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妊娠26週で生まれた息子。「1週間が山場」と言われて頭の中が真っ白に。携帯の音に驚き、心配で眠れない日々が続く【体験談】

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生後すぐ、手術室から出てきた葉琥くんと謙太さんが初めて対面。

木下謙太さん(31才)は、妻の亜紀さん(31才)、1人息子の葉琥(はく)くん(1才7カ月)の3人家族。群馬県で暮らしています。葉琥くんは予定日より3カ月早く、妊娠26週4日で573gの超低出生体重児として生まれました。葉琥くんが生まれたときのことや、治療を頑張って成長してきたことについて、パパの謙太さんに話を聞きました。

お守りを握りしめ、妻と子どもの無事を祈った

――亜紀さんの妊娠の経過について教えてください。

謙太さん(以下敬称略) 妻の亜紀とは共通の友人の紹介で知り合い、お互い27才のときに結婚しました。結婚後すぐにでも子どもが欲しかったのですがなかなか授からなかったため、1年ほど不妊治療をしました。そして授かったのが葉琥です。
妊娠24週くらいまでは経過は順調だったんですが、妊娠25週の妊婦健診のとき、妻にむくみが出ているとわかり、大きい病院を紹介されて2〜3カ所の病院で見てもらいました。最終的に診察してもらった総合病院で妊娠高血圧腎症と診断されました。この病気は投薬治療があまりできないらしく、安静にして食事療法をする必要があるため、入院することになりました。

――妊娠高血圧腎症になると、おなかの赤ちゃんへも影響があるのでしょうか。

謙太 医師からの説明では、高血圧腎症のためにタンパク尿になり、おなかの赤ちゃんに栄養がいかなくなって発育が悪くなってしまうことがあるとのことでした。そのため、赤ちゃんの様子を見ながら、おなかにいたほうがいいか、出してあげたほうがいいかを判断するという説明でした。

そして入院から3日後に病院から連絡があり、赤ちゃんの心拍が下がり始めているため緊急帝王切開で出産をすると聞き、病院に駆けつけました。予定日は7月7日でしたが、その日は4月初旬。あまりに早い出産となり驚きましたが、手術室に入る前の妻に「頑張って」と声をかけました。

――出産を待つ間、心配な気持ちだったのではないでしょうか?

謙太 はい。とても落ち着いては座っていられませんでした。安産祈願のお守りを握りしめて、手術室前をうろうろ歩き回っていました。

そのお守りは群馬で有名な「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」と呼ばれるお寺(大光院)のお札です。妻の妊娠がわかったあと2人で安産祈願に行ってもらってきたものです。私はそのお札と赤ちゃんのエコー写真を財布に入れていつも持ち歩いていたんです。母子ともに無事であることを祈りながら待っていたら、1時間ほどして、無事、葉琥が生まれました。

――葉琥くんとはすぐに会えましたか?会ってどう感じましたか?

謙太 手術室から出てきた葉琥に会えたのは、手術室のドアを出てから、NICU(新生児集中治療室)に向かうエレベーターに乗るまでの数十秒くらいだけ。その間に何枚か写真を撮らせてもらえました。

保育器の葉琥の姿は本当に小さかったです。その小さな体に人工呼吸器やたくさんの医療機器のコードがついた姿は痛々しくも見え、衝撃的でした。無事に生まれてくれてうれしい反面、まだまだ小さな状態で生まれることになったことに、後ろめたいというか、申し訳ない気持ちになりました。

その30分くらい後に妻も手術室から出てきて、無事な姿を見てほっとしました。妻は麻酔で意識がもうろうとしていましたが、「無事生まれたよ」と声をかけました。

赤ちゃんの命の不安に、夜も眠れない日々

生後1カ月、保育器にいる葉琥くん。このときはまだ人工呼吸器をつけています。

――葉琥くんの状態について医師からどんな説明があったか教えてください。

謙太 葉琥は生後すぐに精密検査を受け、その結果を医師が説明してくれました。まず、身長が28㎝、体重が573gであること、そして肺が未熟なため呼吸器系のリスクが高く、感染症にかかってしまうと命の危険があると説明されました。最初の1週間が山場です、という言葉も。その言葉にショックで頭の中が真っ白になりました。

医師は葉琥の状態や必要な処置について2時間ほどかけて説明してくれ、私は10枚ほどもある処置の同意書にサインをしました。輸血が必要な場合があること、人工呼吸器が抜けるのを防ぐため状況によっては手足を拘束する場合があることなど、聞いていると心が痛くなる説明ばかりで、とても複雑な心境でした。

また、入院期間は最短でも予定日の7月ころまでになるであろうということ、そのあと何カ月入院が必要になるかは、成長を見てみないとわかりません、という話でした。

――その日、病院から帰宅前に葉琥くんには会えましたか?

謙太 当時、コロナ禍の面会制限でパパの面会は2週間に1度だけとのことで、病院を出る前に少しだけ葉琥に会って、触らせてもらえました。小さく赤黒い体は、触ったら壊れてしまいそうで・・・保育器に手を入れてそーっと、本当に私の指先だけでほんの少し触れることができました。

帰宅してからも、医師に「最初の1週間が山場」と言われた言葉が頭からずっと離れず、眠れませんでした。その後1週間は、携帯がちょっと震えるたびに、病院からの悪い連絡なんじゃないかと過敏になって、夜もあまり眠れず落ち着かない日々でした。

――謙太さんの仕事はどうしていましたか?

