「願うことすらしない未来だった」元女子高生トランスパパ、子2人、親3人、ジジババ6人でするチーム育児
生まれた時のからだと戸籍は女性で、性自認は男性ーー。トランスジェンダー男性として、LGBTQにまつわる様々な社会活動に携わる杉山文野さん。現在は、戸籍上の性別変更はしないままパパとして、二児の子育てライフを満喫中です。ゲイの親友(以下、ゴンちゃん)から精子提供を受けて親になった経緯は、『たまひよ』インタビュー(2019年2月)でも語ってくれました。あれから約2年。パートナーである女性と第一子、2020年12月に誕生した第二子と4人で暮らす家には、ゴンちゃんが週2回のペースでやってきます。子育てや家族のかたちをアップデートしながら多様性社会を牽引するリーダーの話には、育児の根源的喜びや「脱・孤育て」のヒントが詰まっていました。「たまひよ 家族を考える」杉山さんへのインタビューを全3回でお届けします。
トランスジェンダーである以上、願うことすらしない未来だった
子どもと生活して思うのは、「とてつもなくかわいい」ということ。溺愛しています(笑)。
上の子はいま2歳で、イヤイヤ期と、下の子が生まれたことによる赤ちゃん返り中です。こちらの言うことをほとんど反発で返してきますし、夜中もギャンギャン泣き続けています。あまりに手がつけられないから、「子ども 育てにくい」と検索して出てきた本をKindleで買って、夜中に読んだばかり。
そんなドタバタの生活ながら、わが子にニコッと無垢な笑顔を向けられると、すべて癒されてしまいます。
この多幸感は、一般的な子育て家庭の親御さんより大きいかもしれません。
家に帰れば、愛する家族が待っている。自分で新しく家族をつくって幸せな時間を過ごすという未来が、トランスジェンダーである自分の人生に待っているとは想像していなかったから。
親になることは人生の選択肢に当たり前に組み込まれている方が、大半だと思います。しかし、僕はそれを願うことすら諦めていました。マイナスだった地点からいまがあるから、喜びの振り幅が大きいんです。
あり得ないと思っていたことが実現した可能性の広がりも含めて、抱いたことのなかった喜びがあります。
自分の赤ちゃん時代を生き直している
もちろん、子どもを家族に迎えるかどうかは自由ですし、そうじゃない選択もあっていい。ただ僕の場合は、自分自身をより俯瞰して認識するようになり、自分の内面が変化したことがとても面白いと感じています。
ほとんどの大人は、生まれてから2歳ごろまでの記憶はありませんよね。
でも、自分はいまここにいる。子育てをすることで、記憶の中から欠落していたその時間を取り戻している感覚があります。
たとえば、絵本は誰かに読んでもらう立場だったのが読む側になりました。どんな絵本を買おうかと考えるところから始まります。
仕事の合間に本屋さんへ行き、子どもが笑顔になる姿を想像してパラパラしながら選びます。その夜、実際に読んであげると、喜ぶこともあれば、興味を惹かれていないどころか絵本をビリビリに破って遊んでしまうことも……。
絵本同様、一生懸命つくったごはんを、まったく手をつけずに床に撒き散らすことも起こります。食べこぼしで散らばる床を拭きながら、自分にもこういう時間があったのだなーと続いてきた時間を想います。
親から受け取ってきた贈りものに気づき、自分の現在地を確認しています。以前の僕とは、世界の見え方やとらえ方が変わってきています。
そして、すべての大人にこの時期があったのは、世間で活躍している人も、犯罪に手を染めてしまった人も同じ。その事実にも気づかされます。
世の中で起こる悲しい事件や社会課題やさまざまな人生は、その責任が個人にあると考えるよりも、社会の責任が大きいーー。「罪を憎んで人を憎まず」という意識を昔から大事にしてきましたが、身体的にも深く考えるようになりました。
凍結していた受精卵で2人目の妊娠。同時にコロナ禍へ
子育ての楽しさや素晴らしさを知り、2人目を考えるのは自然なことでした。そもそも第一子を考えたときから、「2人はほしいよね」とパートナーである彼女と僕とゴンちゃんで話をしてもいたんです。
僕は2人姉妹で姉がいてよかったし、一人っ子の彼女はきょうだいがずっとほしかった。ゴンちゃんは3人兄弟の次男で、彼も兄弟がいたほうがよいと言っていましたからね。
僕たちの場合は、育ての父である僕、生物学的な父であるゴンちゃん、そして生みの母である彼女と親が3人いて、それぞれに両親がいますから子どもには祖父母が6人いることになります。大人が多い環境ゆえに、過保護や過干渉になる心配もありました。
