「思い出すのは、助けてあげられなかった命のこと」無念と喜びの仕事、産科医44年
これまで44年間もの間、産科医として多くの妊婦さんとかかわり、赤ちゃんを取り上げてきた、育良クリニック・理事長の浦野晴美先生。
これまでの産科医人生を振り返って、印象に残っているできごとや、ママ・パパ・妊婦さんたちに伝えたいメッセージについて聞きました。
中絶希望の夫婦が思い直して、第4子まで産んでくれたことがうれしい思い出
――これまでの産科医人生で思い出に残っていることはありますか?印象に残っているお産は?
浦野先生(以下敬称略) 多くの医師がそうだと思いますが、お産について思い出すのは、助けてあげられなかったお産のことです。運ばれてきたときには手のほどこしようがなく、どうすることもできなかったというようなときは、無念さがずっと心に残って忘れられないですよね…。
いい思い出は、中絶を希望していた夫婦が思い直して出産してくれたことです。私は、日赤時代から、中絶を希望する人には、「はいわかりました」とすぐ中絶手術をするのではなく、ちょっと事情を聞いて、何とか産む方法はないか考えてもらうようにしていたんです。
まず、赤ちゃんの父親となる相手と一緒に、どうやったら産めるかを個条書きにしてもらって、それをもとにしっかり話し合ったうえで、どうしても無理なら手術をするようにしていました。
あるとき、若い夫婦が、「中絶したい」とやってきて、診察室でも夫婦げんかになってしまったんですよ。理由はおぼえていないくらいささいなことだったと思うんですが、そのとき、私はとっさに女性の味方をして、だんなさんをしかったんですよね。そうして何とか奥さんをなだめて中絶を思いとどまらせました。まるで世話焼きおじさんです(笑)。
また、あるときは男性が大学生だという若いカップルがやはり中絶希望で来院しました。ゆっくり事情を聞くと、「親の反対」や「経済的不安」を中絶の理由に挙げましたが、聞けばもうすぐ卒業で就職先も決まっているとのこと。「親は関係ない、二人で力を合わせれば解決できるよ」と後押ししたんです。その後、その二組の夫婦が中絶をやめて、うちのクリニックで出産をしてくれて。そのあと、二組とも2人目3人目も、なんと4人目も申し合わせたように出産したんです。
中絶に関してはそれぞれの事情があるので、こちらから止めることはできませんが、しっかり話をしたことで思いとどまってくれて、その後もたくさん子どもを産んでくれて…。うれしい思い出ですよね。
あとは、妊娠初期から通っていた妊婦さんから、「どうしてもここで産みたいと思っているけれど、夫の会社が倒産してしまい、出産の費用を一括で払うのが難しくなってしまった、分割で支払えないか…」と助産師を通して私に相談があったことも思い出に残っています。
「どうしても育良クリニックでお産したい」という気持ちがうれしくて、「もちろんいいよ」と即答しました。こういうのは、大きい病院では難しいことだと思うので、開院してよかったことの1つでもあります。
コロナ禍でクリニックも変わりましたが、いちばんの変化は高齢の私の自粛です(笑)
――新型コロナウイルスの影響で、育良クリニックはどう変わりましたか?
浦野 緊急事態宣言が出て自粛要請があった期間は、健診のつきそいも、お産の立ち合いも、産後の面会もすべてNGになってしまいました。緊急事態宣言が解除されてからは、検温や消毒などの予防対策を徹底しながら、上の子のつきそいや面会などは少しずつ緩和しています。
お産のための各種教室も「産むぞクラス」や「ガスケアプローチクラス」など、本来ならばいろいろ開催しているのですが、今はすべてオンラインで行っています。すべて、助産師たちが工夫しながら考えて、率先してやってくれています。
「理事長も見てください」と言われていますが、私は接続のしかたもわかりません。
クリニックでいちばん高齢の私は、感染したらリスクが高いので、なるべく家にいるようにと自粛させられていて、もしかしたら、このまま引退になってしまうかもしれませんね(笑)。
おなかを痛めて命をかけて産んだ子を大切に育ててほしい!
――最後に、ママ・パパ・妊婦さんたちに、メッセージをいただけますか?
浦野 少子化で育児がしにくいこの時代に、産もうという決心をしてくださったこと、本当に立派なことですよ。そのうえで、あえて厳しいことを言わせてもらうと、出産も育児も覚悟が必要な大変なことです。
無痛分娩で痛みが少ないお産はできますが、どの出産にも危険が伴うことはあります。それに、お産をしたら終わりではなく、次は育児が始まります。どんなに大変でも、産んだ以上は愛情を注いで育てないといけません。
最近は、わが子への虐待や育児放棄などの悲しいニュースもよく耳にします。せっかくおなかを痛めて、それこそ命をかけて産んだ子なんですから、大切に育ててほしいですね。大変な思いをして産んだことや、やっとわが子に出会えたときの感動の瞬間や、そのときの気持ちをずっとずっと忘れないでいてほしいですね。
取材・文/渡辺有紀子、ひよこクラブ編集部
現在は理事長として、お産のサポートをしている浦野晴美先生。「来年産科医45年の節目で引退する予定です」と話していました。
浦野先生の著書「育良クリニックの軌跡 医師、助産師、妊婦さん……絆でつむいだ25年」(幻冬舎刊)では、浦野先生の熱い思いのほか、助産師さんたちが率先して考えた「産むぞクラス」やマネージャー発案の「産院選びクラス」などの詳細や誕生秘話なども詳しく紹介されています。