術後、もうろうとする中での「ごめんね」という妻の言葉。小さく生まれた娘を守ると決めた日【体験談】
埼玉県に暮らす川満徹也さん(44歳・会社員)は、7才と3才の女の子のパパです。二女の夏歩ちゃん(3才)は、妻のひとみさん(37歳・看護師)が妊娠26週のとき、体重897gの超低出生体重児として生まれました。妊娠中から出産まで大変な状況が続き、無事に赤ちゃんが生まれてもひとみさんは自分を責め続けたのだそうです。夫・パパの立場から、ママと家族にどんなふうにかかわったのか、徹也さんに話を聞きました。
つわりや切迫早産で身体的にも精神的にも厳しい妊娠期
――妊娠中から出産までの状況を教えてください。
徹也さん(以下敬称略) 妻は妊娠判明と同時にひどいつわりで苦しんでいました。水分だけでもとれるようにレモン水を凍らせたレモン氷を作ったりしていましたが、それすらも口にできないほど。どんどんやせて衰弱してしまい、妊娠6週で入院となりました。その後退院して、切迫流産による自宅安静を経て、22週を過ぎたころに看護師の仕事に復帰したものの、さらに3週間後に職場で出血。病院で診てもらうと破水もしているとわかり、周産期医療センターに救急搬送されました。切迫早産で入院となり、おなかの張りを抑える薬などを使っていましたが、26週になり出血が増え、陣痛がきてしまったため、急きょ帝王切開出産となりました。
――妊娠がわかったころから26週での出産までずっと大変な状況が続いていたんですね。
徹也 切迫早産の入院中は、薬の副作用が強く、頭痛と睡眠不足でとてもつらそうでした。体もしんどい上に、ずっと横になっているのでいろいろと考えてしまうようで、精神的にもかなり落ち込んでしまっていました。そんな姿を見ているのもつらくて、これ以上赤ちゃんのための薬を増やさなくてもいいんじゃないか、とも思っていました。
妻はおなかの赤ちゃんのことを第一に考えていたから、その時は口に出すことはできませんでしたが・・・私は、もちろん2人とも助かってほしかったけれど、もしも万が一危険な状態になったときには、妻の命を助けてほしいと思っていました。
――切迫早産入院から1週間ほどして、緊急帝王切開分娩となったのでしょうか?
徹也 はい。26週に入ったある日、仕事中に妻から「これから手術するよ」というLINEがきて、急いで病院に向かいました。職場から病院まで1時間半ほどの距離を電車で向かう間、ずっと2人の無事を祈って落ち着かない気持ちでした。病院に着いたときに、看護師さんに「手術は終わり、奥さんは病室にいます」と言われました。
病室の妻は麻酔でぼんやりしている様子でしたが、私に「ごめんね」と言ったんです。妻のその言葉が、今も忘れられません。妻はそのときの記憶はないらしいんですが・・・、意識がもうろうとしている中でも「ごめんね」と言うなんて、きっとそれだけ妻の心に深く傷があるということだと感じました。
夏に向かって一歩ずつ歩いてほしい、と願いを込めて
――そのあと、赤ちゃんに対面したときはどう感じましたか?
徹也 夏歩は体重897g、身長34cmで生まれました。「小さいな」という感想が第一です。お姉ちゃんのときは立ち会い出産だったのですが、そのときの赤ちゃんのイメージとは違う姿でした。手のひらにおさまるくらいに小さい姿で、一生懸命生きているんだな、と感動したのを覚えています。
――生まれてから、医師からはどんな説明がありましたか?
徹也 これから72時間が勝負です、と言われました。72時間を乗り越えても、成長につれていずれさまざまな合併症が起こる可能性がある、という説明もされました。
厳しい話ではありましたが、看護師の妻から、赤ちゃんが小さく生まれる可能性があること、その場合どんな合併症があるかという話を事前に聞いていたので、動揺せずに落ち着いて受け止められたと思います。
また当時、『コウノドリ』というドラマを大好きで見ていたので、小さく生まれた赤ちゃんの健康面のリスクなどについてもなんとなく理解ができていたのもよかったと思います。
――夏歩ちゃんの名前にはどんな意味を込めましたか?
徹也 夏歩の名前は妻が考えてくれました。産後入院中に病院のベッドから夜空の月を眺めていたら思いついたそうです。夏歩の出産予定日は5月だったんですが、実際に生まれたのは2月、真冬のすごく寒い日。産後すぐは、1日1日無事に生きてくれるかどうかを祈ることが精いっぱいで、この子の未来を想像することができませんでした。
本来生まれる予定だった初夏の日まで一歩ずつ進めたら、その先の未来が見えてくるんじゃないか・・・夏に向かって歩く、という意味に私も大賛成し、夏歩と名づけました。
――徹也さんは夏歩ちゃんの面会には毎日行ったのでしょうか。
徹也 はい。コロナ前だったので、毎日仕事のあとに面会に行っていました。「今日も頑張ってるね」「今日パパはこんないいことがあったんだよ」「お姉ちゃんは嫌なことがあって泣いてたよ」なんて、家族の普段の生活でのできごとを、小さな夏歩に向かってずっと話しかけていました。そうするとたまに、錯覚かもしれないけど、「うんうん」とうなずくときがある気がして「おぉ、聞いてくれてるのか」とうれしくなって。毎日かわいい夏歩に会いにいく時間が楽しくてたまらなかったですね。
母乳バンクにドナー登録でき、妻の気持ちが少しずつ前向きに
――産後のひとみさんの体調はどうでしたか?
