夫は元陸上長距離選手、下田裕太。第1子妊娠時は壮絶なつわりを経験。つらすぎて“自分を消し去りたい…”と「いのちの電話」に連絡【タレント・金久保芽衣】
「ぼんぼん」の愛称で親しまれている俳優・タレントの金久保芽衣さん。2022年に陸上選手の下田裕太さんと結婚し、2025年7月に第1子を出産しました。胎嚢が確認される前から入院し、妊娠後期もトラブル続きで大変な思いでの出産だったそう。つらい時期を支えてくれたのは夫の下田さん。どんなふうにトラブルを乗り越えたのか、話しを聞きました。全2回インタビューの後編です。
妊娠初期、胎嚢が確認できる前に入院を経験
――妊娠初期に胎嚢が確認される前に、大学病院に入院されたそうですね。
金久保さん(以下敬称略) 妊娠検査薬で陽性反応が出たのでクリニックに行ったところ、すぐに大学病院に行くように言われました。検査の結果、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)と診断され、即入院になってしまいました。妊娠4週と5日のときでした。まだ胎嚢が確認されていなくて、不安しかありませんでした。
その後、胎嚢が確認できたのは5週と4日のときでした。でも5.5mmしかなくて小さすぎでは?と心配になりました。ネットでなんでも検索できてしまう時代なので、あれやこれや自分で調べては落ち込んで・・・。
そこで先生に相談したところ、ネットはあくまでも少数の人の体験談だということ、一方で医師は何千人もの患者さんを診てきているからネットのネガティブな情報は鵜のみにしないで、医師の指示やアドバイスを聞くように言われました。
――不安だといろいろと調べてしまいますよね。
金久保 妊娠初期の敏感な時期に調べて心配になってしまい、余計なストレスを抱えてしまいました。これはよくないと思い、少しネットと距離を置くようにしました。
――体調が安定したあとはどんなふうにして過ごしましたか?
金久保 胎嚢、心拍ともに確認ができて症状も落ち着いたので退院しました。でも、そこからつわりが始まりました。食事はとれるのですが、食後は常に吐いていました。吐きすぎて血がまじってしまうくらいひどい状態になったので病院に行ったところ、薬はないのでうまく吐けるようになるしかないと言われ、この世の終わりのような期間に突入しました。
元旦の午前3時。「いのちの電話」でかけられた言葉とは?
――つわりが相当きつかったのですね。
金久保 食べられるけれど吐いてしまう、という状況が受け入れられず、精神的につわりに耐えられなくなってしまいました。「もう、この世から消えたい」と思ってしまうほどでした。赤ちゃんのことは絶対に守りたいけれど、つわりがつらすぎて自分の存在を消してしまいたいという気持ちとのせめぎ合い・・・。「守りたいけれど、消えたい」という感情の交差でメンタルはボロボロでした。
――どのようにして気持ちを立て直したのでしょうか?
金久保 夫が合宿中だったので、おおみそかから元旦にかけて1人でした。そのときがひどい状態のピークでした。これではダメだと本気で思い、そこで思いきって「いのちの電話」に電話をかけてみました。年が明けてすぐの午前3時のことです。
年配の女性が電話に出てくれました。自身の経験を語りながら「今のあなたに必要なことはすべてを受け止めることではなく、布団にくるまって眠ること」と優しく諭してくれました。
たしかにそれまでの自分は、ひとつひとつの問題を真正面から受け止め、考えすぎていました。「つわりがひどすぎて自分を消し去りたい」と思ったり、「おなかの赤ちゃんをしっかり育てなきゃ」、「元気な赤ちゃんを産まなくちゃ」など考えたり・・・。心配なことを絶えず考えているような状況でした。
――アドバイスどおり、考えすぎていた自分をいったん手放してみたのですね。
金久保 そこから「消えたい」という感情からいったん逃げて、自分自身を守ることを徹底しようと考え、とにかく眠りました。夫も予定よりも早く帰ってきてくれたので、最悪の状態から脱することができました。元旦の午前3時にいのちの電話で的確なアドバイスをもらえ救われました。対応してくれた女性には、とても感謝しています。
出産直後は「とにかく終わった!」という思いでいっぱいだった
――つわりの期間がおさまってからはどうでしたか?
