腟に便がもれる出産後遺症を患った元AKB・浦野一美。手術を決断し、あきらめかけていた第2子を授かるまで
元AKB48の浦野一美さんは、第1子出産後に「直腸腟(ちつ)ろう」という出産後遺症に苦しみました。直腸腟ろうは腟と直腸の壁に穴があく病気で、ガスや便が腟から出てしまう症状により、育児や日常生活に影響が。1万人に1人の珍しい病気のため、診断できる医師が少ないことにも苦労しました。全2回のインタビューの後編では、出産後遺症を抱えながらの育児生活や、片道3時間以上かけての通院や手術のための入院、第2子妊娠・出産について聞きました。
出産後遺症で思うように家事・育児ができず、家族の協力と行政サービスで乗り越えた
――病気で心身がつらい時期や、通院、入院中は、家事・育児が思うようにできなかったと思います。どのようにして乗りきったのでしょうか?
浦野さん(以下敬称略) 夫や実母の協力もありましたが、産後1カ月ごろからは、自治体の産後ケア事業を利用して、ヘルパーさんに来てもらいました。腟の痛みはだいぶ落ち着いていたのですが、排便のあと便が腟にもれてしまうことがあり、洗浄に時間がかかってしまって。その間に娘をひとりにしておくのが不安で、サポートをお願いしていました。また、自治体の保健師さんの存在も大きかったです。妊娠中のヘルスケアアンケートで不安を示す回答が多かったことから、産前から電話で気にかけてくださって、産後は自宅訪問まで。本当にありがたかったです。
――産後4カ月のとき、半年後に手術することが決まりました。入院までに準備したことはありますか?
浦野 娘の入園準備と卒乳です。私が手術で完全にいない状態を想定して、夫や実母が娘と過ごす時間を増やしました。さらに、生後6カ月から子育て支援施設の一時保育も利用したかったので、それまでに2カ月かけて計画的に卒乳しました。
また、退院後に自治体のファミリーサポート制度を利用するために、登録手続きをしたり、サポートしてくれる会員さんに娘とともにお会いしたりしました。
10日間の入院、2時間の手術。リハビリ中にまさかの妊娠!
――浦野さんは2024年8月に直腸腟ろうの手術をし、25年8月に完治となりました。手術から完治まで、どのような経過をたどったか教えてください。
浦野 手術は京都の長岡京病院で受け、10日間入院しました。術式は、会陰体と呼ばれる組織を縫合して再建するもので、手術時間は約2時間でした。手術中は腰椎(ようつい)麻酔で意識はありますが、私はほとんど寝ていました。
手術後は、4時間後くらいから麻酔が切れて、痛みとの闘いが始まりました。痛み止めの点滴をしても、体を少し動かすだけで患部がズキッと痛み、発熱も。痛み止めは術後3日間は点滴、その後は飲み薬で痛みをコントロールしていました。痛みがいちばん強かったのは抜糸です。手術6日後に行いましたが、想像以上に痛みが強かったので、麻酔の使用について、事前に先生と相談すればよかったと後悔しました。
この手術は、長い絶食が必要なく、手術前夜から当日までの絶食で済みました。手術翌日から食事を再開できたのはありがたかったです。術後の経過は良好で、手術翌日には肛門(こうもん)からガスが! 腟からガスが出る状況に苦しんでいたので、肛門からガスが出た瞬間、「(腟と直腸の間の)穴がふさがったんだ!」と本当に感動しました。手術2日後には排便にも成功しました。術前は便が腟にもれていたのに対して、便が肛門だけを通って排せつされたことも実感できました。
退院の日は、夫が迎えに来てくれて、新幹線で帰宅しました。新幹線は多目的室を利用したので、ずっと横になることができました。帰宅後も3週間は自宅でずっと横になっているよう指示されました。退院後の診察は、術後3週間、3カ月、6カ月、1年。1年間のフォローを経て異常がなかったため、無事に完治できました。
――手術を終えて、生活にどのような改善がありましたか? また、何かリハビリは行ったのでしょうか?
浦野 手術前は、ガスの音やにおいが気になって、外出が減っていました。でも、術後はガスや便が腟からもれることがなくなり、お出かけが怖くなくなったんです。子どもも気兼ねなく連れて行けるようになりました。
それから、排便後の腟の洗浄も必要なくなり、トイレにかかる時間が産前と同じくらいに戻りました。おかげで、私のトイレ中に娘を1人にさせる時間が減り、「私1人でも安心してお世話できる」と思えるようになったんです。入院中は10日間も娘に会えず、さらに退院後は保育園の入園が決まっていたので、回復後は、2人きりで過ごす時間を大切にしました。
リハビリは、手術跡をやわらかくするために、医師に性行為を推奨されました。正直、最初は手術跡に痛みが出ないか不安もありましたが、思いのほか違和感もなく、安心しました。とはいえ、やはり恐怖心があり、しばらくはそれほど積極的になれませんでしたが、術後3カ月には、なんと妊娠していることがわかり、自分でも驚きました。病気を経験したことや年齢のこともあり、第2子をあきらめかけていたので、本当にうれしかったです。
手術から1年後の出産は帝王切開を選択
――第2子の妊娠経過はいかがでしたか?
