大相撲力士と結婚し、女の子の母になった元タカラジェンヌ・天咲千華。34歳のときに「卵子凍結」。体外受精をへて2度目の移植で出産
現在1児の母でヨガインストラクターの天咲千華さん。宝塚を2011年に退団したのち、2022年に木瀬部屋所属の大相撲力士、志摩ノ海関と結婚しました。結婚後すぐに妊娠しましたが、独身時代に採卵した卵子も使っての妊娠だったそうです。2023年に東京都が助成を始めたこともあり、注目をされている卵子凍結ですが、天咲さんが経験したのは今から4年前。「卵子凍結」からの妊娠を天咲さんに詳しく聞きました。全3回インタビューの3回目です。
夫、志摩ノ海関との出会い

――天咲さんは父である先代・井筒親方(元関脇逆鉾)とはどんな家族でしたか?
天咲さん(以下敬称略) 父が現役時代は巡業が始まると地方に行ってしまいます。そして私も16歳で親元を離れているので、一般的な父娘よりも思い出が少ないように感じています。父は2019年、58歳ですい臓がんで他界しましたが、病院嫌いだったので、病気がわかったときはすい臓がんのステージⅣで、それからはあっという間でした。医師には余命半年くらいと言われていたのが、病名の宣告を受けて2週間で亡くなってしまったんです。考えてもいなかった早い別れでした。私は32歳でした。
父の生前、もっとたくさん話したり、写真を撮ったりしておけばよかったなと今は少し後悔しています。
――志摩ノ海関との出会いについて聞かせてください。スピード婚約だったと聞いています。
天咲 夫とは、父が生前、仲よくしていただいていた親方からの紹介です。とくに力士と結婚したいという気持ちがあったわけではないですが、お会いしてお話ししていくうちに夫の人柄にひかれていきました。まわりからは「スピード婚だね」と言われますが、自分の直感と亡き父がつないでくれたご縁だと思っています。
――披露宴は、お父さまのお誕生日だそう。
天咲 夫が「お父さんがつないでくれた縁なので」と、父の誕生日の前日に入籍し、誕生日に結婚式と披露宴をすることを提案してくれました。
夫は私にはない部分を持ち合せた人です。私はどちらかというと物事の判断が早く、テキパキと動くタイプですが、夫はおだやかで、そして繊細でていねいです。おたがいにない部分を補えるのでいいチームになれていると思います。
――志摩ノ海関は現役の力士なので、巡業が始まると地方に行ってしまいますね。
天咲 今1歳9カ月の娘は、私の子どものころとまったく同じ環境です。私自身の後悔もあるので、娘と夫との時間は意識して作り、写真や動画をたくさん撮影して夫が不在のときも寂しくならないようにしています。
――志摩ノ海関の健康管理は、どのようにされていますか?
天咲 父のこともあるので、娘には同じ思いをしてほしくなくて、夫にはすごく長生きしてほしいと思っています。夫は私よりも健康オタクなので結婚前から自分自身で健康管理をしています。食事に関しては薄味を徹底しています。調理法もシンプルを好みます。自分に合うサプリを調べたり、本を読んで勉強したり、健康に関してはひと一倍気をつけているんです。私が心配する必要はあまりなく、夫のリクエストに合わせて食事を準備している感じです。
独身時代に、卵子凍結のために卵を採卵
――結婚翌年の2023年11月に娘さんが誕生しています。結婚後すぐに子どもがほしいという思いがあったのでしょうか?
天咲 私は子どもがほしいという夢をずっともっていました。摂食障害から立ち直れたのも、「生理がこない」ことに驚いてあせって、行動をした、ということもあります。なので、パートナーはいなくて、夫に出会う前の34歳のときに採卵をして「卵子凍結」をしていました。
――なぜ34歳のタイミングで卵子凍結を考えたのでしょうか?
天咲 過去に無理なダイエットをしていたこと、生理が止まっていた期間があること、そしてその時の自分の年齢を考えて妊娠に対して漠然とした不安がありました。そこで自分なりに調べ、「卵子凍結」という方法があるとわかりました。知り合いの方の紹介で卵子凍結を行っている病院に出会うことができました。
――実際に結婚後、妊娠までの経緯を教えてください。
天咲 ずっと子どもがほしかった私は、結婚後、夫にすぐ相談をしました。先にもお話をしたように、私は結構決断が早く、すぐに動きたいタイプです。せっかちともいえるかもしれません。自然妊娠ということよりも、凍結していた卵子を使っての妊娠を考えました。
クリニックとも相談して、新たに卵子を取り、卵子凍結していた7つの卵子ともに受精をさせることにしました。
新たな卵子は7個採卵でき、融解した凍結卵子7個と共に、計14個を受精させました。
その結果、計3個の受精卵ができ、その受精卵を再度凍結させたんです。
――受精卵をすぐに子宮に戻さなかったのはどうしてでしょうか?
天咲 新たに卵子を採っていたので、採卵直後の子宮を休ませる必要がありました。よって、受精卵3つを凍結して子宮の回復を待ちました。
1カ月後に受精卵の1つを融解し移植しました。残念ながらその受精卵では妊娠にいたらず、もう1度、2つ目の受精卵を子宮に戻しました。その2つ目の受精卵が妊娠にいたり、娘を授かることができました。
――少し若い年齢のときの卵子が受精しやすいということでもないのでしょうか?
