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妊娠14週で双子の1人が破水、「生きられないだろう」と言われて絶望も。23週の出産で動いていた心臓。双子の生命力に涙した【低出生体重児】  

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生後3週間ごろの三男。

朝日新聞社withnews編集部の副編集長を務める河原夏季さん。夫と、息子たちと都内で暮らす母親です。河原さんの2回目の妊娠は双子。双子の妊娠14週で破水し入院、そして妊娠23週に604gの二男と552gの三男を出産しました。河原さんに妊娠・出産した当時のことについて話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。

2回目の妊娠はまさかの双子

大学時代の就職活動で報道記者を志望した河原さんは、2010年に朝日新聞社に入社。新聞記事の取材・執筆する仕事を経験し、2018年にウェブメディア“withnews”編集部に配属となり、現在は副編集長を務めています。

「大学時代に障害者プロレス『ドッグレッグス』を観戦する機会があり、脳性まひや知的障害、聴覚障害などのレスラーがリングで激しく戦い、観客を熱狂させる光景に衝撃を受けました。それまでの自分が障害のある人に偏見をもっていたということを認識するとともに、こういう世界をもっと広く知ってほしいと思い、就職活動では報道記者を志望したんです」(河原さん)

そして、2018年に同じ会社で働く男性と結婚しました。

「私も2人きょうだい、夫も3人きょうだいなので、子どもを授かれるなら多くてにぎやかなほうがいいね、と話していました。そして結婚の翌年、長男を出産。新聞社は多忙なイメージがあるかもしれませんが、報道する側の立場として社員の育休取得に積極的で、男性も育休を取る人が多いんです。夫は長男のときは育休を3カ月取得しました。

私は初産が32歳でしたしきょうだいを作るなら早めにと考え、復職してから再び妊活もしていたところ、2020年の年末に妊娠に気づきました」(河原さん)

そして地域のクリニックで受けた2回目の妊婦健診で、妊娠しているのが双子だということが判明しました。

「医師に『あれっ?2人いるよ』と言われて。まったく予期していないことで、すごく驚きました。もちろん、2人を妊娠した喜びやうれしさはあったんですが・・・、私たち夫婦は共働きで、互いの実家も気軽に頼れる距離にはないので、仕事と育児をどうやって両立したらいいのかも不安でしたし、2人子どもが増えるとなるとお金もそれだけかかるわけですから、育てられるのかという不安もありました。

妊娠当初通っていたクリニックでは双子の出産は対応していないということで、NICUがある総合病院に紹介状を書いてもらい、年明けから転院することになりました」(河原さん)

「生きて生まれてくることはないだろう」の言葉に絶望した

破水の数日前のエコー写真。

2021年2月上旬のある夜、河原さんは突然の出来事に見舞われます。予想外の破水でした。

「妊娠14週4日のことでした。夜、自宅でのリモート取材中に尿もれをしたような感覚があったんです。下着の中に数枚ティッシュを詰め込みましたが、尿もれは止まりません。20分後、リモート取材が終わりトイレに駆け込むと、ティッシュが茶褐色に染まっていました。もしかして、破水・・・? と不安が押し寄せ、病院に電話。すぐに来るように言われ、急いでタクシーに乗りました。

診察の結果はやはり破水でした。まさか妊娠14週で破水することがあるなんて。双子は二卵性でそれぞれが卵膜に包まれていたのですが、二男の卵膜の内側にあるはずの羊水がほとんどなくなっている状況でした」(河原さん)

突然の出来事に驚くばかりの河原さんに、診察した当直医からは厳しい現実が伝えられます。

「医師は『破水したほうの赤ちゃん(二男)が生きて生まれてくることはないだろう』と言うんです。目の前が真っ暗になり、どん底に突き落とされたようなショックでした。『5日前の妊婦健診では異常なかったのに、私は2人の赤ちゃんを産めないんだ』と、涙がこぼれました」(河原さん)

その夜は家で安静にと言われ、いったん帰宅した河原さんでしたが、翌日病院から「今すぐ入院するように」という連絡がありました。

「破水すると子宮内感染のリスクが高まり、母体に影響する恐れがあるというのです。夫が午前中は仕事を休んでくれ、入院の準備をして一緒に病院へ向かいました。そして、改めて診察を受け、担当医から状況の説明を受けました。

14週という極めて早い時期に破水した場合、赤ちゃんが1人だったら中絶をすすめるが、今回は双子で別々の部屋に分かれていて胎盤も別だから三男に異常はなく、中絶をすると三男も犠牲にしてしまうリスクがあること。破水した二男のほうが細菌感染したり、へその緒が圧迫されて栄養が届かず胎内で亡くなったりしてしまうと三男に影響すること。破水したほうの卵膜がふさがる可能性は極めて低いこと、などの説明がありました。

“赤ちゃんたちはきっと大丈夫”、そう思いたいのに、聞かされるのは厳しい現実ばかり。いろいろと説明をされても、2人はまだおなかのなかで生きています。どんな判断をしたらいいのか、すぐに答えは出せませんでした」(河原さん)

ただただ、双子の無事を祈り続ける日々

出産当日。体温を保つためにラップのようなものがかけられていました。

検査の結果、子宮内感染はありませんでしたが、河原さんは入院して感染予防の抗生剤を点滴しながら安静にし、赤ちゃんの様子を見ることになりました。

「翌日からの入院生活では、赤ちゃんの心臓が止まらないように信じることしかできませんでした。ずっと不安は抱えていましたが、私がネガティブなことを考えたらそれが赤ちゃんに伝わってしまうんじゃないかと思い、できるだけ“中絶”や“流産”といったマイナスな言葉は口にしないようにして過ごしました。毎日書いていた日記にも、ネガティブなことは書かないと決めました。

