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原因不明の3つの病気を抱える、タレント・塚本明里。「介護してほしくて子どもを産んだんじゃない。幸せになってほしくて産んだのです」

更新

出産後まもない明里さんと、希来里ちゃん。

▼<関連記事>前編を読む

岐阜県でローカルタレントとして活躍する塚本明里さん。高校生のときに、非常に重い倦怠(けんたい)感や不調が続く「筋痛性脳脊髄炎(きんつうせいのうせきずいえん)」、24時間全身に痛みが走る「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」、頭を起こしていると髄液がもれ出て頭痛やめまいなどが現れる「脳脊髄液減少症(のうせきずいえきげんしょうしょう)」という3つの病気を発症しました。病気とともに生きてきた明里さんは、2023年秋に結婚、2025年3月に第1子の女の子を出産しました。産後の子育てのことや、病気について知ってほしいことについて、明里さんに話を聞きました。全2回のインタビューの後編です。

ずっと会いたかった赤ちゃん。「やっと会えたね」

家族でお食い初めのお祝いをしました。

――娘さんが生まれ、初めて会ったときはどんなことを感じましたか?

明里さん(以下敬称略) 妊娠中に胎動を感じるたびに「どんな子かなあ、早く会いたいなあ」と思っていました。私に病気があるために全身麻酔の帝王切開で出産したのですが、生まれたわが子を見て「こんなかわいい子がおなかにいたんだ〜、やっと会えたね!」とうれしくてたまらない気持ちでした。

3つの病気があって自分の人生を生きることがやっとだった私ですが、これからは守らなきゃいけない存在ができたということ。自分がしんどいときでも、何より大切なわが子のことを優先にしたいという気持ちになりました。

――夫の琢也さんはいつ赤ちゃんに会いましたか?

明里 予定日より16日早く陣痛が来たので、出産の日は夫は出張だったんです。そのため、赤ちゃんに会いに来られたのは夜でした。夫は「手術室の前で出産を待つシーンを想像していたから、思ってたのと違った」と冗談を言いながらも、赤ちゃんに会って「尊い、あまりにも尊い」と言いながら泣いていました。

――明里さんは病気を発症してから、お母さんのサポートとともに歩んでこられたとのこと。自身が母親になったことについてどう感じましたか?

明里 私の母は、私が病気になってから仕事を辞めて、診断名がつくまで病院をいくつも一緒にまわってくれて必死で頑張ってくれました。ちょうどそのころは父の両親の介護も重なって、本当に大変だったと思います。

私は子どもながらに、母はどうしてそこまで頑張れるのかな、と思っていたけれど、子どもを産んでみて、母の気持ちがわかりました。この子に何かあったらなんとかしてあげなきゃいけない、と自然に思えるものなんですね。

――娘・希来里ちゃんのお名前に込めた意味を教えてください。

明里 “里”は家族を意味します。家族に希望がやって来る、という意味でつけました。私の名前と同じような意味で、“里”の漢字は同じです。

そして、私の闘病生活が始まる直前に飼い始めた2匹の猫の名前が「きき」と「らら」なので、愛猫たちからも読みを1字ずつもらいました。猫たちは、私の闘病人生を支えてきてくれた大切な家族だからです。

産後ケアを利用したのに、不安で赤ちゃんを預けられず・・・

家族で百日祝いのお宮参りへ。

――病気の痛みは妊娠中はやわらいだとのことですが、出産後の体調はどうですか? 

明里 出産後数日間は体調がよく、ほとんど不調がなくなって「病気が治ったかも!」と思うほどでした。高校生から19年続く闘病生活だったので、不調がない日を数日間だけでも経験できたことはとてもうれしかったです。

「筋痛性脳脊髄炎」は原因不明の病気で、治療法も確立していませんが、出産を機によくなる患者さんもいると聞きます。私の知り合いにも、出産を機に寛解したという人がいて、私ももしかしたら・・・と期待しましたが、私の場合は時間とともに状態が戻ってきて、3カ月たった今は妊娠前のように不調や痛みの症状があります。

――帝王切開の手術後の痛みはどうでしたか?

