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生存率50%と言われ中絶も考えた…。431gで生まれた超低出生体重児、祷結ちゃんの成長の奇跡

佐賀市諸富町の外尾和義さん(35)、星羅さん(35)夫婦の3人目の子どもとして生まれた祷結(とうり)ちゃん(6)。6年前、妊娠25週に431gで誕生しました。出産しても生存率50%と言われた中での出産の決意、超低出生体重児の子育てについて、外尾さん夫婦に話を聞きました。

生存率は50%。中絶か出産か、悩み苦しんだ末の決断は…

――妊娠6カ月の健診で異常が見つかり、緊急入院となったそうですが、当時のことを教えてください。

星羅さん(以下敬称略) 出産予定日は5月でしたが、異常が見つかり入院したのが1月の後半、妊娠21週でした。通常の妊婦健診のつもりで病院に行ったところそのまま入院となりました。
「胎盤に問題があって赤ちゃんが育たなくなっている。生まれても生存率は50%」との説明で、人工中絶か出産かの選択を迫られました。当時、長女は保育園の年中で、長男は3才。緊急入院で突然子どもたちと離れることになり、しかもおなかの子も助からないかもしれない…いろんなことがいっぺんに起こって、とても混乱しましたし、気持ちが追いつかなかったです。

和義さん(以下敬称略) 妻は「なんでこうなってしまったんだろう」と自分を責めていましたね。いろいろ調べたけれど、原因はわからない。いつも気丈な妻が、すごく不安そうで、なんて声をかけていいかわかりませんでした。

――中絶か、出産か…どんなことを悩まれましたか?

和義 まずは生まれても命が続くかどうかわからないこと。そして、障害を持つ可能性が高いということ。もし重度の障害を持って生まれてきて、私たちがいなくなったときに上の子2人にそのことを背負わせていいのか…と、1週間ほど悩みました。

――多くの心配ごとがありながらも、産むことを決めたのはなぜですか?

星羅 その時は胎盤から赤ちゃんに栄養が十分に届いていないため、成長を続けると脳に酸素が回らず死んでしまう状態でした。けれど、医師に「赤ちゃんが自分が苦しくならないように成長を止めている。生きようとしている」と言われたんです。それで産もうと決めました。

和義 妻の両親が「もちろん産むよね、サポートするから心配しなくていいよ」と後押ししてくれたことも心強かったです。産んで育てることを決断して、妊娠の様子を見ていくことになりました。

あまりにも小さな赤ちゃん。命の力を信じ続けた

――その後、妊娠25週の2月11日の夜、緊急帝王切開で祷結ちゃんを出産した星羅さん。初対面では、どんなことを感じましたか?

星羅 431gって、片手に乗るくらいの小ささなんです。産んですぐ保育器に入った祷結を見たとき、かわいいというよりは、あまりの小ささに衝撃を受けて…。壊れてしまいそうで触れるのもこわかったです。

和義 まだ皮膚もしっかりできていない状態で、自分が知っている赤ちゃんの姿とはかけ離れていました。正直、この子が、どうやって成長していくのかまったく想像ができませんでした。けれど、赤ちゃんは生まれてきてくれて、妻も頑張っている。家族みんなで頑張っていこう!と感じましたね。それで「祷(祈)りが結ばれるように」と「祷結(とうり)」と名づけました。

――祷結ちゃんの入院中はどのような生活をしていましたか?

星羅 私は産後2週間で退院し、病院も近かったので、毎日搾乳して冷凍した母乳を面会時間に持って行っていました。家に1人でいると考え込んだりいろいろ調べすぎたりしてしまうので、午前中だけ仕事をすることに。上の子たちの保育園のお迎えもあり忙しかったけれど、上の子たちがいてくれたから、気持ちがふさぎ込まずに済んだと思います。

でも、たまに病院から「高熱が出ました」と呼び出しの電話があるんです。それが、とてもこわくて・・・。涙を流しながら病院に向かうことが何回もありました。

和義 私はとにかく自分にできることを、と思い、仕事のあとに毎日NICUに面会に行って、たくさん声をかけ、触れ合っていました。祷結はきっと大丈夫、と信じる気持ちでいたように思います。100日を過ぎたくらいには抱っこもできるくらいに育ってくれました。

3時間おきの胃管チューブでの授乳は、精神的にかなりつらかった

――では、お世話する中でいちばん大変なことはどんなことでしたか?

星羅 祷結は自分でミルクを飲めなかったので、鼻からマーゲンチューブ(鼻の穴から胃内まで挿入する管)を入れていて、シリンジ(注射器のようなもの)で少しずつミルクをあげていたんです。マーゲンは入院中は看護師さんが挿入してくれましたが、退院するためには私が挿入できるようにならないといけません。祷結の小さな鼻から喉を通して胃まで入っているか、聴診器をおなかに当てて確認しながら挿入するのがすごく難しいんです。鼻から入れると祷結は苦しくて暴れるし…。でもどうにかして連れて帰りたかったので、必死で看護師さんに教えてもらい、7カ月で退院できました。しかし、それが今考えると甘かったですね。

――「甘かった」とは、どのようなことでしょうか?

星羅 チューブが正しく入っているか不安でもだれにも聞けないし、ミルクの注入は3時間おきで睡眠時間がほとんど取れませんでした。ミルクを吐きもどしてしまうと、またやり直しで…。

和義 自分たちも夜中はうとうとして、マーゲンチューブが抜けてしまうことも。そうすると挿入からやり直しなので…。精神的にかなりつらかったです。それが退院後9カ月(1才4カ月)まで続きました。

――そんな大変な生活の中で、和義さんは星羅さんをどのようにサポートしていたんでしょうか?

和義 上の子たちを見るのは自分の役目でした。祷結の退院後は妻は祷結につきっきりだったので、上の子の卒園の懇親会や小学校の入学説明会・入学式は私が行きました。会社も理解して休ませてくれて、ありがたかったですね。

元気で走り回る姿を想像し、心の励みにしていた

――超低出生体重児の子育てをする中、どのような思いで頑張っていましたか?

星羅 いろいろな将来の心配ごとも耳にしたけれど「祷結はきっとそんなことはない」と気持ちを切り替えて、子どもの生命力を信じました。そして、明るい未来の希望を持って、祷結が元気に走り回っている姿をいつも想像していました。

和義 父親にできることは限られてしまいますが、できるだけのことをやって、夫婦でなんでも言い合うようにしていました。また妻の希望で、祷結の100日間の成長記録動画をYouTubeで「超未熟児とうりちゃん奇跡の成長」として公開しました。私たちと同じように大変な体験をしている人の勇気になれば、と願っています。

星羅 祷結は生後7カ月で退院しましたが、退院時検査も脳波は全く異常がなく、聴力も問題ありませんでした。退院後も何度か入退院はあったものの、大きな病気はせずに済みました。いくつもの奇跡が積み重なって、祷結は今も元気に生きてくれています。

お話・写真提供/外尾和義さん、星羅さん 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部

小さく生まれた赤ちゃんの命を信じて、2人で力を合わせた見守ってきた外尾さん夫妻。「超未熟児とうりちゃん奇跡の成長 」(YouTube)では、生後100日までの保育器での祷結ちゃんの成長や、親子のスキンシップの様子がまとめられています。

「超未熟児とうりちゃん奇跡の成長」(YouTube)

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