難病をもつプロバスケットボール選手・原修太。妻の出産は予期せぬトラブルで緊急事態に…「正直、出産をちょっと甘く見ていたなと思います」
男子プロバスケットボールBリーグ「千葉ジェッツ」の原 修太選手。昨年度はBリーグベストディフェンダー賞にも輝くなど大活躍の原選手ですが、私生活ではモデル・俳優として活動する團 遥香さんとの間に女の子が誕生し、パパになりました。また、2018年に指定難病「潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)」と診断された過去があり、現在も長期療養児支援などを行う社会貢献活動「ハラの輪」を主催しています。そんな原選手に、お子さんが誕生したときのこと、パパになって思うこと、「ハラの輪」の活動のことなどを聞きました。全2回インタビューの前編です。
妻の妊娠は順調。だからこそ思ってもみなかった予期せぬ出産トラブル
2024年、妻の團 遥香さんとの間に女の子が誕生して、パパになった原選手。しかし、その出産は壮絶なものでした。実は、妻の遥香さんに、産後予期しないトラブルが起こったのだそうです。
「その日、僕は午前中に練習があったので、妻を病院に送り届けてから練習に参加したあと、また病院に戻って、陣痛に付き添いました。付き添ったのはだいたい3時間くらいだったでしょうか。
ただ、出産でいきむところを見られたくないという妻の希望があったので、そろそろ生まれるぞというときには、僕は分娩(ぶんべん)室ではなく、待合室で待っていたんです。
そしたら、待ち始めて本当にすぐ、赤ちゃんの泣き声が聞こえて。生まれたのかなと思ったんですが、そこからしばらく僕は呼ばれなくて。ほかの方のお子さんが生まれたのかなとすら思いました。
しばらくして医師が来てくれて『奥さん、出産時の血がちょっと止まりづらいから、今、処置をしています』という話があったんですが、そこから1時間ぐらいたってもそれ以上の状況がわからず、妻にも子どもにも会えなかったんですよね。
その後、赤ちゃんだけ先に連れて来てくださって、少し抱っこさせてもらいました。赤ちゃんは元気だということで、少しホッとできたのですが、妻は血が止まりにくいということだけで様子がわからず、そのときは、赤ちゃんのかわいい様子よりも、とにかく心配のほうが大きかったです。
それから妻だけ救急車で大きな病院に運ばれることになって、一瞬だけ彼女に会えたんですが、顔色が本当に真っ白で、人形みたいに血の気がなくて、僕も初めて見るような姿でした。本人も怖いって言っていましたね。
だから、出産後は本当に何もよくわからないまま時間だけが過ぎて、赤ちゃんを囲んで一緒に『よかったね』と言い合えるような時間はなかったんです。その後、妻は大きい病院で処置をしてもらって状態が回復し、2人でゆっくり赤ちゃんを見られたのは、出産から2日目の夜でした。
妻の状態が落ち着いて、赤ちゃんを抱っこしたときは心底『かわいい』と思いましたし、彼女のこともあったので、余計にその瞬間が幸せに感じて、ようやくホッとできたという感じでした」(原選手)
その後、妻の遥香さんに産後起きていたのは「羊水塞栓症(ようすいそくせんしょう)」だったことが判明。これは、羊水が母体の血中へ流入することで、肺の血管を塞栓したり、アレルギー反応を起こしたりして、肺高血圧症や急性肺性心、左心不全などを発症し、短時間で命の危機に近づく疾患です。
「羊水塞栓症だったと聞いたあと、調べてみたら亡くなることも少なくない合併症だったと知って、『えっ!』と驚きました。当時は、妻の状態がそこまでひどいものだったとは知らされていなかったので…。多分、医師は僕を心配させすぎないように配慮してくれたんだと思います。
妊娠中の妻に大きなトラブルはなくて、本当に順調だったので、出産時のトラブルは本当にまったく予期していませんでした。『出産は命がけ』という言葉はよく聞きますが、それまで順調だったのもあって、正直、僕はちょっと甘く見ていたなと思います。今回のことで、命を産むということは本当に体を張ることで、ものすごく大変なことなんだということを実感しました。
妻も本当に死にそうになりながら、元気な赤ちゃんを産んでくれて、僕もですけど、赤ちゃんのためにも、こうやって生きて帰ってきてくれたっていうのは本当に感謝していますし、3人でいられることの幸せを感じます」(原選手)
ようやく始まった3人での生活。原パパのお世話っぷりは?
