小学6年生の5月、突然「右足首が痛い」と言い出した長男。MRI検査で写し出されたのは白く大きな影【小児がん・骨肉腫】
香川県在住の山本裕子さんの長男、陽向(ひゅうが)さん(17歳・高校2年生)は、小学校6年生のとき、突然、歩くのも困難なほど右足が痛くなり、さまざまな検査の結果、骨肉腫と診断されました。そのとき裕子さんの第2子は、まだ2歳でした。
陽向さんが足の痛みを訴えた後、裕子さんはどのように行動したのでしょうか。全2回のインタビューの前編です。
陣痛から出産まで時間がかかったけれど、元気に生まれてくれた息子
裕子さんが陽向さんを妊娠したのは35歳のときでした。
「初産なので不安はありましたが、妊娠した喜び、初めて胎動を感じたときの感動、性別がわかったときの驚きと喜びなど、妊娠中は幸せを感じることばかりでした。
陣痛から出産まで20時間かかり、最終的には吸引もしたので、安産とは言えなかったけれど、息子は元気に生まれてくれました。
陽向は何事にも一生懸命に取り組む子で、とくに4歳から始めたエレクトーンはいつも熱心に練習していました。そのおかげで、ヤマハが開催するエレクトーンフェスティバルでは4年連続でグランプリをいただきました」(裕子さん)
陽向さんが9歳のとき、妹が生まれます。
「陽向のきょうだいが欲しいとずっと考えていましたが、子どもは授かりものだからとのんびりしていたら、待望の第2子を妊娠したとき私は44歳に。年齢のこともあり、予定帝王切開での出産となりました。
陽向は妹が生まれたその日から妹を大切に思ってくれ、お世話をかなり手伝ってくれました。とても頼りがいのある陽向に、私はずいぶんと助けられました」(裕子さん)
近所の整形外科では「原因不明」。大学病院を紹介され精密検査を受けることに
裕子さんたち家族の穏やかな生活に異変が起こったのは、2020年5月、ゴールデンウイークが明けたころ。陽向さんは11歳、6年生になったばかりでした。
「陽向が突然、『右の足首が痛い』と言い出したんです。でも見た目にわかるような異常は見られません。新型コロナウイルス感染症が流行し始めていて、不要不急の外出を控え始めていた時期だったこともあり、しばらく様子を見ることにしました。
全国的に学校が休校になっていた時期で、陽向も家で過ごしていたのですが、5月25日に6年生だけ登校することになり、久しぶりに学校へ。すごくうれしそうに学校に向かったのに、帰ってきたとき最初に出た言葉は『病院に行きたい』というものでした。
家にいる間はあまり感じなかったけれど、登下校と校内での移動で歩いたことで、数週間前から痛いといっていた右の足首あたりが、すごく痛くなったと言うんです」(裕子さん)
裕子さんはすぐに陽向さんを連れて近所の整形外科クリニックを受診。足のX線写真を撮ってもらいました。
「見せてもらったX線写真は、左足よりも右足の骨のほうが白くて太いように感じました。先生の見解は『疲労じゃないか』でしたが、原因がわからないから、車で20分ほどの場所にある国立病院を受診することを提案してくれ、紹介状を書いてくれました。なかなか予約が取れない病院とのことでしたが、とても幸運なことに翌々日の予約が取れました」(裕子さん)
翌々日の朝、下の子を保育園に預け、裕子さんは陽向さんを連れて国立病院を受診します。
「まず採血をしました。陽向は注射が大嫌いなので、頑張って採血したごほうびにジュースを買って診察室の前に戻ると、看護師さんたちが私たちを探していて、『急いで診察室へ』と言うんです。促されるままに診察室に入ると、先生が『すぐMRIの検査をしましょう。今予約があいているからすぐに検査室に行ってください』と。この言葉を聞いたとき、なんとなく嫌な予感がしました。
MRIを撮るまでに1時間以上かかり、その結果を待つのにまた時間がかかり・・・。その間、私はずっととても緊張していて、心臓がどきどきしていました」(裕子さん)
午後2時ごろようやく名前が呼ばれ、裕子さんと陽向さんは結果を聞くために診察室へ。
「先生はMRIの画像を見ながら、『ここにあきらかに腫瘍があります』と言うんです。右足首の上です。画像を見た私にも腫瘍の存在がわかりました。