謙太 会社からは休んでいいと言われたんですが・・・、結局コロナ禍で面会ができないから、家で何もしないでじっとしているのも落ち着かないので、外に出たほうが気が紛れるだろうと。生まれた翌日だけ休みをもらって、そのあとは職場に行っていました。

――葉琥くんの名前にはどんな意味を込めたのでしょうか。

謙太 入院中の妻と2人で相談して「葉琥」と名づけました。自然の木々の「葉」のように力強く生きてほしいという意味を込め、幸せを呼び込むという石の琥珀(こはく)から「琥」の字を選びました。

往復2時間の距離を毎日面会に通った妻

生後3カ月のころ。天井のないタイプの保育器になり、面会時に触れ合いやすくなりました。

――産後の亜紀さんの様子について教えてください。

謙太 妻は出産後8日ほどで退院になりました。その直前に妻が医師から、葉琥の状態はいったん少し落ち着いた、と聞いたそうです。それで、私も妻もやっと少しほっとしました。妻は、退院後は毎日面会に行ってくれ、葉琥の写真を撮って私に見せてくれました。私の面会は2週間に1回だけでしたが、妻からの写真で体も少しずつ大きく、赤ちゃんらしい姿に成長してくれる様子がわかりました。

――NICUに面会に通う亜紀さんの様子は、謙太さんにはどう見えていましたか?

謙太 妻は母乳を3時間おきに搾乳して、片道1時間弱の距離がある病院に毎日面会に行ってくれていました。妻は「早すぎるタイミングで葉琥を産んでしまった」と申し訳なさを感じていたようです。言葉にはあまり出さなかったけれど、自分よりずっとつらい気持ちがあるだろうなと感じていました。そんな妻に、私ができることは家事をしたり、搾乳機を洗うことくらいで・・・何もしてあげられなかったな、と今思い出しても情けなく感じてしまいます。
妻は「搾乳が痛い」と言いながらも、弱音を吐かずにできることをやるしかない、と前向きに頑張っていました。

面会時間は、楽しい刺激をたくさん与えたかった

葉琥くん生後3カ月、初めて謙太さんがカンガルーケアをしたときの様子。

――葉琥くんの入院時、面会中はどんな触れ合いができましたか?

謙太 葉琥との面会は制限が多かったですが、その中でもなるべくいろんな刺激を与えてあげたくて、看護師さんに笑われるくらいにふざけてたくさんしゃべりかけていましたね。「ヤッホー、葉琥くん、元気ー?!」という感じで(笑)。足の裏とか、おなかとか、耳などをこちょこちょしたりして、私といる時間は少しでも楽しく感じてほしいと思っていました。

会いに行く回数も少なかったから、最初のころはただじっとこっちを見ている感じでしたが、だんだん慣れてきて、笑顔を見せてくれたときはとってもうれしかったですね。葉琥が笑うと、耳が聞こえてるんだな、目も見えてるんだな、私からの刺激を受け取ってくれてるんだな、と安心できました。

――父親としての自覚が芽生えたのはいつごろだと思いますか?

謙太 コロナ禍で面会制限が厳しかったから、父親として何もしてあげられないはがゆさをずっと感じていました。コロナでなければ、仕事が終わったら毎日会いに行って、声をかけたり触ってあげたりもできたのに。

でも、その後7月に入り、生後3カ月になったころから面会制限が緩和され、1週間に1回2時間の面会ができるようになりました。そして、生後3カ月で初めてカンガルーケアができることに。それまで指先でしか触れることができなかったわが子を、自分の胸にのせて、肌に直接子どもの体温を感じたときに「自分の子なんだな」と実感がわき、じーんとしました。

――葉琥くんが退院したあとのことを教えてください。

謙太 生後9カ月のとき、2022年のお正月からやっと家族3人で暮らし始めることができました。1才7カ月になった今も、在宅酸素や経管チューブなどの医療的ケアが必要で、発達はほかの子よりはゆっくりです。でも、日々の成長をそばで見られることがとても幸せです。

葉琥のペースで成長してくれればいいと思いますし、あやしたら笑ってくれるのが本当にかわいいと感じています。これから、つかまり立ちなどで動けるようになったり、おしゃべりができるようになったりして、今以上にコミュニケーションが取れるようになることや、一緒に遊んだりできる日が来るのがとっても楽しみです。

【亜紀さんより】夫の明るさに支えられた

早く、小さく生まれた息子に自分がしてあげられることは、唯一、栄養を絞って届けること。無力さを感じながらも、母乳を止めないために夜中にアラームをセットして3時間おきに搾乳を続ける日々でした。それでも私は毎日面会ができました。夫こそ、面会もできず何もしてあげられず、苦しかったと思います。でも、夫はいつも明るくいてくれて、「前向きに、長い目で見よう。大丈夫だよ」言ってくれたことが支えでした。


お話・写真提供/木下謙太さん、亜紀さん 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

コロナ禍のこともあり、赤ちゃんにしてあげられることが少ない分、不安や心配も大きかった謙太さん。面会で菌を持ち込まないために、仕事以外に人に会うことは避けるなど努力していたそうです。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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