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小学校中学年で自閉スペクトラム症と診断された弟。「学校生活がうまくいかず‟困る子”と思われていた」【発達障害・きょうだい児体験談】

更新

弟とお祭りへ。

川﨑翔太郎さん(35歳)には、小学生のときに軽度の知的障害と自閉スペクトラム症と診断された、2歳違いの弟がいます。
現在、小児精神科訪問看護などを行う、株式会社ニト 代表取締役を務める川﨑さんに、幼少期や小学校、中学校、高校時代の弟のことや、家族のかかわりなどについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

過度にマイペースで、感情のコントロールが苦手な弟

弟と過ごした日々を語る川﨑翔太郎さん。(写真提供/株式会社ニト)

川﨑翔太郎さんは、小学1年生のときに父親を病気で亡くしています。母親と母方の祖父母、弟の5人家族で住んでいました。

――弟さんは、幼少期どのような子でしたか。特性について教えてください。

川﨑さん(以下敬称略) 弟は、明るくて、社交的な性格です。ただ、過度にマイペースで、段取りなどが苦手で、手先も不器用でした。
また弟は、小さいころから電話番号を覚えるのが得意です。理由はわからないのですが、1回電話番号を見たり、電話をかけたりするだけで電話番号を覚えて忘れません。今でも「不思議だな」と思うのですが・・・。でも算数が得意とか、数字に強いわけではないんです。

――幼いころ川﨑さんは、弟さんを見ていて「あれ?」と思ったことはありましたか。

川﨑 小さいころで覚えているのは、弟が壁に頭を打ちつけている姿です。弟は、感情のコントロールが苦手な面があり、怒ると壁に頭を打ちつけるんです。幼いころは弟のそうした姿を見るたびに、「痛くないのかな?」「どうして、こんなことをするんだろう?」と不思議に思っていました。もちろん当時の私に発達障害についての知識は何もありませんし、「あれっ?」とは思うものの、彼の個性と受け止めていたので、それ以上の違和感はありませんでした。

小学校の中学年で、軽度知的障害と自閉スペクトラム症と診断された弟

川﨑さんの弟さんが、小児精神科を受診するきっかけとなったのは、チックの症状が出始めたことでした。

――弟さんに発達障害の診断がついたのは、いつごろでしょうか。

川﨑 小学3~4年生のころに急にチックの症状が出て、強いまばたきを繰り返すようになりました。

母は最初、かかりつけの小児科で相談したらしいです。その後、小児精神科を紹介されて発達検査を受けると、軽度知的障害、自閉スペクトラム症と診断されたそうです。
診断を受けて、療育手帳ももらいました。

――急にチックの症状が出始めたのには、何か理由があったのでしょうか。

川﨑 私は国立大学の付属小学校に通っていて、弟は自宅近くの公立小学校に通っていました。そのため弟の小学校での様子が私にはわかりませんでした。
でも、どうやら弟は学校でからかわれていたようでした。私も一度、弟から「小学校行くの嫌なんだよね・・・」と言われたことがあります。たぶん、できないことが多いことや、感情のコントロールがうまくできないことから、今でいういじめのような状態になっていたのだろうと思います。

――弟さんは、お友だちとうまくいかなくても小学校には通っていたのでしょうか。

川﨑 小学4年生までは、どうにか登校していましたが、小学5年生からは不登校ぎみになりました。
当時は、発達障害への理解も今よりも乏しかった時代です。担任の教師も、過度にマイペースで、感情のコントロールが苦手な弟を「困る子」として捉えていました(当時はそう受け止められがちでした)。本当は、「困る子」ではなく、「困っている子」なのに。

――お母さんから弟さんの診断のことは何か告げられましたか。

川﨑 母からは「〇〇(弟の名前)、発達障害らしいんだ・・・」と言われたのを覚えています。当時は、発達障害という言葉は、今ほど広く知られていなかった時代です。私は、子ども心に「幼稚園のときに同じクラスにマイペースな子がいたけれど、弟も同じような感じなのかな!?」と考えたりしました。