続けて先生は、『大学病院に足の腫瘍の専門の先生がいるから、そこで診てもらいましょう。すぐに紹介状を書くから待っていてください』と言いました。
紹介状を作ってもらうのを待つ間に、病院内の食堂で遅い昼食をとり、受付に戻ると、先生が『明日、大学病院を受診して』と。明日?そんなに急に??というのが最初の感想でしたが、それくらい急を要することなんだ、陽向の病気は深刻なものなんだと、厳しい現実が迫ってくるのを感じました。
国立病院では具体的な病名は示されなかったと記憶しています」(裕子さん)
大学病院では検査に次ぐ検査。入院までは「自分の足で歩かないで!」と・・・
翌朝、車で1時間ほどの場所にある大学病院を受診した裕子さんと陽向さん。国立病院から持参したMRI画像を見た先生は、さらに詳しく診るために造影剤を使ったMRIの検査を手配しました。
「その病院内でMRI検査を受けるには時間がかかるというので、提携している外部の病院で検査を受けることに。すぐそちらの病院に移動して検査を受けたのですが、検査が終わるまでに2時間近くかかりました。検査を終えて大学病院に戻ると、CTとX線写真の撮影、血液検査と、検査に次ぐ検査が待っていて、さらに、その日はできなかったほかの検査の予約もしました。
そして最後に、『3日後の6月1日に入院しましょう』と言われたんです。陽性か悪性かは入院後に生体検査をしないとわからないそうで、このときもまだ病名は告げられませんでした」(裕子さん)
裕子さんは不安な3日間を過ごします。そして陽向さんは入院するまで、松葉づえを使って生活することになりました。
「本当は車いすを使うほうがよかったそうなのですが、自宅はエレベーターのないマンションの3階にあったので、車いすは無理だったんです。リハビリ室で松葉づえの使い方を少し練習して帰るとき、リハビリの先生が『自分の右足では絶対に歩かないこと!!』とすごく強調しました。右足を使わずに左足と松葉づえだけで歩いて、ということです。
このときは理由を聞きませんでしたが、万一骨折するとがん細胞が周囲に広がってしまう危険な状態だったと、あとから聞きました。
幸い骨折はしなかったけれど、もしも骨折していたらと思うと、今でもぞっとします」(裕子さん)
「骨肉腫」と告げられたとき、息子をどうフォローするか以外考えられなかった
陽向さんは2020年6月1日に大学病院に入院。6月4日に腫瘍の一部を取り出して良性か悪性かを診断する生体検査を受けました。
「検査を担当した先生から、『残念ながら悪性でした。骨肉腫です』と告げられたとき、正直、実感がありませんでした。骨肉腫という病気があることは知っていたし、がんであることも理解していたけれど、現実感がなかったんです。その一方で、足首にできた腫瘍を取り除くとなったら、足を切断するしかないのだろうとも考えていました。
このとき私の頭の中を占めていたのは、自分を襲った病気のこと、そして足を切断することを、陽向が受け入れられるのだろうか、ということだけでした。義足になったら自転車とかはどうなるんだろう、将来、車の運転はできるだろうか、就職するとき苦労しないだろか・・・などなど、これからの陽向の生活をどうフォローすればいいのかということばかりを考えて、悲しいとかつらいとかいった、自分自身の感情に向き合う余裕はありませんでした」(裕子さん)
陽向さんは抗がん剤治療で腫瘍を小さくしたあと、手術で腫瘍を取り出し、再度抗がん剤治療を行うという、骨肉腫の標準治療を受けることになりました。
「陽向の主治医は整形外科の先生ですが、抗がん剤治療は小児科の先生が担当するので、小児科病棟に入院しました。その病院は、小児科病棟では24時間の付き添いが必要で、陽向の入院は8カ月くらいかかるだろうとのこと。付き添い入院をする間、娘の面倒をだれにお願いするか、仕事をどうするかを、短期間で決めなければいけなくなり、すごくあわてたことを今も鮮明に覚えています。
