妊娠20週で告げられた長男の脳の障害。出産、その後の生活、「すべてつらいことしか考えられず、逃げ出したかった」【X連鎖性遺伝性水頭症】
高知県在住の永野夏帆さん・孝幸さん夫婦の長男、蒼(あおい)くん(6歳)は、妊娠20週目に脳の異常が指摘され、生後6カ月のときX連鎖性遺伝性水頭症と診断されました。X連鎖性遺伝性水頭症とは、X染色体にある遺伝子の異常が原因とされる水頭症。水頭症は異常に大量の髄液がたまり、脳室などが大きくなった状態です。
蒼くんの病気について夏帆さんに聞きました。全2回のインタビューの前編は、蒼くんが生後6カ月ごろまでのことです。
妊娠15週目から週1回健診が必要に。実母が「それはおかしい」と・・・
夏帆さんは社会人3年目、21歳のとき孝幸さんと出会いました。
「私は当時、銀行に勤めていて、夫は看護師。夫とは年の差があります。私が楽しいときにうれしそうにしてくれ、頑張っているときや思い悩んでいるときは見守ってくれる人でした。だから私はつき合い始めてすぐに、『この人と結婚したい!』って思ったんです。
そして、結婚の話を進めているとき、蒼の妊娠が判明。22歳のときでした。
妊娠を確認したのは近所の産婦人科クリニックでしたが、出産は扱っていないので、妊婦健診は市内にある大学病院に通い、そこで出産する予定にしていました」(夏帆さん)
妊娠の経過は順調かと思っていましたが、妊娠15週ごろ、妊婦健診の回数を増やす必要があると医師から告げられます。
「おなかの赤ちゃんの脳の、脳室という部分が少し大きいから、週1回健診が必要とのことでした。初めての妊娠だったこともあり、私は妊娠したら元気な赤ちゃんが生まれるのが当たり前だと思っていました。だから、医師の言葉を深く考えていなかったんです。ところが実母が、『この週数で週1回健診があるのはおかしい』って言うんです。最初に異常に気づいたのは実母でした」(夏帆さん)
水頭症と診断され、出産後すぐに手術を受けられる隣の県の病院に転院
16週、17週、18週・・・と妊婦健診を受けますが、何かを診断されることはありませんでした。事態が変わったのは、20週目の健診のときでした。
「診察後に医師から、『脳室のサイズが正常な範囲からはずれて大きくなってしまっている。それは水頭症で脳室に髄液がたまっているためで、出産後すぐに、髄液を排出するシャント術が必要となる。でも、この病院では手術ができないので、出産後すぐに万全の治療を受けられる病院に今から転院しなければいけない』という説明がありました。
水頭症という病名を初めて告げられた瞬間でした。
しかも、『手術をすれば発達に問題なく成長する場合もあるし、障害が出る場合もある。それは生まれてみないとわからない』って言うんです。
定期的な健診を受けに来ただけのつもりだったので、いきなりとてもシビアなことを言われ、心も頭も追いつかず、私はただただぼう然としていました」(夏帆さん)
転院先として提案された病院の中で、自宅から一番近かったのが、香川県にある四国こどもとおとなの医療センターでした。近いと言っても、高速道路を使って車で1時間半ほどの距離があります。
「水頭症とわかったからなのか、四国こどもとおとなの医療センターに転院してからは、通常の妊婦健診と同じ間隔になりました。とはいえ往復3時間かけての受診は楽ではなく、精神的にもかなりつらかったので、毎回、夫が仕事を休んで付き添ってくれました」(夏帆さん)
転院する前に、夏帆さんはネットで水頭症のことをたくさん調べました。
「いろいろなサイトやSNSの情報を調べる中で、男児の水頭症は遺伝性疾患の可能性が高い、という説明を見つけたんです。これまでの健診で、おなかの子は男の子だろうと言われていたので、この病気なのかもしれない・・・と思いました。
だから転院した最初の診察のとき、『遺伝性の病気ですか』って聞きました。先生の答えは『わからない』というものでした。
実は、出産後に夫から聞いて知ったのですが、転院してすぐのころ、夫が1人で主治医と話した際、遺伝性の水頭症の可能性が高いと告げられたそう。遺伝性水頭症(X連鎖性遺伝性水頭症)の場合、原因となる遺伝子は母親側のもの。夫は、妊娠中にそのことを知ったときの私のショックを考え、確定診断がつくまでは私には告げないと、医師とともに決めたと聞きました」(夏帆さん)
産声を聞くのがつらくて全身麻酔で出産。産後も逃げ出したい気持ちに
妊娠が進み、出産が近づくにつれ、「赤ちゃんとの対面を恐れていた」と、夏帆さんは当時のことを振り返ります。
「出産といえば『おめでとうございます!』という言葉が思い浮かびます。でも、私にとっての出産は悲しみしかないように感じていました。『一生だれかの介護がないと生きていけない子を産んでしまいごめんなさい』って、これからずっと社会に対して謝っていかなければいけないと、絶望的な気持ちになっていたんです。息子の命を肯定してくれる社会が、当時の私には想像できませんでした。
蒼の母親になることを逃げたかったし、蒼と一緒に消えてしまいたい。そう考えていました」(夏帆さん)
出産は帝王切開で行うことが決まっていました。帝王切開は部分麻酔で行うことが多いですが、夏帆さんは全身麻酔を切望しました。
「妊娠中はつらさしか感じられず、産声を聞くということを想像するのもつらくてしかたがなかったんです。せめて出産時は穏やかな気持ちでいたい。私のそんな思いを病院側が受け入れてくれ、実現しました。
夫は手術室に同行し、私の分も蒼の産声を聞いてくれました。出産後、私が病室に戻ってから、『小さいけれど力強い産声に涙が止まらなかった』と夫が話してくれました。