徹也 妻は1週間ほどで退院したんですが、帝王切開の傷が痛むのと、夜中も3時間おきに搾乳しないといけないこと、自宅から1時間の距離にある病院まで電車に乗って母乳を届ける日々はとても大変なようでした。自分にできることは搾乳しかない、と頑張っていましたが、赤ちゃんがいない中、夜中もアラームをかけて起きて、寒いリビングで搾乳する姿はとてもつらそうでした。
妻は母乳がよく出るタイプだったようですが、生まれたばかりの夏歩が1日に飲めるのはわずか数mlです。搾乳した母乳は、自宅の冷凍庫がいっぱいになるほど余ってしまっていました。でも母乳が出なくなってしまうので搾乳は続けなければならない。こんなに出るのに赤ちゃんに飲ませてあげられない寂しさと、母乳を捨てなくてはならない切なさもあったようです。
――その母乳を、小さく生まれた赤ちゃんのための母乳バンクに寄付したそうですね。
徹也 はい。ただ、母乳バンクに寄付するには提携病院に行ってドナー登録をする必要があるというハードルがありまし た。妻は、自分で母乳バンク理事長の水野先生に連絡し、ドナー登録をしたいと相談したそうです。すると水野先生が、当時のNICUの主治医にかけあってくれ、夏歩が入院している病院でドナー登録ができることに。
妻は、赤ちゃんをおなかで育ててあげられなかったと自分を責めて、自信をなくしていました。でも、母乳バンクに母乳を寄付して、小さく生まれたほかの赤ちゃんやママたちの力になれることが、妻の希望になったようです。産後落ち込みがちだった妻ですが、そのころから少しずつ前向きになれてきたように思います。
――産前産後はひとみさんの大変な状況が続きましたが、徹也さんはどんなふうに支えていましたか?
徹也 育休は取りませんでしたが、私の上司に相談すると「いつでも休んでいいよ」と仕事を調整してくれました。妊婦健診や入退院時にも休暇を取ることができました。また、妻が入院中は妻の母が泊まり込みで来てくれて、家事やお姉ちゃんの保育園の送迎をしてくれたので本当に助かりました。
支えるといっても、私が妻にしてあげられるのは前向きな言葉かけをすることくらいでした。自分を責め落ち込んでいる様子の妻に、「面会に行ったらこんなふうに元気に動いてたよ」「チューブが入ってるのに鼻水たらしてたよ(笑)」とか冗談を言いながら、なるべく笑えるような会話をするようにしていました。
私は会社に行き社会とのつながりがありますが、産後の妻は1人で家にいて、きっと孤独を感じていたんじゃないか思います。産後のママが孤独にならないよう、オンラインでもだれかが話を聞いてくれるような行政などのサポートを、入院中に紹介してもらえるしくみがあるといいと感じました。
――これからママ・パパになる人に伝えたいことはありますか?
徹也 赤ちゃんが小さく生まれてママが大変な状況のとき、パパができることは限られています。いつも隣にいるパートナーだとしても、おなかで赤ちゃんを育ててきたママの、本当の気持ちはわかってあげられないこともある。パパも、支えたくても初めてのことでどうしたらいいかわからないと思います。
だから、赤ちゃんが小さく生まれる可能性はだれにでもあることを知ってほしいです。そのためには、両親学級や病院の妊婦健診などで低出生体重児や早産のことを伝えてもらう必要があると思います。妻は今、小さく生まれた赤ちゃんのための家族会で活動していますが、万が一早く生まれても、そのようなグループがあると知っておくのもいいと思います。当事者同士だからこそ、気持ちをわかり、支え合えることがあるからです。産院にチラシを置いたり、紹介してもらったりすれば、小さく生まれた赤ちゃんのママやパパの助けになるのではと思っています。
【佐藤先生より】ママの気持ちをパパがしっかり支えたことが家族の大きな一歩に
NICUに赤ちゃんが入院するのは突然の出来事であることも多いです。NICUという言葉自体、あまり知られていないのが現実です。ママ、パパそれぞれが戸惑ったり、悩んだり、思いを巡らせながら日々赤ちゃんの成長を見守っていくことになります。
妊娠中から出産後のひとみさんのつらさを徹也さんがしっかり受け止め、支え続けたことで、川満ファミリーの大きな一歩が踏み出せたのだと思います。大変な生活の中、母乳バンクの寄付へのご尽力もうれしく思います。日本ではまだあまり浸透していない母乳バンクですが、欧米では広く普及しており、赤ちゃん自身のママの母乳がまだ少ない場合に、ドナーミルク(母乳バンクに寄付された母乳)をミルクよりも優先すべきとさえいわれています。母乳をあげることで、早産児特有の病気を防いだり、発達を促すことができます。
お話・写真提供/川満徹也さん、ひとみさん 監修/佐藤千穂先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
現在、夏歩ちゃんは3才。NICUを退院してから、感染症で何度も入退院を繰り返すなど健康面での心配はありましたが、大変な状況を乗り越え、今は元気に保育園に通っています。
ママのひとみさんは、産後に不安やつらい気持ちを抱いた経験から、小さく生まれた赤ちゃんの家族のための会を立ち上げました。オンライン交流会を行ったり、埼玉県でのリトルベビーハンドブック作成に協力するなどの活動をしています。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
佐藤千穂先生(さとうちほ)
PROFILE
かるがも上尾クリニック勤務。2005年愛媛大学医学部医学科卒業。川口市立医療センター新生児集中治療科、自治医科大学附属さいたま医療センター 新生児部門などでの勤務を経て、2021年より現職。日本小児科学会認定専門医、日本周産期・新生児医学会認定新生児専門医、国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)。