浦野 心身ともに順調でした。第1子妊娠中は「私には母性がないのではないか」とマタニティブルーになりましたが、2人目は、妊婦健診で赤ちゃんのエコー画像を見るだけで「かわいい」と思えるようになりました。第1子を育児するなかで「子どもはかわいい」という感情が自然に芽生えたからだと思います。
妊娠中は安定期に入ってから、大好きなディズニーリゾートへ出かけることもできました。手術前は、腟からガスや便が出るのが気になって外出を控えていましたし、産後はしばらく遠出が難しくなるので、この時期に楽しみたいと思ったんです。ただ、おなかが大きくなって1才の娘を抱っこするのは避けたかったため、実母やベビーシッター経験のある友人に同行してもらいました。
――第2子は手術を経ての妊娠・出産。不安だったことはありますか? また、そのためにしたことはありますか?
浦野 不安だったのは経腟(けいちつ)分娩です。手術跡をやわらかくするために、リハビリとして性行為を推奨されましたが、あまりできないうちに妊娠して、産院では腟内の手術跡が少しかたくなっていると指摘されました。直腸腟ろうの手術経験者に経腟分娩をした方もいるそうですが、私は念のために帝王切開を選択しました。
また、産院選びにもこだわりました。そもそも、直腸腟ろうの手術から1年で出産する私は、ハイリスク妊婦という扱いになり、出産可能な産院は限られました。そこで、経験豊富な医師がいる産院を調べ、初診で「直腸腟ろうの手術をした」と伝えたところ、ベテラン医師が担当してくれて、心強かったです。
おかげで無事に第2子を帝王切開で出産し、体調は良好です。現在は産後ケア施設でゆっくり母体を回復させながら、育児を始めたところです。
SNSで病気を公表。「発信しなきゃダメだ」という思いで撮り続けた
――浦野さんは、2025年6月に直腸腟ろうを患っていることを公表し、大きな反響を呼びました。公表に至った思いを教えてください。
浦野 私を診断・治療してくださった先生に、直腸腟ろうの患者さんたちが置かれている状況を聞きました。直腸腟ろうが原因で家族がうまくいかなくなり離婚した方、再発を繰り返してうつ病になった方、自殺を考えた方までいらしたと。衝撃でした。同時に、その方たちが追い詰められた原因は、直腸腟ろうの情報が少ないからではないかと考えました。私自身も産後3カ月まで病気と確信できないまま、QOLの低下に苦しみました。ならば、自分の体験や情報を発信しよう。発信しなきゃだめだと思ったんです。その思いから、手術を受けた長岡京病院の了解を得たうえで、入院から退院まで、動画で記録を撮り続けました。
――実際に病気を公表し、情報発信を始めたのは、手術から10カ月後でした。すぐに公表しなかった理由はなんでしょうか?
浦野 長く芸能活動をしてきて、自分の情報がメディアに出るタイミングが、自分の意志と合わない経験をしてきました。病気の情報を発信したいという思いはずっとありましたが、病気の内容がセンシティブであったこと、また、育児中、妊娠中であったことから、今回は自分と家族のメンタルを最優先に。落ち着いて話せる気持ちが整ったら出そうと考えました。公表した2025年6月は、病気の完治の見込みが見えてきて、妊娠経過も順調で心身が安定していたため、踏みきりました。
――公表してどのような反響がありましたか?
浦野 SNSには、毎日のように多くのメッセージをいただいています。なかには、私の発信をきっかけに病気に気づけた方や、再発に悩んでいる方など、さまざまな声があります。長岡京病院にご迷惑をおかけしていないか心配で確認したのですが、「大丈夫、任せてください」と言っていただき、安心しました。必要としている方へ情報が届いていると実感できて、とてもうれしかったです。
――改めまして、第2子ご出産、おめでとうございます! 最後に、これからやりたいことをお聞かせください。
浦野 直腸腟ろうについての情報発信を続け、この病気の存在や、同じ症状で悩んでいる方に情報が届けばと思っています。私も、手術が成功するまでは第2子出産をあきらめかけていたので、「自分の夢や出産をあきらめなくていいんだよ」と伝えていけたらと思います。
子どもたちとしたいことは、ディズニーリゾートに行くこと。2人目も女の子なので、娘2人に「アナと雪の女王」のエルサとアナの姉妹コーデを着せるのが楽しみです! 上の子は英語を習っているので、プリンセスと英語でおしゃべりしたり、海外のディズニーにも行けたらいいですね。
お話・写真提供/浦野一美さん 監修/水黒知行先生(長岡京病院 理事長) 取材・文/大部陽子、たまひよONLINE編集部
小さな赤ちゃんを抱えながら、産後の不調、遠方への通院、入院、手術を乗りきった浦野さん。1人で抱え込まず、周囲の手を借りながら計画的に病気に立ち向かいました。そして、入院中から情報発信の準備も。手術を行った長岡京病院の様子や、手術前後の経過などを、体を張って撮り続けました。それらの克明な記録は、浦野さんのSNSで発信されています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
浦野一美さん(うらのかずみ)
PROFILE
1985年10月23日生まれ。AKB48の1期生。SDN48および「渡り廊下走り隊7」としても活躍。AKB48は2010年に、SDN48は11年に卒業。20年からフリーランスで活動中。プライベートでは、22年に6歳年下の男性と結婚し、23年に第1子、25年に第2子を出産した。ニックネームは「CinDy(シンディー)」。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年10月の情報で、現在と異なる場合があります。


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