毎日、医師や看護師さんがおなかの赤ちゃんの心音を確認してくれました。その音を聞いて『今日も生きている』と少しだけほっとする日々。エコー検査の日には、動いている姿を見ることもできました。幸運にも大きな変化はなく、2人の心臓は動き続けてくれました」(河原さん)

急な入院の上、おなかの赤ちゃんの命にかかわる状況で、仕事を休むことを会社に連絡するのもつらかった、と河原さんは言います。

「いつまで入院するかわからないことを直属の上司と編集長に連絡しなくてはいけませんでしたが、感情があふれてしまうと思い、どうしても電話ができなかったんです。メールで『破水して入院します。いつまで入院するかわかりませんが、赤ちゃん難しいかもしれません』と伝えました」(河原さん)

「障害があっても、生きてくれたらいい」

生後5日の二男。初めて熱を測らせてもらいました。

入院52日目。河原さんは妊娠22週を迎えました。妊娠22週未満の出産は流産になり蘇生処置はされませんが、22週を過ぎると早産となります。

「妊娠22週が近づいたころ医師からは『生まれても障害が残る可能性が高く、いつ心臓が止まるかもわかりません。22週を過ぎたら中絶はできませんから、ご家族と相談してください』と説明を受けました。でも、2人が頑張っていてくれる限り、私から命を終わらせることはしないと決めていました。

それは、学生時代以降、障害のある方やご家族とお話しする機会があったからです。障害のある人の人生に触れた経験があったからこそ、双子たちも生まれてくれたら、生きていてくれたらそれでいい、と思っていました」(河原さん)

自分では「中絶はしない」と決意した河原さんでしたが、そんな思いを夫や家族に話すことはできなかったと言います。

「母親である自分の気持ちと、一緒に育てる家族の考え方とは違うと思いますし、もし万が一、産むことを躊躇する言葉が返ってきたらと、こわかったんです。ましてや入院中で面と向かって話す機会も少ない状況で、意見がすれ違ったら大きなしこりになってしまう気もしました。

あとから夫に聞くと『産むつもりなのはわかっていたし、障害があったとしても、頑張って生まれてきてくれたら親としてできる限りのことをしようと思っていた』と話してくれました。あのとき、あえて私に具体的なことを聞こうとしなかった夫に感謝しています」(河原さん)

23週で出産。双子の生命力に涙した

生後2カ月を過ぎた二男。体重は1200gほどになりました。

妊娠14週で破水し命の危機があった赤ちゃんたちでしたが、22週を過ぎても2人の心臓は動き続けました。

「妊娠22週を過ぎた日の診察で、医師から『正直、よくも悪くもならずこの状況が続くと思いませんでした』と言われたんです。その言葉に、うれしくて笑ってしまいました。2人の生命力はすごいな! って。

『もうしばらくおなかにいてね』と心の中で2人に話しかけていましたが、23週に入った日、また大量の水が流れてきました。三男のほうも破水したのです。2人とも破水してしまったら、もうおなかの中に長くはいられません。

それから帝王切開に向けて準備が進められ、2度目の破水から4日後に出産となりました」(河原さん)

2021年4月、河原さんは妊娠23週4日で帝王切開で出産しました。

「手術室で赤ちゃんが取り上げられたあと、医療者が私に眼鏡をかけてくれ、双子を私の顔の所に連れてきてくれて、『こっちが左の子ですよ』『こっちが右の子ですよ』と見せてくれました。放心状態でよく覚えていないけれど、三男が『みゃあ』と小さく泣いた声が聞こえました。

赤ちゃんは604gと552g、身長は約30cmでした。新生児仮死状態で生まれた2人はすぐに蘇生され、NICU(新生児集中治療室)へ運ばれていきました。

2人に面会するまでの時間は『生きているのか』『大丈夫なのか』『急変しないか』と不安との戦いでした」(河原さん)

河原さんが双子に面会できたのは、出産の翌日のことです。

「NICUで保育器にいる2人は、口やへその緒に治療のための管が何本もつなげられていました。2人の腕は私の人差し指くらいの太さで、皮膚は真っ赤で、体は小さく細く、頭は軟式野球ボールほどの大きさで、ふにゃふにゃしています。

医師や看護師さんから『触ってあげて』と言われましたが、なかなか触れられませんでした。当時はコロナ禍のさなか。私は長期入院していたために制限なく面会はできたのですが、私が触れたことで万が一感染させてしまったらどうしよう、とこわかったんです。初めは小さな小さな手のひらに、そっと自分の指を触れるくらいしかできませんでした。

産後入院中の1週間、毎日、数十分から1時間ほど面会に行きました。双子たちが小さいながらも手足を動かし、頑張って生きている様子に、感動して涙があふれました。『親が弱気でいちゃダメじゃないか』と勇気づけられ、双子を見守りながら『頑張って!』と心の中で応援し続ける毎日でした」(河原さん)

お話・写真提供/河原夏季さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

妊娠14週で破水してから、双子の生きる力を信じてネガティブなことは考えず前を向こうとしてきた河原さん。出産した日の夜、主治医から「ここからがスタートです。彼らの生命力に期待して一緒に応援しましょう」とかけられた言葉にとても励まされたそうです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

河原夏季さん(かわはらなつき)

PROFILE
withnews副編集長。2010年朝日新聞社入社。大阪、愛媛、埼玉で記者、東京本社で紙面編集を経験後、2018年からwithnews編集部に配属。障がい・医療的ケア児、付き添い入院、男性育休などの記事のほか、 不定期連載「小さく生まれた赤ちゃんたち」を発信。2児の母。

朝日新聞記者 マイストーリーレター

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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