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4歳と2歳のママ、TBSアナウンサー・高畑百合子。娘が「インフルエンザ脳症」で入院。死や障害という言葉に直面し、自分を責めた地獄のような1週間・・・

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水族館に出かけたときの、高畑さんと子どもたち。
水族館に出かけたときの、高畑さんと子どもたち。

4歳の男の子と2歳の女の子のママであり、今年4月には、3年8カ月間の産休・育休から復帰した、TBSアナウンサーの高畑百合子さん。40歳を過ぎてから、1歳半違いで2人のお子さんを出産し、大学時代の事故により左足下腿を切断しているパラアスリートの夫・堀江航さんとともに日々子育てに奮闘しています。今回は、仕事と育児の両立や、長女が1歳半のときに患ったインフルエンザ脳症について、また、パラアイスホッケーでのパラリンピック出場が決まった堀江さんとの生活について聞きました。
全2回インタビューの前編です。

夫婦で不規則な仕事に、保育園は別々。仕事と子育ての両立は、ギリギリの崖っぷち状態!?

公園に遊びに行ったときの、家族4人での1枚。
公園に遊びに行ったときの、家族4人での1枚。

――今年に入って職場復帰をして、今はどんな生活を送っていますか?

高畑さん(以下敬称略) 子どもたち2人分の産休と育休を経て、今年の4月から、徐々に仕事に復帰しました。先月4歳になったばかりの長男と2歳の長女は、毎日元気に保育園へ通っています。ただ、空きが無いため、同じ保育園に通うことができていなくて・・・。家を挟んで右と左と、全然違う方向に保育園があるんですよ。それもあり、今は仕事との両立で四苦八苦しています。

保育園への送り迎えは、基本的には夫と分担していますが、それもなかなか難しくて・・・。夫が先日、パラアイスホッケーで『ミラノ・コルティナ2026 冬季パラリンピック』に出場することが決まりました。それはとてもうれしいことなのですが、アイスホッケーはチームスポーツなので、今後はチームでの動きがどんどん増えていくんです。合宿や海外遠征で1〜2週間不在になったりすることも。今まで以上にワンオペの時間が増えていくので、子育てのリズムがつくりにくくなります。

さらに私自身も、仕事が朝から始まる日もあれば夜からの日もあるので、夫婦でその都度、予定をすり合わせていくのが、すごく大変な作業です。この4年間も、1日1日を話し合いながら乗り越えてきた感じです。

――育児を助けてもらえる人はいるんですか?

高畑 それが、高齢出産のしんどい点のひとつだなと痛感するのですが、子育てで自分の親に助けてもらいたい時期には、自分の親も高齢になっているんですよね。私が、自分の母に頼りたいと思っても、母ももう70代後半。メンタル面で救われることはあっても、体力的に不安な年齢なので、頼りきることは難しいです。

でもやっぱり、自分たちだけではどうにもならないときもあるので、地域のファミリーサポート事業を利用しています。登録すると、サポートに協力してくれる方とサポートを受けたい家庭をマッチングしてくれるんです。本当にありがたいことに、このサービスがきっかけで、とてもいいご縁をつくっていただけました。ファミリーサポートの方に、わが家が一番バタバタする曜日の夕方の時間帯に、週1回お願いしています。

仕事と子育ての両立という面では、本当にギリギリな感じ。コップの水が、表面張力で盛り上がっているような、今はそんなイメージですね。さらに、自分のメンタルコンディションによって、その日の“色”が変わってしまうことも痛感しています。

――現在は、どのような形で復帰されているのですか?

高畑 4月から仕事復帰という形にはなっているのですが、会社にはかなり配慮をしてもらっています。テレワークという形でできる業務もあるので、それを担当させてもらったり、オンエア前のヘアメイクなど準備時間が必要なく、ある程度時間の融通がきくナレーションやラジオの仕事を多めに入れてもらったり。ただ、独身のときのような仕事の詰め方はできていないので、重きをどちらかに置ききれないジレンマみたいなものを常に感じています。

もともと、計画的に行動するタイプだったので、自分のテンポで頭の中でイメージをして、それに合わせて自分自身をプロデュースしながら仕事を進めてきたところがありました。でも今は、それがまったくできない生活のままで仕事に復帰したので、今の環境で仕事を進める難しさを感じています。

――子どもたちはどんな性格ですか?