加えて、僕たちのような家族形態はまだ珍しいから、今後わが子が何か悩んだときにひとりで背負わせるのは申し訳ない心情もありました。
第二子の妊娠方法は、僕らの場合は第一子時に受精卵を凍結して保存していました。上の子が11月に1歳を迎えた翌年から、クリニックに通いました。1回目のトライで彼女の子宮に着床してくれたのは、とても幸運でした。
喜びも束の間、妊娠がわかったのと(2020年2月)、この世の中に突如、新型コロナウィルスが現れたのがほぼ同時でした。中国・武漢でのニュースはたちまち世界中で広がるパンデミックとなり、日本でも感染が広がり始めましたよね。
そこからは、不安とのたたかいでした。新型コロナウィルスと妊婦にまつわる情報が一切ありません。母体や赤ちゃんにどう影響があるのか何もわからないから、とにかく家に引きこもっていました。
経済的打撃もありました。僕の収入のほとんどは講演料です。講演が軒並みキャンセルになり、3月、4月の収入はほぼゼロに。
経営する飲食店の家賃やスタッフへの支払いの資金繰りに頭を悩ませながら、融資申請の書類を作成し、傍らには緊急事態宣言が出て登園できなくなった1歳半の子どもがいて、つわりでゲーゲーしている彼女がいる。毎年春に開催していたイベント「東京レインボープライド」の判断を代表として迫られ……。
あの数カ月はみなさんそれぞれの持ち場で耐えたと思いますが、僕も二度と経験したくないほど精神的にしんどかったです。
自分と彼女の両親、精子提供者の両親=祖父母は6人
同じ建物の1階に暮らす僕の両親には、助けられています。僕たちは3階に暮らしていて、1回目の緊急事態宣言中は毎日のように一緒に食事をしていました。
いまも、週末のどちらかは大家族で食事をします。そこにゴンちゃんが入ることもあったり、なかったり。いまの住まいは両親と玄関スペースは共有なので、そもそも毎日顔を合わせています。毎晩のお風呂は、湯船が1階にしかないので入りに行きます。夕食を終えた父が一杯やりながら孫と楽しく遊ぶのが家族の光景になっています。
義父母の実家も近い距離なので、定期的に行き来をしています。ゴンちゃんのほうの義父母は、住まいが金沢にあります。頻繁には会えませんが、電話でコミュニケーションをとっています。上の子の2歳の誕生日には上京してくれていました。
クリスマス会をしよう!といった家族のイベントも、参加者はすぐに10人を超えるので賑やかです。
子どもの人権をご専門のひとつにする山下敏雅弁護士が、こんなふうにおっしゃっていました。
「はっきりしていることは、子どもにとっては血の繋がりや法的関係性より、その人が自分に真剣に向き合ってくれているかどうかが大切だ、ということです。関わる大人の数が少ないと困ることはありますが、多すぎて困ることはない。多い方が子どもは安心します」
僕自身も、”3人の祖母”がいました、母方の母、父方の母、父方の父の姉です。本当に、そう思います。
こちらの質問に、丁寧に言葉を紡いでくれた杉山さん。トランスジェンダーとして生を授かったことで、自分で選んだわけではないにもかかわらず、「(自分の家族を持つという)こんな未来が待っているとはまったく想像ができなかった」と、充実感でいっぱいのいまの生活を語ってくれたところは激しく揺さぶられました。だからこそなのか、子育てに散りばめられた喜びや豊かさの数々に杉山さんはとても敏感。こちらの心も温かさに包まれました。2話目となる次回は、杉山さんのチーム育児を掘り下げます。
取材・文/平山ゆりの
杉山文野さん(すぎやま・ふみの)
Profile
1981年東京都新宿区生まれ。フェンシング元女子日本代表。早稲田大学大学院でセクシュアリティを中心に研究し、2006年に体は女性だけれど心は男性のトランスジェンダーとしての青春と葛藤をつづった自伝『ダブルハッピネス』(講談社)を出版。卒業後2年かけて世界50カ国を巡ったあと、一般企業で約3年勤める。独立して飲食店経営をしながら、講演活動などLGBTQの啓発活動を行う。日本初となる渋谷区・同性パートナーシップ条例制定にもかかわり、渋谷区男女平等・多様性社会推進会議委員やNPO法人東京レインボープライド共同代表理事を務める。2020年にパートナーの女性と精子提供を受けたゲイの親友との赤ちゃん出産までをつづったエッセー『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)を出版。同年、杉山さんの人生をモデルとした小説『ヒゲとナプキン』(乙武洋匡著/小学館)が発売された。3人親での育児生活をつづった新作エッセー『3人で親になってみた ママとパパ、ときどきゴンちゃん』( 毎日新聞出版)が3月27日に発売される。