出産後のトラブルにより、妻・遥香さんは3週間ほど入院。その3週間、原選手は面会時間に合わせて、試合会場と病院を行き来しながら過ごしたそうです。そして、出産から約3週間後、ようやく家族3人での生活が始まりました。
「妻と赤ちゃんが退院してきたとき、ちょうど僕はオフシーズンに入ったタイミングだったんです。だから、赤ちゃんのお世話も妻と一緒にすることができました。
ただ、あんな小さな赤ちゃんと触れ合うのは初めてなことでしたし、命を育てることも初めての経験だったので、本当にビクビクしながら、おふろに入れたりしてました。
でも、妻の入院中、彼女は検査で不在にしている時間も多かったので、僕が行ける時間には病院に行って、助産師さんにマンツーマンで、沐浴(もくよく)のしかたや洗い方を詳しく教えてもらっていたんですよ。だから、普通なら4~5日で退院してやらなくちゃいけないところを、2週間くらいみっちり病院で学べる時間があったので、沐浴もおむつ替えも、ほかの人よりは少し慣れた状態で家に帰ることができたんです。だから、最初のころは、妻よりも僕がお世話することが多かったかなと思います。
そのおかげで、最初のころは苦手なお世話もとくになかったんですけど、最近は、電動鼻水吸い器で鼻水を吸うのが苦手になりました。子どもがすごく嫌がるんで、なんだか申し訳なくなっちゃって(笑)。動かないように腕をおさえたりとかすると『骨折しちゃったらどうしよう』みたいな不安もあって、そこは妻にまかせちゃっています。
今でも、自宅にいるときは、僕が基本的におふろに入れているんですが、本当に楽しそうにしてくれるんで、僕も一緒に入っていて楽しいです。ただ、女の子なので、僕と一緒に入ってくれなくなる日まで、意外とあっという間なのかなとも思っていて。
一応、今のところは『パパとおふろに入るのは嫌だ』と娘に言われる前に、自分から退こうかなと思っています(笑)。ただ、その日が来たときに、ちゃんと決断ができるのかちょっと不安ですけどね。だからこそ今は、一緒におふろに入れる幸せをかみしめたいです」(原選手)
大変な出産を経て生まれた赤ちゃんも、もう1歳に。原選手ご自身や妻・遥香さんに似ていると感じていることを聞いてみました。
「外見で言うと、生まれたばかりのころはすごく色黒で、顔も完全に僕だったんです。娘に会った人がみんな口をそろえて『原じゃん!』っていうくらい似てたんですよ。でも、最近は変わってきて、肌も色白になって、目の感じとかも、なんか僕似じゃないなと思うようになってきました。妻と僕で半々くらい似てるかなと思います。まあ、でも女の子なんで、できれば僕に似ないではほしいかな(笑)。ちょっと、ワンポイントだけ似ててくれたら、それだけでうれしいですね。
性格は、食べたいものが結構はっきりしていて、食い意地がすごいとこは僕に似てるかな。もちろん赤ちゃんだから泣くことはたくさんありますけど、基本ニコニコしてたり、音楽がかかったらノリノリになったりするところは妻に似たんじゃないかなと思います。
2人を見てると、やっぱり似てるんですよね。家で過ごしているときにふと『あ、なんか似てるのが2人いるな~』って思いながら見てます。でも自分に似ているところを見つけると、それもかわいく思えるんですよね。なんだか不思議な感覚です」(原選手)
そう話す様子だけで、お子さんがかわいくてしかたないという様子が伝わってくる原選手。まだお子さんは1歳ですが、ご自身が力を注いできたバスケットボールの楽しさを、娘さんにも知ってほしいという思いもあるそうです。
「家にはバスケットボールが結構あるんで、今もボールをコロコロして遊ばせることもあります。でも、まだ赤ちゃん用のおもちゃのほうが楽しいみたいですけど(笑)。
バスケットボールはやっぱりやってほしいですね。プロをめざさなくていいんですけど、まずはバスケを好きになってほしい。僕の試合を見に行くのを楽しみにしてくれたらいいなとか、僕がNBA(アメリカの男子バスケットボールのプロリーグ)を見るのが好きなので、娘と一緒に見られたらいいなとかは思います。
バスケはチーム競技なので、仲間と一緒に頑張る楽しさだったり、1人だけでは勝てないからみんなと協力し合うことだったり、そういうことを学べる環境なので、やらせたいなとは思いますね。けんかをしながら本心を伝えあってその中でどう価値を見い出すか、仲間でありながらライバルであるっていう難しい環境をどう生き抜くか…。僕もバスケットで学んだことは多いですからね。
本当に嫌いでやりたくないって言われたら、しかたないですけど、小学生ぐらいまでは、趣味程度でいいから、バスケットをやってもらえたらうれしいですね。でも、何より娘には楽しく生きてくれればいいなというのがいちばんです」(原選手)
お話・写真提供/原 修太選手 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
予想もしていなかった妻の出産時のトラブルで「出産は命がけ」ということを身にしみて感じたという原選手。死亡することも少なくない疾患を経て、今、家族で暮らせることの尊さを感じられたそうです。シーズン中は遠征などで不在も多いそうですが、わが子のお世話も率先してやっていらっしゃるそう。「疲れてるときや眠いとき以外はのんびりしている子で、割と楽。こんなこと言ったら妻に怒られるかな(笑)」という言葉で、楽しそうな家庭の様子がよくわかりました。後半は、お子さんが生まれて変化したことやご自身の病気がきっかけで始めた「ハラの輪」についてのことなどを聞きます。
原 修太(はら しゅうた)
PROFILE
プロバスケットボールプレイヤー。1993年、千葉県船橋市に生まれる。小学校3年生からバスケットボールを始め、国士舘大学卒業後、2016年千葉ジェッツに加入。加入2年目にジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ、通称「Bリーグ」が発足し、最前線で活躍するも、2018年に指定難病の潰瘍性大腸炎を発症。闘病をしながらプレーを続ける。現在、病は完解という症状が出ていない状態が続いており、2023年FIBAワールドカップでは日本代表メンバーにも選出された。2022-2023シーズンにはBリーグシーズンベスト5、2022-2023シーズンと2024-2025シーズンにはBリーグベストディフェンダー賞を受賞。妻はモデル・俳優の團 遥香さん。
参考/
日本産婦人科・新生児血液学会「羊水塞栓症」
浜松医科大学 産婦人科学講座「羊水塞栓症登録事業」
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年7月現在のものです。