も介助員の先生にサポートしてもらいながら、参加することができました。安心した学校生活を送ることができて、今の環境に感謝しています。
ただ、幼稚園、小学校のお友だちと離れてしまって、寂しく感じることもあります。早く新しい友だちと仲よくなりたいなと思っています。
夢はピアノを弾くパン屋さん。アペール症の子どもたちもかめる、やわらかいパンを作りたい

――新しい学校生活や、ピアノの練習など、ますます忙しそうな陽香さんですが、お母さんから見ると…?
村山尚子さん(以下敬称略、尚子) とにかく真面目で、コツコツ継続する力をもった子に育っています。自分で目標を決めたら、自ら計画を立てて一生懸命頑張る姿は、私には真似ができないレベル。わが子ながらすごいなと思います。
一方で、隠し事が苦手な、お茶目な一面があるんです。たとえば、家族の誕生日には、陽香はサプライズでイラストや手紙をプレゼントしようとしてくれるんですが、いつも準備段階でバレてるんです(笑)。先日も、4歳年下の弟の誕生日のために飾りつけをコソコソやっていたんですが、バレバレでした!
――最後に、陽香さんの将来の夢を教えてください。
陽香 夢はパン屋さんです。大好きなパン屋さんがあって、お店の内装は、そのお店みたいにオーストリア風のおしゃれな感じがいいなと考えています。でも、パンはオーストリアで主流のハード系ではなく、やわらかいパンにしたいです。
――なぜやわらかいパンにしたいんですか?
陽香 同じアペール症候群のお友だちもかめるパンを作ってあげたいからです。アペール症候群は、かみ合わせに問題がある人も多くて、私のアペール症候群のお友だちにも、かたいものがかめない子がいます。同じ障害があるお友だちも、お年寄りも小さい子も、みんなが食べられるパン屋さんにしたいんです。
――では、夢はピアノを弾くパン屋さんですね。
陽香 はい。パンもピアノも好きなので、パン屋さんをやりながら、演奏活動を続けられるといいなと思っています。私の演奏を通して、アペール症のことをたくさんの人に知ってほしいし、手が不自由でも美しい音を弾けることを伝えたい。私にしか出せない、流れ星のようなきらきらした音を届けたいです。
お話・写真提供/村山陽香さん・尚子さん 取材・文/大部陽子、たまひよONLINE編集部
アペール症候群による、短くて、曲がらない指は、ピアニストにはこれ以上ないくらい大きなハンデに思えます。でも、これまで語りつくせない努力や苦労もあったはずなのに、それを微塵も感じさせない陽香さん。家族思いで友だち思いの陽香さんの、美しく、力強いきらきらの音色が、もっともっとたくさんの人に届きますように。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
村山陽香さん・尚子さん(むらやまはるか・なおこ)
PROFILE
村山陽香さんは尚子さんの第1子として、2012年に誕生。生後まもなく指定難病のアペール症候群と診断。4歳でピアノを始め、全国大会でも入賞する、注目のピアニスト。
参考
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年6月の情報で、現在と異なる場合があります。