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盲目の芸人・濱田祐太郎、少年時代の思い出「ポケモンゲームの画面が見えなくなっても、記憶したマップと音で遊んでいた」 

更新

右手に白杖を持つ濱田祐太郎さん。

2014年にお笑い芸人としてデビューし、2018年の『R-1グランプリ』(フジテレビ系列)で優勝、16代王者となった濱田祐太郎さん。自身が盲目であることも「視覚障害者あるある」などとして漫談のネタにする濱田さんに、子どものころの視力や、成長の過程について聞きました。全2回のインタビューの前編です。

子ども時代、視力が落ちていくことは「しょうがなかった」

子ども時代の濱田さん。

――濱田さんは生まれつき先天性緑内障(※)があるそうですが、いつごろ、どんな症状からわかったのでしょうか。

濱田さん(以下敬称略) 赤ちゃんのころから眼科に通院していて、目が見えにくい状態でした。左目は生まれつき失明していて、右目の視力は0.03〜0.04くらいだったようです。物心ついたときから自分が目が悪いっていうことはわかっていたけど、その事実があるだけで、自分が何の病気なのか全然興味がなかったので、自分から知ろうとすることはなかったと思います。

はっきり「緑内障」という名前を認識したのは小学校高学年くらいのころだったかもしれません。診察室での雑談の中で先生がその病名を言って「あ、そういう名前なんや」って知った程度です。

――どんな治療をしていましたか?

濱田 小学校4年生くらいまで、1〜2年に一度手術を受けていたと思います。手術をしなければいずれ失明してしまうけれど、手術をするとそれまでより視力が落ちてしまうという手術でした。手術のたびに視力が落ちていったと思います。

――手術の怖さはありましたか?

濱田 手術は全身麻酔でやりますし、手術前には気持ちを落ち着けるような薬を飲んでいたと思うので、そこまで大暴れしたりするようなことはなかったと思います。

――手術をするのに視力が落ちてしまうことをどう感じていましたか?

濱田 小さいころからその手術を繰り返してるので「しょうがない」としか思うことないですよね。治るもんでもないし、止められるもんでもないから。受け入れようが、受け入れまいが、そこにあるから、しょうがないって感じでした。

ただ、大好きだったポケモンのゲーム画面が見えなくなったと認識した瞬間はショックでした。「うわー、できひんようになるか」って。でも、ポケモンはかなり長時間やりこんでたから、マップも記憶してたし、戦うときに出てくるポケモンの鳴き声とかで覚えてたんで、見えなくなったあとも音をメインにゲームで遊んでいました。

――だんだん見えなくなっていくことへの怖さのようなものはあったのでしょうか。

濱田 怖さはなかったです。ただ、中学生のころはアニメが好きで、いわゆる中二病みたいな時期でした。「もし次の日の朝、起きて目が見えなくなっていたら・・・。そんな宿命を抱えた俺ってかっこいい・・・!」みたいな気分に浸る遊びはしていましたね。

※ 生まれつき隅角(ぐうかく)という部分に発育異常があり、眼圧が上昇して視神経に障害が生じる病気。

アニメやゲームが大好きだった少年時代。中学生で夢見たお笑い芸人

「目の見えない俺が自分なりのアイーンをやってみました」(濱田さんインスタグラムより)

――小・中学校時代はどんな子どもでしたか?

濱田 地元の学校に通っていて、アニメやゲームが大好きでした。『遊☆戯☆王』『ポケットモンスター』『るろうに剣心』『魔法陣グルグル』とか、夏休みの再放送アニメなんかも見てました。あとはゲームですね。わざわざ公園に行って友だちと一緒に携帯型ゲーム機のポケモンで遊んだりしていました。

中学生のころお笑い番組を見たことがきっかけで、お笑い芸人になりたいと考えるようになったと思います。バラエティ番組が大好きだったので、漠然と「テレビにたくさん出られる芸人になりたい」と思っていました。

――障害が芸人になる壁になるんじゃないか、と考えたことはありましたか?