明里 寝ている間に手術するから痛くないのかな、なんて思っていたんですが、目覚めたら地獄のような痛みでした。私は病気で長年全身の痛みを経験してきたのに、帝王切開の術後の痛みはまた全然違う痛みで、あまりにすごかったです。産後に病気による体の痛みを感じなくなったのは、手術跡の痛みが強すぎたせいもあったかもしれません。

――赤ちゃんの授乳などで夜中も起きなくてはいけないと思いますが、疲れはどうですか?

明里 出産後はアドレナリンが出ていたのか、あまり疲れを感じなくて、夜中も起きてお世話をしてました。そうしたらなんと、全身にじんましんが出てしまい、1カ月くらい消えなくなってしまいました。心配した家族は「絶対に疲れてるから少し休みなさい」と、市が助成する産後ケアの宿泊をすすめてくれました。

それで利用してみたのですが・・・私は俗に言う産後の“ガルガル期”で、自分以外の人に赤ちゃんをお願いすることがどうしてもできなくて。看護師さんは、赤ちゃんを預けられない私の気持ちを聞いてくれ、「大変だよね」と寄り添う言葉をかけてくれました。その言葉にとても安心できたので、2回目に産後ケアに行ったときには、娘を預けてゆっくり休み、食事を楽しむことができました。

できることが限られるからこそ、周囲の人と協力して子育てしたい

生後2カ月の希来里ちゃんと。土岐アウトレットでランチ。

――病気がありながら育児をする大変さはどんなことですか?

明里 娘はぐずったときにたて抱っこしてゆらゆら揺らすと落ち着くタイプの子なんですが、私は「脳脊髄液減少症」のために、頭を起こしていられる時間に制限があります。娘がぐずったら私も一応たて抱っこであやしますが、娘が落ち着く前に私の限界が来てしまうので、そういうときは母に頼んで交代してもらいます。

また「筋痛性脳脊髄炎」のために普段から倦怠感が強く、日常的に横になって過ごしています。ところが、今は体調がしんどい、というときに娘がぐずると対応しなきゃいけないつらさはあります。子どものためにとあまり無理してしまうと、そのあとに長いこと起きれなくなってお世話できなくなったりしてしまうので、そのあたりのコントロールが難しいところです。

――家族や周囲の人に、どのようなサポートをしてもらっていますか?

明里 元々、私の生活や仕事や病気のサポートは同居の両親がしてくれていたので、その流れで赤ちゃんのお世話も手伝ってもらっています。私は病気のため寝ている時間が多いのですが、出産後は 娘がちょっとぐずったり手足をバタバタしたりするだけで、寝ていてもすぐ目が覚めてしまうようになりました。母は、私が疲れている様子に気がつくと、別の部屋に連れて行って娘の声が私に聞こえないようにして、私を休ませてくれます。

母だけでなく、母の友人のみなさんも遊びに来てくれ、娘を孫のようにかわいがってくれます。ありがたく周囲の人を頼りながら、いろんな方に娘のお世話をお願いしています。家族以外の人に子育てに参加してもらうことで、私も子育てしやすくなるし、子ども本人にとってもいい経験になると思うんです。

――夫の琢也さんは育休などは取りましたか?

明里 夫は今単身赴任で東京にいて、月2回程度、週末だけ岐阜の自宅に帰ってくる生活をしています。仕事の都合上なかなかまとまった育休を取ることが難しかったので、赤ちゃんの生後8週間のうち、分割して2回取得できる育休を利用して、1週間ずつ育休を取って赤ちゃんのお世話をしてくれました。そのおかげで、どんどん成長する新生児期の娘の成長を一緒に見ることができました。家族で過ごす時間は、とても幸せです。

筋痛性脳脊髄炎の認知や、ヘルプマークの普及のために活動を

「病気啓発ラッピングトラック」を走らせる産学連携プロジェクトを実施。QRコードを読み込むと筋痛性脳脊髄炎患者会のホームページが表示されます。

――明里さんは2012年に筋痛性脳脊髄炎患者会「笑顔の花びら集めたい」を設立しました。どんな活動をしていますか?

