小学生で軽度知的障害、自閉スペクトラム症と診断された弟。きょうだい児としての経験と、学びから気づいた社会支援【小児精神科訪問看護】
0~18歳を対象とした小児精神科訪問看護などを行う、株式会社ニト。代表取締役 川﨑翔太郎さん(35歳)には、2歳違いの弟がいます。弟は小学生のときに軽度知的障害、自閉スペクトラム症と診断されています。
川﨑さんに、きょうだい児のことや弟の就業、株式会社ニトが行う小児精神科訪問看護について聞きました。全2回インタビューの後編です。
弟の面倒を見るのは、ごく自然なことと思っていた
川﨑さんの弟さんは、小学校中学年のときに軽度知的障害、自閉スペクトラム症と診断されました。小学校、中学校では、不登校になった時期もあります。川﨑さんは、弟さんの面倒を幼いころから見ていました。
――川﨑さんは、自身がきょうだい児であることを、当時はどのように感じていましたか。
川﨑 私は父親を早く亡くしています。母は、私たちを育てるために一生懸命働いていたので、私が弟の面倒を見るのはごく自然なことでした。当時は特別なこととは感じませんでした。「きょうだい児」という言葉も広く知られていなかった時代だからかもしれません。
場の空気を読むとか、人の感情を読み取るとか、段取りをするということが苦手だった弟は、いろいろ生きにくかっただろうと思います。
ストレスがたまって、破壊的な行動をすることもありました。
改めて振り返ると、私自身にも、さまざまな負担はかかっていたと思います。たとえば子どものころから、弟がどこかに行くときは、私が必ず付き添っていました。その日は、友だちと遊べません。
また弟は運動が苦手なので、キャッチボールなどをして遊んでも、対等にはできません。小学生のころは、そうしたことにモヤモヤすることもありました。
その気持ちを初めて打ち明けたのは、大学生になってからです。気の合う友だちが1人できて、その友だちに打ち明けて、気持ちがラクになったのを今でも覚えています。
祖父のクリーニング店で働き、独学で国家資格の「クリーニング師」に合格!
弟さんは、川﨑さんの支えもあり、無事に特別支援学校を卒業します。
――特別支援学校卒業後の進路を教えてください。
川﨑 特別支援学校を卒業後、祖父が営むクリーニング店で一緒に働いていました。弟は、独学で国家試験の「クリーニング師」に合格しています。試験のための講習会などもあるのですが、経済的な事情で弟は通えず、独学で勉強を続けました。試験は年に1回しかなく、何度か落ちましたが、最終的には合格して、国家資格を取得しました。
私は国家資格をもっていないので、弟が合格したときは素直にすごいなと思いました。
でも祖父が亡くなったこともあり、残念ながらクリーニング店は閉店することになりました。
――現在の弟さんについて教えてください。
川﨑 現在33歳になった弟は、就労継続支援A型事業所に通って、パン作りをしています。自分たちが作ったパンを販売して、お客さんに「おいしい」「また買いに来るね」と言ってもらえることがうれしいようです。夢は、就労支援ではなく一般企業でのパンを作る仕事に就くことだそうです。
私も食べさせてもらったことがありますが、本当においしいんです。そのことをストレートに伝えると、弟はとても喜びます。だれでも、自分が作ったものが認められて承認されるという経験はうれしいと思います。
弟のうれしそうな表情を見るのが、私の喜びでもあります。
小児精神科訪問看護は選択肢のひとつ。子どもと家族に合う支援を
川﨑さんは大学卒業後、就労支援や児童養護施設への訪問支援などを行う企業に就職。これまでの経験をいかして、2025年に小児精神科訪問看護などを行う株式会社ニトを設立しました。
――株式会社ニトの小児精神科訪問看護について教えてください。
川﨑 ニトが展開する小児精神科訪問看護は、0~18歳が対象です。現在の在籍者は約150名(2025年11月現在)で、発達特性があり不登校だったり、多動傾向や対人関係が苦手など、さまざまな特性がある子どもたちがいます。利用者の約30%は、不登校の子どもたちです。
――訪問看護での、具体的な支援について教えてください。
川﨑 子どもの特性などによって、支援の方法はさまざまですが、小学4年生のAくんの例を紹介します。Aくんは不登校になり、自分の部屋に引きこもっていました。
看護師がAくんの自宅にうかがっても、Aくんは部屋から出てきません。そのため看護師は、子ども部屋のドア越しにAくんに話しかけました。自己紹介をして、話の内容はたわいもないことです。「Aくん、返事をして!」と言ったり、説得などはいっさいしません。Aくんからも、もちろん返事はありません。看護師は何回か通い、やはりたわいもない話を続けました。そのうちに、Aくんがせき払いをしてサインを送ってくれるようになりました。2カ月通って、やっとAくんが子ども部屋から出てきてくれました。Aくんは看護師を「自分のことを理解してくれる人」とわかって、心を開いてくれました。子ども部屋から出られたことが、Aくんにとっても、家族にとっても大きな前進でした。
――幼児の利用では、どのようなケースがありますか。
川﨑 発達特性によっては、何かあるとほかの子をたたいてしまったり、多動傾向があったりして、保護者がほかの子どもとかかわらせるのを躊躇しているケースなどもあります。
ニトの小児精神科訪問看護では、子どもの特性に応じて、たとえば言葉で自分の気持ちを伝えるのが苦手で、友だちに手が出てしまう子には、看護師が「おもちゃ貸して」などのやりとりから、ていねいに教えていきます。
子どもの特性に合わせて、保護者と話し合い、その子に合う支援の方法をひとつひとつ探っていきます。
――通所の個別療育、集団療育、放課後等デイサービスなど、さまざまな発達支援がありますが、訪問看護の必要性について教えてください。
川﨑 児童発達支援は、ニーズに合わせて選べることが必要だと考えています。訪問看護も選択肢のひとつです。療育に通えない場合、家から出たくない場合などに選んでほしいと思います。
社名の「ニト」は、ラテン語のNitōr(輝く)と、「二途(ふたつのみち)」という意味をかけ合わせました。
「Aしかない」と言われるよりも、「AかBがあるけど、どちらがいい?」と選べるほうが、子どもも保護者も行き詰らないと思います。
保護者には、子どもの笑顔が輝く道を選択してほしいと願っています。
お話・写真提供/川﨑翔太郎さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
ニトの公式サイトには「障害のある子どもに“10年先”を見すえた支援を」と記されています。川﨑さんは「子どもの困りごとや保護者の悩みは、子どもの成長と共に変わっていきます。訪問看護は、子どもと保護者、看護師がチームとなり、長期にわたって寄り添えることが利点」と話します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
川﨑翔太郎(かわさきしょうたろう)さん
PROFILE
株式会社ニト 代表取締役。明治学院大学心理学部卒業後、株式会社LITALICOに入社。教室運営や児童養護施設の訪問支援などに携わる。退社後、精神障害グループホームを事業とする会社設立を経て、2025年に株式会社ニト設立。2児の父。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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