診断がついた弟。療育などへはつながらなかった

弟さんが軽度の知的障害と自閉スペクトラム症と診断された当時は、現在の診断後の流れとは、だいぶ状況が違っていたそうです。

――弟さんのサポートは、どのようにしていたのでしょうか。

川﨑 当時は、発達障害と診断されても現在のように、療育などへの橋渡しがしっかりしていなかったと思います。療育施設なども数が少なかったのでしょう。そのため弟は、診断されても、とくにサポートは受けていません。医師から、療育機関などを紹介されたりもしませんでした。

うちは父親が、私が小学1年生のときに亡くなっています。母方の祖父母と同居していましたが、母は女手ひとつで子どもたちを育てるために一生懸命働いていました。
私が小学校から家に帰ると、登校していない弟が家にいるんです。療育などにも通っていないので、弟とキャッチボールをしたりして、母が帰るのを待っていました。

――弟さんは、中学校はどうしたのでしょうか。

川﨑 友だち関係のことがあったので、家から少し遠い公立中学校に入学しました。環境を変えるためです。

その中学校は、公立でも自由な校風で、弟には合うかもしれないと思ったのですが、中学でもうまくいかず・・・。弟は、からかわれたりすると教室から飛び出して、1人になれる場所にこもってしまいます。こもるとなかなか出てこなくて、そうした特性が教師からはやはり“困る子”と映ったようです。

――家庭での弟さんの様子を教えてください。

川﨑 学校での人間関係のストレスを家庭で発散するのですが、感情のコントロールが苦手なので、急に気持ちを爆発させるようなときがありました。そうした弟の様子を見て、家族も戸惑うことが多かったです。

当時、療育などのサポートへの橋渡しがしっかり行われていたら、弟ももっと生きやすかったのではないかと思います。

弟は、高校から特別支援学校へ

川﨑さんは、これまでの経験から児童発達支援の道へ。写真は、ニトが提供している訪問看護のイメージ。(写真提供/株式会社ニト)

中学卒業後、弟さんは特別支援学校に進みます。

――その後弟さんは、どのような高校に進まれたのでしょうか。

川﨑 父を亡くして母が働いているわが家では、いつしか私が弟から進路相談などを受けるようになっていました。
弟は、勉強が苦手な面もあったので、母と弟といろいろ話し合って、特別支援学校に通うことになりました。

――特別支援学校は、どうでしたか。

川﨑 弟が通うことになったその特別支援学校は、ちょうど弟が入学したときに開校しました。弟は1期生にあたります。
その学校は就労100%を目標に掲げていました。ですが、弟は入学後に祖父が営むクリーニング店を継ぎたいと言い出しました。学校側は、家業を継ぐことを就労とは見なしておらず、家業以外の就労をすすめるという状態になり、学校との関係がギクシャクしていました。
また当時校則で、男女交際が禁止されていたのですが、弟は同級生の女の子から告白されて、仲よくなっていきました。それを学校側から注意を受け、就労の考え方の違いもあったので一時は退学という話まで出ました。
私たちとしては、家業を継ぐことも就労と捉えてほしかったし、学校に通うことで社会性も伸ばしてほしかったので、学校側と話し合いました。

学校側からの要望は、弟は突発的な行動を取りがちなので、登下校のときには家族が付き添って、しっかり見守ってほしいということでした。
当時、私は大学浪人中で時間があったので、私が付き添うことにして、どうにか特別支援学校に通い続けることができました。

お話・写真提供/川﨑翔太郎さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

発達障害がある子どもたちの特性はさまざまです。川﨑さんは、弟さんの経験から、その子に合う支援の必要性に注目。2025年に株式会社ニトを設立して、0~18歳を対象とした小児精神科訪問看護などを行っています。

インタビュー後編では、弟さんの高校卒業後のことや就労、ニトの小児精神科訪問看護について聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

川﨑翔太郎(かわさきしょうたろう)さん

PROFILE
株式会社ニト 代表取締役。明治学院大学心理学部卒業後、株式会社LITALICOに入社。教室運営や児童養護施設の訪問支援などに携わる。退社後、精神障害グループホームを事業とする会社設立を経て、2025年に株式会社ニト設立。2児の父。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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