明里 この病気は医師の間でも認知度が低く、専門医も少ない病気です。そのため診断・診療が受けられない、理解してもらえないと困っている患者さんが少なくありません。だからまずは知ってもらうことを目標に啓発活動を行っています。

5月12日が筋痛性脳脊髄炎の世界啓発デーなので、その日に向けて年1回イベントを開催して啓発活動を行うほか、岐阜県に診断・診療してくれる医療機関を設けてほしいと要望書を提出しました。その結果、岐阜県公式ホームページに診療可能な県内の医療機関の情報を掲載してくれました。認知度を高めるためにも、これからも患者会活動を続けていく必要性を感じています。

――2019年に、岐阜県のヘルプマーク普及啓発大使にも就任しています。自身がヘルプマークを使ってよかったことはどんなことですか?

明里 私も短時間なら歩いて移動することもあるので、車いすに乗っていないと、見た目では病気があることがわかりにくいと思います。クリニックの待合室のソファで横になって過ごすときや、カフェのソファ席で横になるときなどにヘルプマークを見えるようにして活用しています。

外出先で大人が横になっている姿ってあまり見かけませんよね。だからどう見られるか不安があるのですが、ヘルプマークがあれば安心して過ごせる、お守りみたいなものなんです。ヘルプマークに気づくと、事情がある人だとわかってもらえますし、飲食店ではひざかけを持ってきてくださったり、「困ったことがあったら言ってください」と声をかけてくださったりするので、とても助かります。ヘルプマークは見た目には障害や病気があるとわからない人が携帯して活用しています。妊婦さんでも使えるんですよ。

――街中でヘルプマークをつけている人を見かけたら、どうするのがいいでしょうか。

明里 電車やバスでは席をゆずったり、危険なことがありそうだったり、困っている様子だったら、やさしく声をかけて必要な支援をしてあげてくれたら助かります。ただヘルプマークをつけている人の中には、知らない人に声をかけられてパニックになってしまう人もいます。なので、まずは「大丈夫かな?」と見守ってくださるのがいいと思います。

病気や障害がありながら子育てする人もいると知ってほしい

明里さんがヘルプマーク普及啓発大使として作成した、子ども向けの啓発パンフレット。

――病気がありながら子育てすることについて、社会に伝えたいことはありますか?

明里 私がメディアで妊娠や出産を公表したとき、ニュースメディアのコメント欄に「病気や障害があるのに子どもを産むなんて、子どもをヤングケアラーにするつもりか」と多くの批判が寄せられました。匿名の書きやすさもあるかもしれませんが、心の中でそう思っている人はいっぱいいるんだ、と知りました。

一方で、私のSNSのDMには「実は私も病気があって、子育てをしています」とたくさんのメッセージが届きました。その人たちが発信しないのは、否定的な意見を目にしたり、批判されたりすることを恐れているんだと思います。

病気や障害がある人は、子どもを持つことについて、事前によく調べてひと一倍考えて決断していると思うのです。私自身も、どうしたら自分たち家族が子育てしていけるか、行政にどんなサポートがあるか十分に調べました。

親ならだれしもそうだと思いますが、私は子どもに幸せになってほしくて産んだのです。私の介護をしてほしくて産んだわけではありません。タレント活動をしている私が子育てについて発信を続けることで、病気がありながらも周囲のサポートを受けて子育てする人がいることを広く知ってもらい、少しずつ社会が変わるきっかけになってほしいと考えています。

お話・写真提供/塚本明里さん、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

取材に同席した母の弥生さんは「障害があってもなくても、子どもを産んで育てることは大変。だからみんなで子育てしていかれる環境があれば、どんな人が出産しても育てやすい社会になるはず」と話してくれました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

塚本明里さん(つかもとあかり)

PROFILE
1990年生まれ、岐阜県可児市出身。 “タレント・ライフスピーカー・モデル” として活動。筋痛性脳脊髄炎、線維筋痛症、脳脊髄液減少症という3つの病気がありながら、可児市ふるさと広報大使、岐阜県ヘルプマーク普及啓発大使、筋痛性脳脊髄炎患者会「笑顔の花びら集めたい」の代表などを務める。1児の母。

塚本明里さんのInstagram

筋痛性脳脊髄炎患者会「笑顔の花びら集めたい」

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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