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「これ以上、娘の自由を奪わないで!」皮膚の疾患、難聴、角膜炎・・・病気がわかるたびに打ちのめされた【KID症候群・体験談】

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満生千尋ちゃんは現在2歳。KID症候群による、先天性の皮膚疾患、難聴、角膜炎による視力低下や脱毛症などの症状を抱えています。

満生雛子さんの長女・千尋(ちひろ)ちゃんは生まれてすぐ遺伝性皮膚疾患である魚鱗癬(※)と難聴の疑いで治療を始め、生後9カ月には角膜炎を発症し、KID症候群と診断。角膜炎が進行すると失明の恐れがあると宣告されています。一時は千尋ちゃんの病気が受け入れられず、引きこもりがちだったという満生さん。妊娠や出産の経過、診断後の葛藤と決意について聞きました。全2回のインタビューの前編です。
※「魚鱗癬(ぎょりんせん)」という病名を、2025年5月に「表皮分化疾患」と改訂することが提案されましたが、本稿では「魚鱗癬」と表記します。

誕生6時間後にまさかの急展開。大学病院で検査入院に

妊娠は順調で、お産は3時間半。喜びもつかの間、出産から6時間後に医師から思いがけない言葉が・・・。

――千尋ちゃんは第2子ですね。妊娠の経過はいかがでしたか? 妊娠中に病気の兆候はあったのでしょうか?

満生さん(以下敬称略) 妊娠経過は順調でした。つわりは長かったですが、上の子の育児と保育士の仕事もしながら、大きなトラブルはありませんでした。妊婦健診では、赤ちゃんに病気の可能性があるという指摘はなかったし、「順調に大きくなっているね」と医師に言われて安心していました。

――出産はいかがでしたか?

満生 出産は39週5日に、陣痛から3時間半で元気な産声が聞こえ、3460gの千尋が生まれました。その産声が、上の子と比べて元気すぎるほど大きく感じたことと、つめがほとんど生えていないことに「あれ?」とは思いましたが、大きな違和感はなく、私は幸せいっぱいでした。出産に立ち会った夫も何も気にならなかったようで、娘の写真をたくさん撮っていました。

――病気の可能性を指摘されたのはいつだったのでしょうか?


満生 出産から6時間後です。私の入院室に医師と助産師さんが娘を連れてきて、助産師さんが「この子ね、皮膚がとても乾燥している」と言うんです。娘のおでこを触ってみると、ガサガサしていて、新生児の肌とは思えませんでした。6時間前に抱っこしたときとは明らかに違いました。医師から、「念のために大学病院でみてもらったほうがいい」と説明がありましたが、私は頭がついていけませんでした。これから、お世話をすることにワクワクしていたのに・・・。突然の別れがとても寂しくて、娘を抱っこしながら泣きました。

娘は、助産師さんが大学病院へ連れて行ってくれて、そのまま検査入院に。私は出産した産院に残り、別々の入院生活になりました。

18日間の検査入院。「やっぱり病気なんだ…」と涙が止まらなかった

生後4日目、満生さんが初めて検査入院中の千尋ちゃんに面会に行ったとき。千尋ちゃんの皮膚の状態は日に日に様子が変わり、涙が止まらなかったと言います。

――検査入院は何日続いたのでしょうか? 入院中の千尋ちゃんはどのような様子でしたか?

満生 検査入院は18日間続き、皮膚や耳、目など全身を検査しました。

状況は、日に日に変わっていきました。私はお産入院4日目に一時外出が認められて、初めて面会に行けたんですが、娘の皮膚は、想像より落ち着いているように見えて、「深刻な病気じゃないかも」と期待がもてました。

ところが、生後10日目ごろに3回目の面会に行ったときには様子が変わっていました。娘の皮膚は日焼けをしたようにむけて、赤みもあり、それまでとは印象が違っていたんです。「やっぱり病気なんだ…」。私はソファで娘を抱っこしながら、呼吸もできないくらい激しく泣きました。

18日間の検査の結果、娘は、皮膚の角層が非常に厚いことから魚鱗癬の疑いがあり、耳の聞こえについても再検査が必要ということになりました。でも、全身状態はよかったので、退院することに。皮膚の保湿指導を受けたうえで、通院しながら確定診断に必要な遺伝子検査の結果を待つことになりました。

「千尋が千尋じゃなくなる?」。失明リスクに言葉を失った

生後18日に退院した千尋ちゃん。2歳上の兄・珀(はく)くんと初めて対面できました。

――確定診断が出たのは生後何カ月のときでしたか?

満生 生後6カ月にHID症候群と診断されました。HID症候群は、皮膚の症状だけでなく、難聴も症状のひとつです。ところが、生後9カ月に角膜炎の症状が加わったことから、診断名がKID症候群に変わりました。

――KID症候群とは、どのような病気でしょうか?

満生 KID症候群は遺伝子の異常によって起こる指定難病で、根治療法は確立されていませんが、人にうつることはありません。発症は100万人に1人未満といわれています。主な症状は、全身の皮膚が赤く、角質が厚くなる皮膚の疾患、感音性難聴、角膜炎による視力低下。千尋の場合は、さらに、脱毛症や、手のひらと足の裏の角質が網目状に厚かったり、発汗が少なかったりという症状があります。また、皮膚の疾患により皮膚のバリア機能が損なわれるため、感染症に感染しやすいうえ、感染すると重症化しやすく、去年だけでも5回入院しています。


――次々と病気を診断されるのはつらかったと思います。当時は、どのようなお気持ちでしたか?