高畑 長男は学者肌で、3度の飯よりも研究が好き。彼の研究対象は、今は車です。図鑑も好きでよく読んでいるし、おもちゃの車を使って、自分なりにいろいろな研究をしています。「こっちの角度でこう入ったら、こうなるんだよ」みたいな感じで。私から見たら、遊びを超えているように見えます。

下の娘は、パリピです(笑)。上の子とは、全然タイプが違うんですよ。にぎやかなことが大好きで、みんながワイワイしている環境が好き。そして、とにかくすべてにおいてエネルギッシュです。

2人の性格の違いをはっきり感じた出来事があって。春のお花見で公園に行ったときに、全然知らないグループが宴会をしていました。息子は、その騒がしいグループの近くには近づきたくないという感じだったのですが、娘はその宴会グループが気になるらしく、はいはいして何度もその輪の中に入って行っちゃうんです。そのとき、「あれ、もしかしてこの子はパリピか?」なんて思いました(笑)

子どもたちが、私たち夫婦どっちに似ているかな?と考えたら、子ども2人とも私の性格をもっているように思います。私にも、仲間とパーッと盛り上がりたいときもあれば、今日は1人で家に帰って静かに過ごしたいというときもあって。私自身の両極端なところを子どもたちに見ている気がしますね。

運動面では、息子も娘もアスリートのパパの血が入っているなと感じます。2人とも、保育園で「ずば抜けて体幹が強いですね」と言われることがあって。とくに下の子はしょっちゅう言われます。

けいれんが止まらず、救急車で搬送。「障害が残るかもしれない・・・」と覚悟した

プールに出かけたときの、高畑さんと子どもたち。
プールに出かけたときの、高畑さんと子どもたち。

――娘さんがインフルエンザ脳症になって、入院したことがあるそうです。

高畑 1歳半のときのことです。長男が2024年の12月31日にインフルエンザになってしまったんです。娘も年が明けるまでは元気にしていたのですが、元日の夜に突然吐いてしまって、そこから高熱が出ました。でも、次の日に受診した病院では、インフルエンザは陰性。熱が下がらないまま、1月4日に再度病院にかかったとき、年明け初日の診察日で大混雑の待合室で待っている最中にけいれんを起こしてしまったんです。

緊急事態にすぐに対応してもらえたのですが、そこからが、私にとって地獄のような光景で。幼児がけいれんを起こすことがあることは知識として知っていましたが、それまで一度も経験が無く、最初はそれがけいれんかどうかもわかりませんでした。娘は白目をむいて全身硬直させ、よだれを垂らしガクガク震えていました。先生も血相を変えて、かなりバタバタとまわりに指示を出していたので、ただ事ではないことはすぐにわかりました。そこで言われたのは、「けいれん止めを入れましたが、けいれんが止まりません。インフルエンザも陽性です。ここでは対応できないので、今から救急車で大きな病院に運びます。すぐに準備してください」という言葉でした。

そこから大きな病院に運ばれて、救急の集中治療室へ。でも、1時間経っても2時間経っても、けいれんがおさまらず、これはかなり事態が深刻だということでした。「ここまでいくら処置をしてもけいれんがおさまらないので、次にかなり強い薬を使います。これを入れると、自発呼吸ができなくなりますが、いいですか?」と、書類に署名を求められました。そのとき、「死」という言葉がすぐ目の前に突きつけられたようで、息もできませんでした。

数時間後に会えたのは、たくさんの管をつけられて、ただ横たわっている娘の姿。その後、集中治療室(ICU)に入って、インフルエンザ脳症と診断されるまで3日かかったのですが、その間も意識はなく、管がついているだけ。指も動きませんでした。

ICUは付き添いがずっとはできないので、家に帰らないといけません。私はこのときの状況がショックすぎて、嗚咽が止まらず、吐きけがずっと続くような状態でした。そして、「どうして、陰性だった次の日にもう一度病院に連れて行かなかったんだろう。病院に行っていれば薬がもらえて、こんな事態にはならなかったかもしれないのに・・・」と、自分自身をすごく責めました。

夜中も娘の治療は続いていて、「大量の薬剤を投与します」や「脳波の状態はこうです」など、治療の次のアクションに入るときや状態を知らせるときなどに、深夜でも電話がかかってきました。夜中に病院から電話がかかってくるたびに、最悪の事態を知らされる恐怖で手が震えました。先生にまず「生きていますか?」と聞いて、「大丈夫ですよ」という確認をしてもらっていましたね。

先生からは最初の日に、「後遺症として、重大な障害が残る可能性も無くはない。完全にもと通りになるケースもあるし、現時点では半々です」と言われ、1週間後の脳の検査をするまでは、どうなるかはまったくわかりませんというお話でした。そのような状況で1週間過ごし、覚悟もしました。

――そこから、どのように回復したのですか?

高畑 それまではまったく反応がなかったのですが、1週間が経ったころ、検査のために体を固定しなければいけないというときに、急に暴れて嫌がって、「ママ〜」と叫んだんです。そうしたら、そこから「ママ〜、ママ〜」とずっと言い続けていて、検査室の中からも聞こえてきて。

言葉さえ出れば、今後の見通しはだいぶ明るくなると言われていたので、「ママ」と泣き叫ぶ声を聞いて「ああ、娘が泣いている」と、やっと安心できたことを覚えています。そこから自発呼吸の練習を始めて、管も1本ずつ抜けていって、一般病棟に移りました。「ママ」という言葉が出てから驚異的な回復を見せ、娘の場合は本当に幸運なことに、2週間で完全に回復し退院できました。

娘はとにかく、勢いの塊なんですよ。看護師さんにも「すごいポテンシャル」と言われるぐらい(笑)。回復し始めてからは、病院食も全部平らげていました。最後は、ウキウキで退院し、なんと、退院した2日後には凧揚げに行きました(笑)

後から聞くと、実際に障害が残る症例がインフルエンザ脳症には一定の割合であるそうで、どうなるかは本当にわからなかったそうです。娘の場合も、病院に運ばれたときは、インフルエンザ脳症としては深刻だったみたいです。

――高畑さんの人生観なども、この経験で変わりましたか?

