45歳で双子を妊娠!切迫流産から早産へ。帝王切開で出産するも、冷や汗の連続
現在、在宅で仕事をしているライターの“nojico”です。在宅とはいえ、育児と仕事との両立はなかなかハード。おかげで「以前よりも集中力が増したな、要領がよくなったな」と実感しています。そんな私は45歳で双子を出産しました。不妊治療を経ての妊娠でしたが、赤ちゃん2人が同時におなかにいたということ、2人を同時に産んだことは精神的にも肉体的にも大変なことでした。
45歳でまさかの双子のママに! 不自由な妊娠生活
不妊治療を受け始めたのは、30代後半のこと。仕事をしながらの通院です。治療中、死産や流産を経験し、中断することがありましたが、数年の充電期間を経て、治療を再開。
転院したクリニックでは体外受精が順調に進み、移植の際、2つの受精卵を子宮に戻しました。医師からは「双子の可能性があるかも」と言われていたので驚くことはなかったのですが、実際に双子の妊娠が分かると、急に不安が襲ってきたのです。なぜなら、私は45歳と高齢だったから。
「心配…。いや、大丈夫」と気持ちが揺れ動くなか、妊娠12週から少量の出血が止まらなくなりました。医師からは「切迫流産。極力安静にするように」と言われ、私はほとんど自宅から外に出られませんでした。
管理入院から“帝王切開分娩”。最中に大量出血!
妊娠中期は出血がおさまったものの、おなかはどんどん重くなります。「切迫流産」は「切迫早産」の恐れに変わり、体調が安定するまで管理入院することになりました。
妊娠後期は、寝返りを打つのも一苦労。下半身のむくみもひどく、日々看護師に励まされながら、妊娠36週5日でやっと出産の日を迎えました。
私の通っていたクリニックでは、双子の出産は“帝王切開分娩”と決まっていました。15秒差で、順調に女の子と男の子が産まれてきました。けれども、その後にトラブルが発生。
私が高齢だったことに加え、2人分の妊娠で子宮が伸びきってしまったせいか、子宮が元に戻らず、その間大量出血をしていたのです。極度の貧血になった私は成分輸血を受けました。
赤ちゃんは2人ともNICUに入院。授乳のため通院
出産後はおなかを切ったことや3Lもの血液を失ったことで、しばらくベッドで寝たきり。低体重で出産した双子たちはNICU(新生児集中治療室)へ入院です。
おっぱいはベッドで絞ったものを持って行ってもらうか、車椅子に乗って授乳をしに赤ちゃんのもとへ行きました。おなかの傷が1週間くらいでおさまったのが幸いでした。
赤ちゃんは、女の子が先に体重が増え、GCU(回復治療室)に移りましたが、男の子はNICUにいたまま。先に退院した私は自宅から何度も授乳のため通院しました。疲れたときは、夫に冷凍した母乳を届けてもらうこともしばしば。
双子たちが我が家にやって来たのは、生まれてから実に1ヶ月後。感慨深かったことを覚えています。
妊娠36週5日、帝王切開を行い、女の子は身長45.6cm 体重2264g、男の子は身長44.0cm 体重2051gで生まれました。帝王切開での分娩は、母親教室でも教えてもらえなかったトラブルが発生し、出産はまさに命がけであることを思い知りました。予定された帝王切開でも、トラブルは起こりうるのです。
おかげで私は人より長く入院しましたが、その分、長く赤ちゃんたちと一緒にいることができました。また、入院中に助産師から授乳の特訓を念入りに受けられたことも入院が長かったおかげ。何もかもが初めてで不安はありましたが、赤ちゃん2人の笑顔は何物にも代えがたい宝物でした。
[nojico*プロフィール]
女の子と男の子の双子ママです。現在は子育てと両立させながら、ライターとして活動しています。子どもたちは4歳に育ち、日々パワフルになってけんかばかり。よく仲裁に借り出されますが、笑いの絶えない日々です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。