元プロバスケ選手・岡田優介、自閉症と知的障害ある長男が教えてくれたこと。「障害がある人は特別じゃなくて、ごく普通な人」
2025年に現役を引退した元プロバスケットボール選手の岡田優介さんは、現役時代に難関資格である公認会計士も取得し、事業家としても活躍しています。長男・朔玖(さく)くんは3歳のときに知的障害と自閉スペクトラム症と診断されました。
岡田さんは「障害がある人と健常者の間にある見えない壁を取り払いたい」と活動を始めています。
全2回のインタビューの後編です。
兄の影響でバスケットボールを始める
――岡田さんは2007年、プロバスケットボール選手としてデビューしています。バスケットボールを始めたのは何歳のときでしょうか?
岡田さん(以下敬称略) 兄の影響もあり、小学5年生のときに始めました。習い事というわけではなく、チームに所属したわけでもなく、友だちと公園で遊びながらプレイしていました。
当時はマンガ「SLAM DUNK(スラムダンク)」も大流行していて、その影響も大きかったと思います。小学校を卒業するくらいのときには、夢はバスケットボールの選手と決めていました。
中学入学後、部活に入って本格的に取り組むようになりました。当時は東京都代表として、ジュニアオールスターに出場したこともあります。
――当時はどんな子どもでしたか?
岡田 幼いころから自立心が強かったです。自分の力で人生を切り拓いていこうと思っていた記憶があります。
こうした考えをもつようになったのは、もともと負けず嫌いな性格だったことに加え、シングルマザー家庭で育ったことも影響していると思います。
母は離婚してから、僕たち3人兄妹を1人で育ててくれました。経済的に大変で、塾に行ったことも、習い事をしたこともありません。そうした生活の中で、ハングリー精神がつちかわれた気がします。
中学卒業後は親元を離れ、寮のある高校に進学しました。大学へはスポーツ推薦で入学しました。奨学金やアルバイト代で学費をすべて自分でまかなっていたんです。
大学を卒業してからは、プロバスケットチーム「トヨタ自動車アルバルク」に加入し、プロバスケットボール選手として活動することになりました。
現役時代に公認会計士の資格を取得
――プロとして活動するなかで大変だったことはありますか?
岡田 ずっと大好きなバスケに取り組んでいたので、大変だと感じることはありませんでした。もちろん、キャリアを重ねていく中で、悩むことはありました。自分が主力ではなくなっていくとか、体力が低下して、これまでできていたことができなくなっていくなどの葛藤を抱いたことも。
それでも、いつも全力で取り組んでいたし、夢だったプロ選手として活動できて、本当に充実した毎日を送れました。
――プロのバスケットボール選手として活躍するかたわら、2010年、公認会計士の試験にも合格したそう。公認会計士をめざしたのはなぜでしょうか?
岡田 「バスケットボールだけでなく、何か難しいことに挑戦してみよう」という挑戦心からです。
バスケと勉強の両立はかなりハードでした。資格の専門学校の通信講座を受講し、バスケの練習時間以外はずっと勉強していました。もともと学ぶのが好きだったし、自分で始めようと思ったことです。ずっと高いモチベーションを維持できました。
社会人3年目となる2010年、公認会計士を取得し、大手事務所で会計士としても働き始めました。
――プロバスケットボール選手、公認会計士に加え、起業もしたとのこと。当時の様子を教えてください。
岡田 2012年、バスケファンが集まれる場所としてバスケバー「DIME」を開業しました。実際に自分で事業を立ち上げ、実務を経験したいと思ったんです。
2014年には3人制プロバスケ「3×3」のチーム「TOKYO DIME」の共同オーナーにもなりました。
事業を手がける際、公認会計士の資格は、とても役に立ちました。専門的な知識はもちろん、周囲の人から「公認会計士の資格をもっているということは、とてもしっかりとした考えをもっているんだろう」と信頼してもらえたように感じます。
経験したことや、学んだことはすべて自分の身になり、役立つんだと実感しています。
家族との時間を大切にするために現役引退
――バスケットボール選手としては、2025年、シーズン途中で引退を表明したそう。なぜ引退を決意したのでしょうか?
岡田 一番の理由は、もっと家族との時間をもちたいと感じるようになったからです。当時は香川県に拠点がある「香川ファイブアローズ」というチームに所属していました。家族は千葉県に住み、僕は、単身赴任をしていたんです。家族と離れて暮らすのは初めてでしたが、ずっとこの生活を続けるのはしんどいなとも思いました。
長男の朔玖(さく)は重度の知的障害と自閉スペクトラム症があります。ちょうど小学校進学について考えるタイミングでもあり、近くにいたいと考えたんです。一度は妻の実家のある愛知県に引っ越す話も出ました。でもあまり環境を変えたくなくて。慣れた土地で過ごしたほうがいいという結論になったんです
――引退後の生活はいかがでしょうか?