金久保 初期の後半から便秘になり、中期はよだれつわりにもなりました。後期は妊娠糖尿病にもなりました。とにかく産んだらこのトラブルは終わると言われていたので、妊娠後期は「産めば終わるんだ」という思いで過ごしていました。
――出産直前まで本当に大変だったのですね。
金久保 それが出産も大変だったんです。陣痛中、赤ちゃんの向きが途中で変わってしまい、それが直らないまま子宮口が9cmまで進みました。いろんな態勢になったり、運動をしたり赤ちゃんを動かそうとしたものの、骨盤にハマっていて動かず・・・。夫も赤ちゃんの向きを変えるために協力してくれたり、常に4種類の飲み物を持って水分補給を手伝ってくれたりと、できる限りのサポートをしてくれていました。
そうこうしているうちに、私の血圧が上がり、腎臓にも機能障害が出る妊娠高血圧腎症になってしまいました。赤ちゃんの状態も悪くなってしまったので、緊急帝王切開になりそうだ、と先生に言われました。妊娠中からおなかを切ることに恐怖心がありましたし、ここまで陣痛に耐えたからできれば避けたかったです。でも、「赤ちゃんが危ない」と聞いて迷わず「はい」と即答しました。産まれた瞬間、赤ちゃんの産声を聞いて安心したのと同時に、心の底から感じたのは「あぁ、終わった~!」という感覚でした。
――誕生した赤ちゃんの状態はどうでしたか?
金久保 誕生直後は新生児回復室(GCU)で治療してもらいましたが、体重は2500グラム以上あり、私と一緒に退院することができました。
――下田さんも妊娠初期から誕生までずっと心配だったでしょうね。
金久保 夫も心配だったと思います。私が妊娠期間中、ほとんど横になっている状態だったので、その間も私の身の回りのことをなんでもやってくれました。陣痛中もずっとつきっきりでそばにいてくれたので心強かったです。赤ちゃん誕生の瞬間、私はもうろうとしていましたが夫は鮮明に覚えているので、今でも出産のときのことを話してくれます。
夫婦で同じお世話ができる状態になったことで、心に余裕が生まれた
――現在、赤ちゃんは生後3カ月。困っていることはありますか?
金久保 退院してしばらくは眠りが浅く、すぐに起きてしまいましたが最近は睡眠スケジュールが整ってきたのか、よく眠ってくれます。夜におふろに入れて、ミルクを飲んだらげっぷをして、そのままぐっすり眠ってくれます。5時間後ぐらいに起こして、またミルクを飲ませるような状態です。
――赤ちゃんのお世話は夫婦でどんなふうにしていますか?
金久保 産後、帝王切開の傷が痛くて抱っこもままならなかったので、最初から赤ちゃんのお世話は夫が一緒にしてくれます。夜は完全に夫がみてくれます。とにかくどちらか1人しかお世話ができないような状態にならないよう、2人で協力して同じお世話ができるようにしています。今では育児が楽しく、心にゆとりが生まれています。
――最近の赤ちゃんの様子はどうですか?
金久保 私が朝からずーっと話しかけているためか、赤ちゃん語でおしゃべりが上手なように思います。とてもよく声を出します。予防接種もスケジュールどおり進んでいるので、このまますくすく育ってほしいです。先日、100日祝いも終えました。
――これからの成長が楽しみだと思いますが、どんな子に育ってほしいですか?
金久保 パパがスポーツ選手だからスポーツを、ママが芸能の仕事をしているから芸能界へという思いはないです。どんなことでもいいので自分のやりたことを見つけて、何かに打ちこんでくれたらいいなと思います。そして、自分自身を大切にできる子に育ってほしいですね。
お話・写真提供/金久保芽衣さん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部
妊娠初期から出産時まで、大変な経験をされた金久保さん。そばで支えてくれた夫の下田さんの存在はとっても大きかったようです。そして、「いのちの電話」でどん底から気持ちを立て直すことができたことはとても貴重な経験だったのではないでしょうか。
金久保芽衣さん(かなくぼめい)
PROFILE
俳優・タレント。1996年3月生まれ。茨城県出身。愛称は「ぼんぼん」。2016年に「SoftBank Presents NEXTSTAR GIRLS AUDITION」のグランプリを受賞する。2017年は、フジテレビドラマ「ミステリーズ」に出演。その後も映画、ドラマ、舞台など数々の作品で活躍している。2022年に陸上長距離選手の下田裕太と結婚。2025年7月に第1子を出産。


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