でも、そのときも私の心の中を支配していたのは、感動ではなく不安でした。これから先の困難を想像して、ここから逃げ出したいという気持ちでいっぱいだったんです」(夏帆さん)
私たち家族はみんなと違う世界にいる・・・。そう感じて退院後の生活が怖かった
夏帆さんが蒼くんと初めて対面したのは、生後3日目のことでした。
「蒼がシャント術を行う前に、初めて対面しました。蒼は『何かを口にしたい』という意識が芽生えず、哺乳びんが吸えなかったので、経管栄養の管が入っていました。そのほかにもたくさんの管でつながれていたので、どのようにして触れればいいのわからず怖かったです」(夏帆さん)
夏帆さんが蒼くんに初めて会ったその日、蒼くんは脳内にたまった髄液を抜くためのシャント術を受けました。
「蒼の脳内は髄液の通り道が閉鎖されていたので、髄液を排出するホースのようなものを手術で作る、という説明でした。そのホースはおなかにつながっています。手術後に胸腹部のX線写真を脳外科の先生に見せてもらったら、身長が伸びても問題ないように、ホースがグルグルと巻かれた状態になっていました」(夏帆さん)
夏帆さんは出産後1週間で退院しましたが、蒼くんの退院は3カ月後でした。
「四国こどもとおとなの医療センターには、遠方から入院している患者家族が泊まれる施設があり、私が入院中、夫は仕事を休んでそこに泊まり、毎日私と蒼のそばにいてくれました。
私が退院後、夫は仕事のため自宅に戻りましたが、今度は私がその施設のお世話になり、平日は毎日蒼に会いにいきました。3時間おきに搾乳して冷凍しておいた母乳も、欠かさず届けました。週末は自宅に帰り、家の片づけや出産に関する手続きなどを行い、週明けにまた病院に戻る、という生活を3カ月続けました」(夏帆さん)
この時期、夏帆さんは蒼くんの退院後の生活を考えるのが、「怖くてしかたがなかった」と言います。
「入院中、蒼は安全な環境にいて、とても大切にされていると感じ、すごくうれしかったんです。でも、ここを出たらそんな優しさはないのではないかと怖くなりました。私はそれまで、蒼のような赤ちゃんを見た経験はなく、社会が受け入れてくれると思えなかったんです。『私たち家族はほかの人とは違う世界にいる』と感じていました」(夏帆さん)
母指内転症のため、両手の親指が手のひらの上に乗ったまま動かない
蒼くんは入院中にぐんぐん回復していきました。
「生後1カ月ごろには哺乳びんで母乳を飲めるようになり、経管栄養は卒業。呼吸状態も安定し、生後3カ月のとき退院しました。
家庭での医療的ケアは、必要に応じてたんを吸引することと、排せつ管理だけ。体幹が弱く、ふにゃふにゃだったので、抱っこするのは大変でしたが、それ以外は普通の赤ちゃんと同じだと思いました」(夏帆さん)
夏帆さんが「1つだけ普通の赤ちゃんと違う」と感じたのは、蒼くんの手の親指でした。
「蒼には母指内転症がありました。両手の親指が内側に曲がっていて、常に手のひらの上に親指が乗っている形になっているんです。胎児のときからそうだったようです。
『男児、母指内転症、水頭症』という条件がそろうと、X連鎖性遺伝性水頭症の可能性がぐっと高まることを、水頭症のことを調べる中で理解していました」(夏帆さん)
夏帆さんと孝幸さんは、蒼くんが生後6カ月のとき、X連鎖性遺伝性水頭症なのかを知るために、遺伝子検査を受けることを決断しました。
【孝幸さんより】つらい日々もありましたが、今は子どもの話で夫婦の会話が尽きません
息子が生まれた当初は、蒼のことを受け入れられない妻を見て、自分の家族が離れ離れになるかもしれないと思いました。ただただ妻が蒼を受け入れてくれるのを待つしかないのは、地獄のようなつらさがありました。それでも生まれてきた蒼を抱いた妻は、自然と母親となり、蒼のことを心から愛してくれました。未来のことを考えられずにいたときもありましたが、今では毎日子どもたちのことで会話が尽きません。蒼が障害を持って生まれたことは、つらいことですが、その分、家族の絆は強くなりました。妻とつくった家族は楽しいものだと感じながら日々過ごしています。
お話・写真提供/永野夏帆さん 医療監修/久保井徹先生 取材協力/高知県医療的ケアの必要な子どもの家族の会~結人(ゆいと)~ 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
「赤ちゃんは健康で元気に生まれてくるもの」と信じていた夏帆さんの願いはくだかれ、X連鎖性遺伝性水頭症という病気をもって生まれてきた蒼くん。「妊娠中も出産後も毎日つらかった」と夏帆さんは当時を振り返ります。
後編では、遺伝子検査を受けたことや2人目の出産、夏帆さん家族の現在のことなどについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
永野夏帆さん(ながのかほ)
PROFILE
高知県在住、2児の母。現在は看護学生として子育てと両立しながら奮闘中。
久保井徹先生(くぼいとおる)
PROFILE
独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター 新生児内科 新生児診療部長。日本小児科学会認定小児科専門医・指導医。周産期・新生児医学会専門医・指導医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月の情報であり、現在と異なる場合があります。


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