娘は自宅近くの私の実家に預かってもらうことになり、会社には退職覚悟で半年間の休暇を願い出ました。ありがたいことに会社が応援してくれ、半年間は介護休暇扱いにしてくれました」(裕子さん)
抗がん剤が合わずアナフィラキシーを起こす。手術前に腫瘍が9割残っていた
術前の抗がん剤治療が始まると、陽向さんに思わぬ症状が現れてしまいました。
「薬を変えながらの抗がん剤治療が始まりましたが、3つめの薬が陽向に合わず、アナフィラキシーを起こし、腎不全になってしまいました。1週間、透析治療が必要でした。そしてこの薬はもう使えないので、治療法を変更せざるを得なくなりました。
骨肉腫と診断されたとき、『5年生存率は70%』と説明を受けましたが、治療法が変わったことで、5年生存率が60%に下がってしまいました。すごくショックでした。治療法が変わった影響もあるのか、手術前のつらい抗がん剤治療が終わったとき、腫瘍はまだ90%以上残っていたんです。
抗がん剤の治療中、陽向は吐き気に襲われて食欲もなく、髪の毛はどんどん抜けていき、とてもつらそうでした。そんな思いをして頑張って抗がん剤の治療を受けたのに、腫瘍が小さくならないなんて・・・。やりきれない思いでいっぱいになりました。
でも、骨肉腫は手術で腫瘍を取り除くことができる。陽向は絶対助かる!そう信じて手術の日を待ちました」(裕子さん)
腫瘍を取り除くために足を切断することを覚悟していた裕子さんですが、医師からは違う説明を受けました。
「陽向の骨肉腫は足首周辺にできていました。これは珍しいことらしく、適切な人工関節がないというのです。この説明を聞いて、私は『やっぱり足を切断するしかないんだ』と覚悟しました。
ところが医師は、足を温存する方法を取ると言ってくれました。
患部の骨を体外に取り出して放射線を当て、残っているがん細胞を死滅させたあと、元の位置に戻します。そして、戻した骨の真ん中にチタンの棒を入れ、腓骨(ひこつ・ふくらはぎにある2本の骨のうちの1本)とつなぎ合わせるという方法だそうです。こうすることで、一度体外に取り出した骨も時間をかけて再生するのだとか。
こんなうれしいことはありません。陽向はきっと元のような生活が送れるようになる!と、希望の光が見えた気がしました。
手術を行ったのは2020年9月11日。約8時間に及ぶ大手術でした。手術後に切除した患部を見せてもらったところ、不謹慎ですが鶏もも肉1枚くらいに見え、どれが腫瘍かはわかりませんでした。腫瘍の周辺の健康な部分も大きめに取り除くと手術前に聞いてはいましたが、とても複雑な心境でした」(裕子さん)
手術後も陽向さんの入院は続き、裕子さんの付き添い生活も続きます。裕子さんは実家に託した下の子のことがずっと気がかりでした。また、陽向さんが楽しみにしていた修学旅行に参加する方法はないかと、思いをめぐらせていました。
お話・写真提供/山本裕子さん 取材協力/NPO法人未来ISSEY 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
「それまでは、心配になるような病気になることはほとんどなかった」という陽向さんが、11歳で骨肉腫というシビアな病気を発症し、裕子さんたち家族の生活は一変。だれもがつらく、我慢を強いられる日々が、長期間続きました。
インタビューの後編は、陽向さんの長期入院生活のときのお友だちとのかかわりや、退院後の学校生活などについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山本裕子さん(やまもとひろこ)
PROFILE
17歳の男の子と8歳の女の子の母。大阪や東京で情報誌の編集に携わったのち、結婚・妊娠。故郷の香川県に戻り、出産。第2子が生後4カ月のときから、丸亀・宇多津の情報誌「マルータ」の編集者となり、地域密着の情報を発信。第1子の骨肉腫発症を機にNPO法人未来ISSEYでの活動も始め、2025年11月からTikTokのライブ配信も担当。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年1月の情報であり、現在と異なる場合があります。


SHOP
内祝い
