中一で脊柱側弯症と診断。この病気は出産できないと思い込んでいた。その後長男が無事に生まれて、ポロポロと涙が・・・【コラムニスト・佐藤友美】

コラムニストであり、現在、シングルマザーとして11歳の息子を育てる佐藤友美(さとゆみ)さん。持病があり30歳を過ぎるまで「子どもはもたない、子どもはもてない」と考えていたそうです。中学生で発症した病気のことや、子どもをもって訪れた自身の変化などについて、さとゆみさんに聞きました。
中学生のころから「子どもはもたない」と思っていた
――さとゆみさんの持病のことについて、どんな症状か教えてください。
さとゆみさん(以下敬称略) 中学1年生のときに脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)という背骨が左右に曲がってくる病気があるとわかりました。脊柱の成長期である思春期に、女子に発症・進行する場合が多いらしいですが、発症する原因は不明です。早期に発見して治療につなげると効果があるため、現在は小中学校の健康診断で検査が実施されているそうです。
中学1年生で発症した当時は私の背骨は32〜33度くらい曲がっていて、現在は40度くらいに進行しています。40度以上弯曲がある場合は手術をするらしいのですが、32~33度の場合も手術の治療対象でした。しかし発症当時、私はテニスに本格的に取り組んでいて、全日本大会で優勝するくらいのジュニアアスリートだったんです。手術をするとハードな運動は諦めなくてはいけないとのことだったので、手術は考えませんでした。学校生活では体育の時間以外はずっとコルセットを装着していました。
――出産をするのに負担がある病気なんでしょうか?
さとゆみ 当時受診した北海道の医療機関で、医師から「進行して40度くらい曲がった場合、妊娠しておなかが大きくなったり体重が増えたりすると、体に負担がかかるかもしれません」というような説明を受けたと記憶しています。中学1年生だった私は、その医師の言葉を「妊娠したら負担が大きくて大変な病気」と言われたと思い込んでしまいました。なんとなくそのことがきっかけで「私は子どもがとくに好きなわけじゃないしほしくないな、子どもがいない人生でもいいな」と考えるようになっていったと思います。
――痛みなどはありますか?
さとゆみ 中学生当時は痛みはありませんでした。社会人になってから痛みが出るようになり、最近は低気圧や台風の時期は薬が手放せないくらい痛むことがあります。以前は側弯症と痛みは関係ないと考えられていたようですが、最近では側弯が進行すると神経障害や呼吸障害を伴うことがあることもわかっているそうです。
どんな痛みかというと、たとえば足がつるような痛みが胸に起こって、胸が押しつぶされるようになり呼吸ができない感じになります。ひどいときには立っていられないほど痛みますが、10〜15分でなおることが多いです。場合によっては2〜3時間痛むこともあります。たまに発作のように起こる痛みを抱えながら子どもを育てるなんて無理だな、と考えていたこともありました。
初めに結婚をしたときにも、子どもがいる生活は全然想像していなくて、子どもはいなくていいと考えている男性と結婚をしました。
産めると知ってから子どもの姿が目に入るように
――持病のこともあり子どもをもたないと思っていたさとゆみさんが、その考えが変わったきっかけはどんなことでしたか?
さとゆみ 仕事で、ある俳優さんにインタビューしたとき、その人も側弯症で子どものころからコルセットをしていた、という話が出ました。彼女は2児を育てているママだったので、「この病気でも産めるの?」とすごくびっくりしたんです。彼女の話では「気をつけることはいくつかあるけど、無事に2人出産した」ということでした。
その話を聞いてから、中学生のときの医師の言葉がきっかけでそれまで子どもがいない人生でいいと思っていたけれど、もしかしたら欲しいと思わないように自己暗示のようにしていたのかな・・・などとぐるぐる考えました。
自分の人生に関係ないと思っていたはずなのに、そのインタビューの仕事以来、なんだか街中のファミリーや子どもの姿が目に入ってくるようになりました。「子どもをもたない」と、決めなくてもいいかも、と考えるようになって数年後、2度目の結婚をし、その夫との間に息子を妊娠しました。
――妊娠中の体調や経過はどうでしたか? 気持ちの変化はありましたか?
