「地獄には限界がないのかな…」乳がん・不妊治療を経て奇跡の妊娠、46歳での出産。 だいたひかるさんインタビュー
乳がん治療を中断し、不妊治療を再開。妊婦となり今月出産されたお笑いタレントのだいたひかるさん。前回は「未来を切り開く片付け術」について語っていただきましたが、今回は「自分の命を懸けてでもやってみたい」と挑む出産前のお気持ちを独占インタビュー。乳がん罹患から不妊治療を経て授かった我が子への思いを語っていただきました。
※2021年12月取材。
「地獄には限界がない」絶望からの不妊治療再開
結婚後、不妊治療をしていただいたさんに乳がんが発見されたのは40歳の時でした。その後、43歳で再発。一時は妊娠を諦めたこともあったと言います。
――今まで一番しんどかったのはいつですか?
だいたさん(以下敬称略) 乳がんと告げられ不妊治療が強制終了されたときは、手術をすれば治るからと治療にも前向きでした。でも、その後リンパ節への転移が見つかり、抗がん剤治療の影響で子どもを諦めざるをえない状況に立たされたときは、地獄には限界がないのかな……と絶望しました。
――不妊治療の再開をどう決断しましたか?
だいた 不妊治療再開の大きなきっかけは、私の乳がんが遺伝性ではないことがわかったからです。がんになると、再発・転移が常に頭にあるので、残っている片方の胸と卵巣も予防的に切除し、老後はがんを忘れて楽しく生きていこうと考えていました。
けれど、遺伝性のがんではないとわかり、年齢的にも妊娠する確率は0%ではない。これはやってみる価値があるかもしれないと思いはじめた矢先に、凍結卵の保管期限の通知が届きました。残る卵は1個。ずっと冷たいところに5年間置いておいたので、1回だけでも温かいところに戻してあげたいなって。寿命が縮まったとしても賭けてみたい! 最後はそんな気持ちでした。
出産後、我が子には「ありがとう」を伝えたい
妊娠がわかった直後は、「嬉しさが1割。不安が9割」だったと話します。そのため、妊娠初期は生きた心地がせず、1日がとても長かったと振り返ります。
――妊娠発覚後、すぐに公表したのはなぜですか?
だいた 実はあれ、結構怒られました(笑)。みなさんがおっしゃる通り、リスキーですよね。でも、今まで乳がんや不妊治療を公言していたのに、妊娠をほのめかしたり、匂わせたりはしたくないなと。あるがままのスタイルを貫きたかったので、妊娠3週目くらいで発表しました。
がんに罹患し、1カ月後も1年後も保証がないと実感してからは、ブログには今ある事実を毎日、足跡を付けるように綴ってきました。これまで読者の方にはたくさん応援していただきましたし、「がんだけど頑張ろう」と励まし合ってきたので、「楽しく過ごそうみんなで」という気持ちで発信しました。
――出産を控えた現在の心境は?
だいた 臨月を迎え、もし、おなかの子が出てきても自分で呼吸ができるくらい成長してくれたので、やっとワクワクが増えてきました。もちろん不安もありますが、ここまで来られた奇跡と今の日本の医療があればどうにかできると信じています。
私の母が、「子育てが人生の中で一番楽しかった」と話してくれたことがあるのですが、その楽しみを実感するためにも、産後の自分には「死ぬなよ!」と言葉を贈りたいです。そして、夢を叶えてくれた我が子には「ありがとう」という言葉を贈りたいですね。
「全部肯定してあげたい」生まれ来る我が子への思い
出産間近の現在、ご主人とも子育てについて語らう機会が増え、夫婦でそのときを心待ちにしています。
――どのようなお母さんになりたいですか?
だいた 絶対に味方でいてくれた、私の両親のような親になりたいです。我が子の一番の応援団長として、ずっと味方でいてあげたいですね。全部肯定してあげたい……どんなことがあっても、親が愛情を持ち育てれば、変なことにはならないと思っています。
とはいえ、子どもは親の姿を見て育っていくので、夫婦でベッドの上でアイスを食べることがあるのですが、「子どもに真似されたら嫌なことはもうやめようね」って夫とは話しています(笑)。
――おなかの子は「男の子」だそうですね。
だいた 私は男の子が良かったので嬉しいです。女の子だったら、「こういう男はやめておけ」と箇条書きで綴ろうと思っていました(笑)。夫はなぜか女の子だと思っていたようでしたが、子どもも動物も好きな人なので、男の子でも可愛がってくれると思います。息子には、地球を楽しんでほしいです。
残り1つの卵子を子宮に戻すのは「ドラゴンボールを取りにいくような気持ちだった」と笑顔を見せるだいたさんは、すっかり母親らしい優しい顔つきに。辛い経験をしたからこそ人を思いやり、多くの幸せを実感できるだいたさんの子育ての様子も、いずれインタビューさせていただけたらと思います。
取材・文:佐藤 文子
だいたひかる
PROFILE
1975年、埼玉県出身。気になる人やモノに対し、「どーでもいいですよー」や「私だけでしょうか?」とツッコミを入れる漫談で人気を博し、2002年に第1回『R-1ぐらんぷり』で優勝。2016年、乳がんが発見され、右胸を全摘出。「1日1捨」の片づけ生活を始める。2019年に再発するも、闘病前から続けていた不妊治療により、2021年に妊娠。2022年1月に第1子出産。著書に「生きるために捨ててみた。」(幻冬舎刊)