満生 HID症候群と診断されたときは、すでに半年間、魚鱗癬と難聴のケアをしてきたので覚悟はできていました。でも、角膜炎を発症し、KID症候群と診断されたときは、夫婦で言葉を失いました。角膜炎が進行すると失明する可能性があると告げられたからです。

耳が聞こえにくいのは補聴器でサポートしたり、失聴してしまったら手話でコミュニケーションがとれたります。でも、さらに目も見えなくなったら、どのようにして言葉や文字を習得させればいいのか。今は、おもちゃを追いかけまわしている千尋が、目が見えなくなったら、千尋じゃないみたいにおとなしくなってしまうのだろうか。そんな不安が次から次にわいてきて…。私は、毎日泣きながら、心の中で「視力まで奪うなんて、こんな残酷なことってある? これ以上、千尋の自由を奪わないで!」と叫んでいました。

夫は、泣いている私の前では「大丈夫、大丈夫」と冷静でいてくれましたが、ふとした瞬間に、いろいろ考えこんでいる表情をしていました。

何気ないひとことに傷つき、娘を隠すように生きていた

生後9カ月からメガネと補聴器を装着し始めた千尋ちゃん。メガネのテンプルと補聴器のフックが耳で重なると補聴器が落ちやすいため、満生さんは補聴器用ストラップを手作りしました。

――KID症候群と診断されてから、気持ちに変化はありましたか?

満生 外出が怖くなりました。何気ない言葉に傷ついたことも重なってしまって…。たとえば、通りすがりの近所の方が「かわいいね」と、娘の足を触ったとき、「あら、ガサガサしとうね、この子」と言ったり、病院の待合室で話しかけてくれた方に「ちょっと赤いね、大丈夫?」と聞かれたり。そんなことが続き、私が「ガサガサ」「赤い」といった言葉に敏感になってしまい、「外に出たくない」「だれにも会いたくない」とふさぎこむようになりました。娘が産まれて約1年間は通院と上の子の保育園のお迎え以外は外出を避け、外出時も娘を隠すようにしていました。

また、KID症候群が50%の確率で遺伝するという事実も、私の気持ちを重くさせました。私と夫の親戚にKID症候群はおらず、娘の発症は遺伝子の突然変異によるものなんですが、娘が出産すると子どもに遺伝する確率は50%なんだそうです。私は、なんと重い十字架を娘に背負わせてしまったんだろう。そう思うと、今でもつらくなります。

さらに、外に出ると娘が角膜炎の影響で日ざしをまぶしがって泣くので、それを見るのも嫌でした。

――しばらくして、外に出られるようになったのは、きっかけがあるのでしょうか。

満生 きっかけというよりは、夫や義母、実母がどんなときも支えてくれたことや、友人や親せきが千尋に会いに来て「かわいいね」と言ってくれたりすることで、少しずつ外に出る勇気が出てきたんだと思います。同時に、「私は娘に何をしてあげられるかな?」と考えるようになりました。結果、私がたどりついた答えは、これから先、娘が過ごしやすくなるために、そして私たちがこれ以上傷つかずに過ごせるように、まわりの人に病気を知ってもらうことが大切だということ。そのために、まずは、私の友人に、続いて、娘が通う保育園に、病気のことと私の思いを伝えました。千尋が1歳になったころでした。

こうして病気をまわりに伝えることで、千尋の病気を理解しようとしてくれる人が家族以外に1人、また1人と増えていきました。いつしか、私はこのメンバーを「チーム千尋」と呼ぶように。メンバーは、家族はもちろん、保育園の先生、私の友人、療育の先生、そして病院の先生やスタッフのみなさんも。私は、この「チーム千尋」で、娘の病気と向き合い、一緒に育てていこうと決意しました。

【乃村俊史先生から】新しい治療法を見つけるべく真摯に努力していきます

KID症候群は、角膜炎・魚鱗癬・難聴を伴う病気で、現在のところ根本的な治療は存在しません。千尋ちゃんのように、成長とともに少しずつ症状が進行していくことが多く、患者さんご本人、そしてご家族の身体的・心理的負担はとても大きいものがあります。そのような状況でも「チーム千尋」として前向きに進んでいこうとする姿に心を打たれました。私たち医療者も真摯に努力して、新しい治療法を見つけたいと思います。

お話・写真提供/満生雛子さん 監修/乃村俊史先生 取材・文/大部陽子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編 

生まれて6時間後に皮膚の異常を指摘されてから、次々と病気がわかった千尋ちゃん。満生さんは、娘の残酷な現実に一度は打ちのめされましたが、「娘のために何ができるだろう?」と立ち上がり、「チーム千尋」の結成へとつながっていきます。
後編では、その「チーム千尋」が具体的にどのように千尋ちゃんを支えているか、日々のお世話で大変なことなどを聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

満生雛子さん(みついき ひなこ)

PROFILE
保育士。2023年に第2子である千尋ちゃんを出産。夫と長男の珀くん(4歳)の4人家族。

満生雛子さんのブログ

満生雛子さんのInstagram

乃村俊史先生(のむら としふみ)

PROFILE
2002年北海道大学医学部卒業後、09年大学院医学研究科博士課程修了。英国ダンディー大学研究員を経て、20年より筑波大学皮膚科教授。科学的な視点で疾患を理解し、診療に活かすこと、患者さんに温かく接することを掲げ、後進の教育にも力を入れている。専門は、遺伝性皮膚疾患(とくに魚鱗癬と掌蹠角化症)、アトピー性皮膚炎、化膿性汗腺炎。

参考

魚鱗癬の会 ひまわりのHP
アニメ動画「なんちょうなんなん」
難病情報センター「先天性魚鱗癬(指定難病160)」

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報で、現在と異なる場合があります。

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