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ママたちの子どもの頃の日常がすごすぎる! 「今では考えられない昭和の日常」

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驚く女性
violet-blue/gettyimages

口コミサイト「ウィメンズパーク」には、昭和生まれのママから「よく考えれば昔の人はすごかった」と言う声が寄せられ、パート1で紹介しました。続いては「今では考えられない昭和の日常」編です。スマホ無しで待ち合わせ、個人情報の公開、幼稚園児のひとり歩きなど、アドベンチャーなエピソード満載です。

スマホがない日常は、待ち合わせも通話もドキドキの連続

昭和のありえない光景ダントツトップは

「スマホ、携帯電話なしの待ち合わせ」

携帯電話が一般的に普及したのは平成に入ってからでした。昭和は待ち合わせは綿密な打ち合わせをし、ハチ公前や銀の鈴など、わかりやすい場所を指定したものです。そして待ち合わせに大活躍したのが駅での掲示板です。

「駅の改札近くに、掲示板が必ずありました。“ドムドムで待ってます”と、チョークで書き残せば、ちゃんと会えました。今じゃ掲示板もドムドムもありませんが」

「携帯電話がない時代、友人の家へ電話をかけるときはいつもドキドキでした。ちょっと遅い時間は、一発で友達が出てくれないかなー、怖い親だったらいやだなーとか」

「親子電話って覚えてますか? 今は受話器が2台あっても1台しか通話できませんが、親子電話は片方の電話が通話中に、もう片方の受話器をあげると、通話が聞こえてしまうシステムです。友人が彼との通話を親に盗み聞きされて、大げんかしたと言ってました。お金持ちの家に多かった気がします」

続いては本名、住所、電話番号がおおっぴらに公開されていたエピソードです。

皆が知りたい情報は、個人情報でもどーんと公開

「個人の名前、電話番号、住所が記載された分厚い電話帳。テレビで素人の住所が事細かに紹介されたこともありました。すごい時代でした」

「昔の本には巻末に作者の住所、なんなら電話番号も載ってました。それを見てファンレターを書いた思い出があります。今じゃありえないし、ファンレターも死語ですよね」

「雑誌の文通相手募集コーナー。ペンフレンドってやつです。“当方、としちゃんのファンです。同じくファンで同じ学年の子で話が合う子を募集”みたいなコメントとともに、住所と名前と年齢が載ってました」

「公立高校の合格者一覧がテレビ(ラジオも?)で放送され、翌朝の新聞にも載っていました。それを見た親戚や小学校の恩師から、おめでとうの電話がかかってきました」

「合格者の名前は高校だけじゃないですよ。確か大学、専門学校、国家試験の名前も新聞に載ってました。個人情報だだ漏れでも平気なんて、いい時代でした」

「ローカルなラジオ番組で相手の学校名、学年と組、出席番号、フルネームと個人情報全公開して“大好きです“と、告白するコーナーがありました。いろんな意味でありえない」

ご近所付き合いも濃密でした。

「ご近所が留守だと、宅配物を預かるのが当たり前でした。今、思えば画期的なシステムですよね。復活させればいいのに」

「お隣の宅配物を預かるのはもちろん、祖母は急な雨が降ったら、お隣の洗濯物を取り込むことも普通にやってました。
たまに帰省しますが、今も同じような感じです。正直、高齢の親なのでご近所さんがいて安心です」

そして子どもの頃、現代では考えられないサバイバルな体験をしたという声もありました。

「3歳くらいから親ナシで遊んでいました。小1で自転車乗ってひとりで習字に行ってたし、高い橋になっている水道管の上を歩いたり。自分が親になってみて、ありえね〜と思います」

「子どもだけで山や川へ行って遊んでいました。おにぎり持参して、自生している果物食べて、寒いときは焚き火して(ちゃんと鎮火しました。良い子は真似しないでね)。アウトドアというよりサバイバルでした。ちなみに昭和後期から平成の話です。
親や教師からは“あの山はやめておけ。この山なら大丈夫”の警告のみ。大人になり野生動物が少ない山だから可能だったとわかります。
今は澄んでた小川は土色に濁り、山もジャングルみたいに繁って、とてもじゃないが子どもには真似させられません」

「兄の幼稚園は家から100mほどの距離です。母がお迎えに少し遅れたら、兄がひとりで帰ってきたそう。聞けば、園長先生が“近所だからひとり帰りなさい”と。今じゃありえないし、その後も何回かあったので、母は私を別の幼稚園にさせました」

「私が幼稚園のとき、帰りのバスで親が迎えに来ていないのに置いていかれました。ご近所さんが泣いている私を保護して、家にあげてくれました。迎えに来ない親も、置いてく幼稚園バスも、現代じゃ考えられない」

ほかにもあるある、昭和(平成初期)のエトセトラ

「昔の洗濯用粉洗剤の箱はバカでかかった」

「科学雑誌の付録で昆虫の標本を作るキットがあり、注射器が入ってた。防腐剤と思われる赤とか緑の怪しい薬品も入ってた」

「車の重(おも)ステ。当時のハンドルは両手でないと回せないほど重かった。駐車の切り返しはひと苦労だった。パワーステアリング(通称パワステ)になったとき、慣れなくて気合入れて回しすぎることが何度かあった」

「初期のインターネットは電話回線を使ってた。しかも時間制の料金だった」

「どこでもタバコが吸えた。駅、お店はもちろん病院の待合室、電車、飛行機、タクシーでも吸えた。学校の職員室なんて白く煙ってた」

「校門の前でひよこ売ってた」

「夫は中国地方の出身なんですが、小学校(もしかしたら幼稚園)の運動会には校庭に露店が出て、昼ごはんは親の弁当と一緒にやきそばやたこ焼きを食べたと言う。我が子のとき真顔で“露店は?”と、聞いてきて発覚した。本当かなぁ」

そして学校のありえない光景ダントツトップは

「体操着のブルマ。どうして女の子だけあんなもの穿かされたのだろう」

テレビの倫理観もここ数年で急速に変わった気がします。

「テレビでのおっぱいポロリ。子どもの私でも衝撃でした」

「芸能人の水泳大会の騎馬戦で、ポロリありましたよね。アイドルでも容赦なくて、でも丸見えなのはだいたい“このひとだれ?”というタレント。よく放映できたと思います」

「おっぱいポロリと言えば“ドリフの大爆笑”でしょう。今でもCS放送でやってます。息子はドリフが大好きでときどき見るのですが、たまにポロリがあって私が焦ります。息子はスルーしてます」

話し出したらきりがないほど、たくさんのエピソードが集まりました。緩かったのか、おおらかだったのか、微妙なところですが、昭和はたくましくて平和な時代だったように思えます。

文/和兎 尊美

■文中のコメントは口コミサイト「ウィメンズパーク」の投稿を抜粋したものです。

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