天咲 私の場合、卵子凍結していた卵子7つ、新たに採卵した7つの受精を試みましたが、受精卵になったのは、卵子凍結していたもの1つ、新たに採卵したもの2つの計3つでした。当時の先生からは卵子凍結した卵を融解した場合の成功率は低く、妊娠に至ったケースも少ないと言われていました。
私が最初に戻した受精卵は、新たに採卵した中の2つのうちの1つで、そちらでは妊娠せず、次に卵子凍結してから受精卵になったものを戻して妊娠しました。娘は卵のときと受精卵のときと2回凍ったことになります。
私は娘を妊娠することができたのでやってよかったと思っていますが、身体や精神面、金銭面の負担を考えると、簡単におすすめすることはできないな、と感じています。これは非常に難しい問題ですが、今後、医療がさらに発展し、卵子凍結の技術も高まり、赤ちゃんを望んでる方が1人でも救われることを願ってやみません。
赤ちゃん誕生に感謝。でもすぐにワンオペ育児がスタート
――妊娠期間中の体調はいかがでしたか?
天咲 つわりがひどく妊娠してから体重が6キロ減ってしまい、拒食症で苦しんでいたときの体重に迫る勢いでした。妊娠中期からはおさまりましたが、なんとなく体調は改善せず、マタニティフォトを撮ったり、旅行に行ったりという気持ちにはなれず、ずっと横になっていました。
――その間、夫の志摩ノ海関はどんな様子でしたか?
天咲 本当に優しい人なので私がつわりでひどいときに「すいかなら食べられるかも」と言うと、夜でも開いているスーパーを探して走りまわって買ってきてくれました。
――出産はいかがでしたか?
天咲 娘は、私が生まれた総合病院で出産をしました。自然分娩だったのですが、おなかの中の娘はなかなか下りてきてくれず、娘の呼吸状態が悪くなってしまいました。ブザーが鳴り、先生や助産師さんが集まってきてくれて、これ以上呼吸状態が悪くなってきたら緊急帝王切開に、というギリギリのところでした。結果36時間ほどかかりましたが、そのおかげで九州場所前の夫が急きょ戻ることができたので、出産に立ち会うことができました。
――娘さんが誕生したときのお気持ちを聞かせてください。
天咲 私が誕生したときは4500gあって、母子健康手帳にも「巨大児」って書かれていたと母に聞いたことがありますが、娘は3500g。大きいほうですよね。無事に産まれてきてくれたことへの感謝の気持ちが大きかったです。でも、幸せに浸る間もなく、夫はすぐに九州に戻ってしまったので、新生児期のお世話はワンオペでした。
娘の人生が「笑う門には福来る」でありますように!
――0歳代の娘さんの成長の様子で、印象的なエピソードを教えてください。
天咲 娘が突然、顔をくしゅっとした笑い方をするようになり、どうしてこんな笑い方をするようになったんだろうと思っていました。ある日、私が娘をあやしている姿を夫が動画を撮ってくれていたんですが、まさに私がその表情で娘をあやしていることに気づき自分でもびっくりしました。
――娘さんと志摩ノ海関の関係性はいかがですか?
天咲 娘はパパが大好きなので今はべったりです。朝起きたらすぐにパパのところにかけつけてずっとくっついています。両国の街を歩いているとよくお相撲さんのイラストやポスターを目にしますが、それを見ては「ダダ(パパ)」と指をさして喜んでいます。
――現役力士の夫さん、1歳の娘さん、ヨガインストラクターの天咲さんとそれぞれ体つくりが大切な時期ですが、家族の食事はどんなことを意識していますか?
天咲 巡業以外の日の夜ごはんは、家族で食卓を囲むことを意識しています。以前は、メイン料理以外の副菜の献立に悩んでいたのですが、最近は「せいろ」を使っています。1段目は野菜、2段目は肉や魚などのたんぱく質を蒸します。一度の調理でたっぷりの食材をとれます。準備や片づけも楽なので、今はせいろを使った蒸し料理にハマっています。
――娘さんにはどんな子どもに育ってほしいと考えていますか?
天咲 娘の将来は娘が決めるべきなので親の私たちがこうしてほしいという思いはないです。娘は普段から本当によく笑う子なのでこれからの人生、ピンチも笑いに変えることを持ち味にし、「笑う門には福来る」という言葉どおり、笑顔の絶えない人生になることを願っています。
お話・写真提供/天咲千華さん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部
「たまひよ」読者のために卵子凍結についてこまかく話してくれた天咲さん。天咲さんが調べたころには、卵子凍結後の凍結した卵子での妊娠・出産の経験の情報は少なかったそうです。夫さんに出会う前に「卵子凍結」をしていたこと、そして無事に娘さんを出産された経験は、貴重なお話しでした。
天咲千華さん(あまさきちはな)
PROFILE
1987年生まれ、東京都出身。2006年宝塚歌劇団に92期生として入団する。入団したその年に『NEVER SAY GOODBYE 』で初舞台を踏む。2011年に退団した後は、ヨガインストラクターとした活動を開始。2021年には志摩ノ海関と結婚し、現在は1児の母。プロデュースした商品には柔ら美人シリーズ『開脚ベター』『股関節ショーツ』があり、シリーズ累計4万個売り上げ。著書に『タカラジェンヌの身体になりたい(祥伝社)』がある。
●記事の内容は2025年7月の情報で、現在と異なる場合があります。