濱田 そのときはなかったです。当時のバラエティ番組ってまだいろいろとゆるかったんで、芸人が観覧のお客さんに向かって「おまえ、ブサイクやなぁ」なんて言ったりしてたから。そんなろくでもないやつが芸人になれるんやったら、俺でもできそうやなって思ってたんで・・・。目が見えないことが芸人になる上で邪魔になるようなことはないと思っていました。

ただ、芸人になってから劇場でライブするためのオーディションのときに、スタッフの人から明らかに差別を受けたことがありました。そこからは障害があるという壁について強く意識するようになったと思います。

――高校時代はどのような生活でしたか?

濱田 高校・専攻科の6年間はろう学校の寄宿舎で生活しました。寄宿舎では、食事は朝も夜も給食が出るので自分で料理することはなかったですけど、洗濯は寄宿舎にある洗濯機で自分でやっていました。

学校の授業では白杖の使い方とか、自立するための日常的な練習を習っていました。

――濱田さんはXで投稿もしていますが、iPadなどのデバイスの使い方も学校で習ったのでしょうか?

濱田 これは習っていなくて、完全に独学です。僕は行ったことはありませんが、日本各地にある視覚障害者を支援する「ライトハウス」という施設では、スマホの音声読み上げ機能の操作方法などを教えてくれることもあるらしいです。

僕の場合は、画面の内容を音声で読み上げる機能を使って、キーボード入力する文字を確認しながら、Xに投稿しています。

日常生活でそこまで困ることはないけれど・・・

エッセイ本の手渡し会。(濱田さんインスタグラムより)

――今、濱田さんが生活している中で、不便に感じることはどんなことですか?

濱田 基本的に1人で出歩くことがないので、そこまで困ることがないんですけど・・・1人で外出すると考えると、やっぱり買い物とかは困ると思います。まずスーパーやコンビニまで1人では行けないだろうと思いますし、行ってもどこにどんなものがあるかもわからないですし。飲食店もそうです。1人で外食はしないです。

飲み物とか日持ちする軽食とか、日用品の買い物は、通販で買えるものは通販で買っています。それ以外は、知り合いが出かけるときに連れて行ってもらったり。最近は「同行援護」というサービスの利用を考えようかな、と思い始めています。

――同行援護、とはどんなものですか?

濱田 僕もまだ詳しくは知らないんですけど、視覚障害のある人が仕事以外の買い物とか、通院などで外出するときの移動をサポートする福祉サービスらしいです。日時を指定して依頼すると、目の見える人が付き添って一緒に外出してくれるらしいんですが、私生活の援護だから仕事場に一緒に行くことはできないそうです。

僕は今は、仕事のときはマネージャーと一緒に行動して、プライベートではあまり頻繁に出かけることはないんですが、こういった福祉サービスの利用も考えようかと思っています。

――最後に、障害のある子どもを育てる家族にメッセージをお願いします。

濱田 目が見えない場合は、外に出るとけがをする可能性が高くなると思うんです。そこだけ注意してあげたら、それ以外に関してはどんな子であれ自分の力で育っていくことができると思うので、あまり過剰に心配しすぎなくていいのかなと思います。

僕はこれからもお笑い芸人として活動していくので、どこかで見かける機会があったら応援してもらえたらありがたいです。あとはライブのオンライン配信もしているので、ぜひ配信チケットを買ってください!(笑)

お話・写真提供/濱田祐太郎さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

オンライン取材で濱田さんは、目が見えない人の暮らしや成長過程のことについての質問にもていねいに答えてくれました。後編ではお笑い芸人として活躍する今現在やこれからのことを聞きます。

濱田祐太郎さん(はまだゆうたろう)

PROFILE
お笑い芸人。1989年9月8日生まれ、兵庫県神戸市出身。吉本興業所属。2013年より芸人として活動を開始し、『R-1グランプリ2018』(カンテレ・フジテレビ系)にて優勝。現在は関西の劇場を中心に舞台に立つほか、テレビやラジオなどでも活躍。2025年5月には吉本新喜劇とのコラボ舞台で主演を務める。レギュラー番組に『オンスト』(毎週金曜日/YES-fm)。

濱田祐太郎さんのYouTube

濱田祐太郎さんのX

濱田祐太郎さんのInstagram

『迷ったら笑っといてください』

盲目の芸人・濱田祐太郎による初エッセイ。自身の視点で多様性や偏見についてユーモアたっぷりに語る1冊。濱田祐太郎著/1980円(太田出版)

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