さとゆみ つわりもひどかったし、妊娠8カ月で切迫早産(せっぱくそうざん)で入院して動けなくなってしまったし、妊娠中はつらかったです。切迫早産のときは、看護師さんに「1日でも1時間でも長く赤ちゃんをおなかにいさせてあげるために、頑張って動かないようにしてください」と言われて。動かないように頑張ったことなんて、人生で初めてのこと。当時は講演会の仕事も多かったから、キャンセルになってしまったイベントもあっていろんな人に助けていただきました。
さらに体調が少し落ち着いて退院したころの2011年3月11日に、東日本大震災が起こりました。おなかが大きくて動いちゃダメと言われているときに大きな地震が起こって、逃げることもできないし、妊娠は病気じゃないとはいうけれど、妊娠した自分の体の弱さを知ったし、みんなこうやって命がけで産んでるんだな、と痛感しました。
でも幸い早産にはならず、2011年5月に普通分娩で出産しました。産後すぐに助産師さんから生まれたばかりの赤ちゃんを渡されてカンガルーケアをしたんですが、自分の体からこんなにちっちゃい人が出てきたんだなって、すごくジーンとしてポロポロ涙がこぼれました。そんな自分に驚くと同時に、無事に生まれてくれてすごくほっとしました。
赤ちゃんと24時間一緒に過ごす生活は無理かも・・・
――初めての赤ちゃんとの生活で、つらいと感じたことはありましたか?
さとゆみ 出産後、母乳があんまり出なくて、1カ月健診で赤ちゃんの体重が増えていないと言われたときにはさすがに落ち込みました。あんなに毎日夜中も起きて授乳してるのに・・・とショックで。そんなところに母から「あんまり母乳が出てないんじゃないの」と何気なく言われた言葉にすごくカチンときて、「そういうことを言われるのとっても嫌だからもう言わないで!」と怒ったことが記憶に残っています。私はもともとあんまり人に腹を立てたりするタイプではないので、自分がそんなに怒っていることに驚きました。きっとつらかったんだと思います。
赤ちゃんはかわいいけどやっぱりお世話をするのは手がかかります。退院して1週間くらいして「私、育児だけを24時間やっていたらメンタルがダメになるかも」と思いました。それで、産後2週間くらいしたときに、当時お手伝いをしていた会社の会議に出席させてもらったんです。自宅から近いから自転車で行って、3時間くらいミーティングや撮影をしたら、すごく気持ちが楽になりました。言葉が通じる人としゃべるって、こんなにも精神が安定するんだ、って。週に2〜3回でも家族以外の大人とかかわる時間が必要だなと思って、なるべく早く仕事復帰しよう、と決めました。すぐにシッターさんを探し始め、少しずつ仕事を再開し始めて、産後2カ月で復帰しました。それ以降は、育児をすごくつらい、大変、と思ったことはあんまりない気がします。
――さとゆみさんにとって仕事が育児の気分転換になっていたんですね。
さとゆみ 私は、母親にしかできないことは赤ちゃんを産むことだけで、それ以外のことは必ずしも母親だけがやらなければいけないわけではないと思っています。それに、私たち家族は、子育ての基本方針を「子どものため」じゃなく「自分(たち)のため」にしようと決めていました。
ほかと比べたり、「〜べき」にとらわれたりすると、苦しくなってしまうと思ったんです。私に必要だから仕事をするし、私たちがそうしたいから保育園に預ける。そんなふうに自分たちを主語にして子育てしていたから、あんまりひどく悩まずに楽しくやってこられたかな、と思います。
お話/佐藤友美さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
さとゆみさんは、脊柱側弯症からくる痛みで、倒れて救急車で運ばれたことも何度かあるのだそう。それでも無事に出産し、長男は現在小学6年生に。「仕事も子育ても両方あったからこそ、楽しくやってこられたと思う」と話してくれました。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
佐藤友美さん(さとうゆみ)
PROFILE
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、さまざまな媒体にエッセイやコラムを執筆する。著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』『書く仕事がしたい』など。小学6年生の息子と暮らすシングルマザー。
『ママはキミと一緒にオトナになる』
Webメディア「kufura」で2020年から3年間にわたって連載した子育てエッセイの書籍化。コロナ禍での学校生活、離婚、働く母の葛藤、口げんかと家出・・・母と息子の「会話」を通して、日常にある「話すほどでもない」幸せに気づかせてくれる一冊。佐藤友美著/1650 円(小学館)