高畑 娘を失うかもしれないと思ったとき、娘が抱っこをせがんでくる姿ばかりが脳裏に浮かびました。昨日まで、手を伸ばしてきて「抱っこ、抱っこ」とあんなに言ってきたのに、忙しいから、重いからという理由で、「後でね」と言ってしまったんです。「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。これからはいっぱい抱きしめてあげよう」と思っていました。

でも日常に戻ると、その魔法も1カ月ぐらいで切れてしまって(笑)。もう、今日の朝も娘と戦ってきましたよ!

フットワークが軽い夫との刺激的な人生!それを楽しむ余裕をもつのが、今のテーマ!?

日本代表として、パラアイスホッケーをプレー中の堀江さん。
日本代表として、パラアイスホッケーをプレー中の堀江さん。

――パパは左足下腿切断で、アスリートとして活躍している方です。子どもたちには、パパはどんなふうに映っているのでしょうか。

高畑 先日、パラリンピックの最終予選を子どもたちとテレビで見ているときに、子どもたちはすぐに「パパだ!」と指を指して。ホッケーの試合って、ものすごい防具をつけているので、大人が見ても背番号を理解しないとだれがだれなのかわからないんです。だから、それにはびっくりしました。その試合に勝ったことで、パパがパラリンピックに出場することも上の子は理解しています。そして数日前に私たちのミラノ行きも決まったんですが、ミラノに行くのはパパの応援だ、ということもすぐに理解していました。今は、「パパの応援がしたい」と言っています。

さすがに私1人で、子ども2人を連れてイタリアに行くのは難しかったのですが、同行してもらえる友人が見つかったんです。よかった・・・。

でも、現地で夫とコンタクトを取るのは難しいし、行く前の準備からすでにワンオペと考えると、不安もあります。今から息切れしそうです(笑)

自分にとっても子どもたちにとっても、ミラノ行きは経験値としてはすごく大きいと思うので、頑張るしかないと思っています。

――堀江さんはカヌーや車いすバスケット、アイスホッケーなど、さまざまなパラスポーツに挑戦しているんですね。

高畑 夫はフットワークがすごく軽くて、私みたいに、ひとつのことをやるのに、けっこうな準備とイメージトレーニングが必要なタイプとは違うんです。「やってみよう!」と、スッと新しいことに挑戦できるところは、本当に尊敬していました。あえて、過去形です(笑)

やっぱり子育てとなると、いろいろなことを突き合わせなくてはいけないことも多いのですが、彼のフットワークが軽い部分がネックになっているところもあります。

先の計画を立てたいときに、未来のことが読めないというのは、ちょっとしんどいことも。それが、今回のパラリンピックのように、うれしい結果につながることももちろんあります。私自身、そういう刺激的な人生を求めていたので、楽しみたいとは思っているんですけど。

それを楽しむだけの余裕をもてるかどうかというのが、私の中のテーマです。現実には、「なんで、明日のスケジュールがわからないの?」と、つい愚痴っちゃうんです。もしかしたら、結婚したばかりの時期とは、ちょっと違った自分になりかけているのかもしれません(笑)

お話・写真提供/高畑百合子さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

40歳を過ぎて1歳半違いの長男と長女を出産し、今年春に職場復帰をした高畑さん。お互いに不規則な仕事の上、夫・堀江さんのパラリンピック出場が決まるなど、未来が読めない刺激的な毎日を送っています。また、娘さんのインフルエンザ脳症を経験して、自分にとって、家族にとって大事なことを考えさせられたと言います。

後編では、出会って19日目に入籍をしたという堀江さんとの結婚、2度の流産と不妊治療について聞きました。

高畑百合子さん(たかはたゆりこ)

高畑百合子さんの宣材写真

PROFILE
1980年、東京都生まれ。TBSアナウンサー。2003年、TBSに入社。これまでに『みのもんたの朝ズバッ!』や『JNNニュース』などを担当し、現在はおもに、『ひるおび』『報道1930』などを担当。オリンピックや世界陸上、プロ野球など、さまざまなスポーツ中継も行ってきた。2019年、平昌パラリンピック・パラアイスホッケー日本代表の堀江航さんと結婚。2021年11月に第1子となる男の子、2023年6月に第2子となる女の子を出産。

高畑百合子さんのInstagram

高畑百合子さんのnote

●記事の内容は2025年12月の情報で、現在と異なる場合があります。

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