岡田 家族の時間は増えました。また「常にコンディションを最高にしておかないといけない」というプレッシャーからも解放されました。
一方で、体を動かす機会は減りました。現役時代は練習する時間がとても多かったのですが、現在はなにかと忙しくて・・・。できるだけ運動もしなくてはと考えているところです。
療育支援にも対応した運動教室を新規開校
――現在はどんな仕事に取り組んでいますか?
岡田 2025年9月に「へやすぽDIME運動教室」を渋谷ウェルネスコンソーシアムに新規開校します。
これは療育支援にも対応した新しい運動教室です。僕がかかわっている3人制プロバスケットボールチームが運営するスポーツ教育ブランドと、オンライン発達支援プログラムとが協業しています。会場となる渋谷ウェルネスコンソーシアムとの共同事業でもあります。
8月に無料体験会を開催したのですが、とても好評でした。
この運動教室は療育手帳を持っている子や運動が苦手な子が楽しく、自分のペースで身体を動かすことを目指しています。
――今後はどんなことに取り組んでいきたいですか?
岡田 現役時代から、バスケ教室を中心に展開していたのですが、もう少し広い視点で「スポーツ×福祉」の分野にも力を入れたいと考えています。
いずれは療育にかかわる施設の運営をしたいと考えていて、現在はいろいろと情報収集をしているところです。
こうした活動に関心を抱いたのは、やはり朔玖の影響は大きいです。現役時代所属していたチーム「香川ファイブアローズ」では、障害のある人や、そのサポートをしているスタッフの人、家族のための優先席「スマイルシート」の企画も提案しました。
健常者と障害者との間にある壁を取り払いたい
――スマイルシートへの反響はありましたか?
岡田 いい取り組みだと注目され、テレビでも放送されました。招待した人たちから「楽しかった」と言ってもらえたのもとてもうれしかったです。朔玖が生まれてから、多くの人たちにサポートしてもらっています。だから少しでも感謝の気持ちを伝えたいと考えたんです。形にできて本当によかったと思いました。
――障害や特性のある子を育てていくうえで、社会の課題だと感じることはありますか?
岡田 少しずつ理解は深まっているように感じます。
とはいえ、社会全体でみると、まだ制度やルールなどが変わっていないと思う部分がたくさんあります。
どうして変化しないのかというと、社会のなかに「健常者は健常者の社会で暮らす。障害者は障害者だけコミュニティで生きる」という見えない壁があるからじゃないかと僕は思っています。
その壁がなぜあるかというと、健常者と障害者は接点がほとんどないからではないかと。相手のことを知らないから、障害のある人のことを、特別な存在と考えてしまうんだと思うんです。
でも、障害のある人たちは、ごく「普通の人」なんです。
僕が朔玖が知的障害と自閉スペクトラム症と公表したとき、「実はうちもそうなんです」と教えてくれた人が想像以上にたくさんいました。まだ一般的に「障害があることはあまり公表するべきではない」という暗黙の了解がある気がします。
でも、見えないままでいたら、理解は広がりません。僕は、SNSなどで朔玖との日々を積極的に発信し、多くの人に知ってもらおうと考えています。それが一般の人たちの理解を深めてもらう一助になったらいいなと思います。
――朔玖くんの存在が、岡田さんの視野を広げてくれたといえそうです。
岡田 本当にそのとおりです。スマイルシートも、へやすぽDIME運動教室も、すべて朔玖を授かったおかげで生まれたことです。彼がいてくれたおかげで、たくさんの縁にも育まれ、いろいろな人と出会うことができました。
こうした活動は、僕に与えられた役割であり、使命でもあると感じています。少しずつでもいいので、活動していきたいと思っています。
お話・写真提供/岡田優介 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
「健常者と障害者の間に見えない壁があるように思う。それを取り払いたい」と考え、さまざまな活動をする岡田さん。理性と実行に移す行動力の両方をあわせもっているようです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
岡田優介さん(おかだゆうすけ)
PROFILE
元プロバスケットボール選手。小学5年生からバスケットボールを始め、青山学院大学を卒業後、2007年にトヨタ自動車アルバルクに加入。2025年現役を引退。プロ選手として活動する傍ら、2010年に公認会計士試験に合格。日本バスケットボール選手会創立者。現在はさまざまな事業を手がける。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。