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トランスジェンダーの僕が、赤ちゃんを授かるまで

更新

ご自身も女性の体で生まれ男性の心を持つトランスジェンダーであり、LGBTの認知を広める活動を続ける杉山文野さん。今年1月に精子提供を受けてパートナーが出産し、“パパ”になったことを公表されました。公表したBuzzFeedの記事は、驚異的なリツイートやシェア数となり、大きな反響を呼びました。今、大きな注目を集めている杉山さんに、新しい家族を持つことを決心するまでのヒストリーを伺いました。

前編 トランスジェンダーの僕が、赤ちゃんを授かるまで(本記事)
後編 トランスジェンダー、ゲイ、ママ「親3人の育児」始めました

LGBTの人間だって、当たり前に好きな人と一緒にいたい

パートナーである彼女とつき合い始めたのは、今から8年ほど前。29才のときです。

彼女の実家が飲食店を営んでいて、僕はそこに客として通っていました。彼女と面識はあり、僕がトランスジェンダーであることも彼女は知っていました。

お互い顔見知り程度だったところ、たまたま舞台のチケットをもらって一緒に見に行く機会があったんです。それから急に仲よくなって、1カ月後にはつき合い始めました。

彼女は僕の3才下だから、当時26才。ちょうど長年つき合っていた彼氏と別れたばかりだったらしく、「楽しいから取りあえずいいか♪」程度の始まりだったように思います。僕としては、一緒に舞台を見てから猛アタックしていたんですけど(笑)。

つき合って1年後、彼女のご両親に自分たちの関係を伝えました。僕の自叙伝『ダブルハッピネス』(講談社)を出版した際も応援してくれた方たちだったから、きっと大丈夫だろうと。

それが大反対……! 理由はやはり僕がトランスジェンダーだからでした。 

彼女はひとり娘だし、「世の中にはたくさん男性がいるのだから、わざわざ僕を選ばなくても(大変な道を選ばなくても)いいんじゃない?」と、わが子を愛するゆえに認められないご両親の気持ちは理解できました。

同時に、自分のセクシュアリティを受け入れるのに僕自身も年月を要したように、彼女のご両親も時間が必要だろうとも思いました。だから、どんなに反対されてもご両親の営むお店に通うなど、めげずに向き合い続けました。

だけど、つき合って2年、3年、4年…と経っても状況は同じまま。彼女はすごく苦しそうでした。本当に仲のよいご家族だったので、そんなご両親に自分が選んだ相手を否定されるのはつらいでしょう。僕と一緒にいることで、それまでの人生では経験しなかった偏見や差別を目の当たりにし、その当事者にもなったわけですから。

同じような苦しみを理由に、以前僕も恋人と別れた経験がありました。自分が一番大切にしたい相手を、自分と一緒にいることで一番苦しめてしまう。それでも一緒にいたいというのは自分のエゴなのではないか。相手を本当に大切に思うのならば別れることが最大の誠意なのではないか…。大切にしたい相手だからこそ生まれる葛藤に耐えられなくなるんです。

そんなしんどい状況が続きました。ご両親と僕の間であまりにも苦しそうな彼女を見て、「別れよう」と言葉が出かかったことは何度かありました。でも、彼女だけはこれまでと同じ理由で別れたくない気持ちがありました。葛藤は自分の内にだけ留め、「僕と一緒にいるってことは多かれ少なかれそういうこともあるよ。でも絶対大丈夫だから!」と前向きな姿勢を貫きました。

LGBTを「認める」「認めない」という議論は不毛

彼女のご両親から理解を得るのは無理なのかもしれない――。諦めてかけていた6年目、和解したんです。

何か劇的な理由や出来事があったわけではありません。たまたまの流れで彼女のご両親と食事に行くことになり、自然な形で会話が始まりました。「許す、許さない」と、身構えるような話もありませんでした。

ご両親が変わった理由の本当のところはわかりません。お母様がLGBTのことをいろいろ調べてくれていたらしいとは、後で知りました。きっと、どんなに反対されても変わらずに彼女と僕が前を向いて一緒にいたから、少しずつ、少しずつ折り合いがついていったのだと思います。そのための時間として、6年が必要だっただけなのでしょう。

彼女と培った年月は、僕たちの関係を強くもしてくれました。

僕が東京都渋谷区の「同性パートナーシップ条例」に携わっていた2015年前後は、家に帰る時間もないぐらい忙しく、会えない日も続きました。彼女の両親から反対され続けていることは僕もつらかったし、その現実から逃げるように外に目を向けていたところもありました。

それでもやっぱり、「生涯のパートナーでいたい」と彼女を思う気持ちは変わりませんでした。

「病めるときも健やかなるときも…」という結婚式での誓いの言葉って、本当に大切な意識ですよね。うまくいっているときに一緒にいるのはそう難しくない。お互いに苦しいときや貧しいとき、相手の嫌な面が見えても、そのすべてをひっくるめて大切に思って一緒に歩めるかどうか。

僕は世の中を変えたい!と立ち上がったわけでも、何か特別なことをしたいわけでもありません。ただ、他の多くの方と同じように日常生活を送りたいだけ。普通に生活しようとすればするほど「活動」になってしまいました。

好きな人と一緒に暮らしたいし、家族になりたい。でもこうやって「普通」に恋愛して実を結ぶことすら、話題にされてしまう。

LGBTを「認める」「認めない」という意見は、いずれも論点が違うんです。正しいか否かは関係なく、実際に一定数のLGBTの人が存在している。その現実の中で、どうすればすべての人が暮らしやすい社会になるのか、いかに折り合いをつけて共生していくのか。そこを論点にしていくことが大事なのではないでしょうか。

今年1月に子どもが生まれたことを公表したあと、本当に多くのコメントやご意見をいただきました。どのように公表するか、そもそも公表すべきなのか…。公表前は反響への不安がありました。蓋を開けてみると、コメントのほとんどが温かい祝福の声でした。LGBTの方からはもちろん、LGBTではない方で不妊治療や、子育てや子づくりに何かしらの不安を抱えていた方々からも「勇気がもらえた」「選択肢が広がった」とも。上の世代のLGBT当事者の方からは「自分たちのころは考えられなかった」「あと10年早かったら自分も子どもを持ちたかった」といった声もいただきました。一方で、「子どもがかわいそう。いじめにあうのではないか」との批判もありました。この偏見こそが、いじめのはじまりだと僕は思います。

ライフスタイルが多様化した今、既存のルールとリアルな生活がちぐはぐになっています。「伝統的な家族感」がいけないわけではなく、時代の変化に合わせ、多様なニーズに応える選択肢を増やすことが大事。

僕は、これからもLGBTの認知を広めていく活動を通して、LGBTに限らずだれもが暮らしやすい社会の実現を叶えたい。親になったことで、これまでの自分の使命感や思いがより強く、くっきりしたようにも感じています。

(後半へ続く)

生物学上の父である松中権さんと。2人のパパと娘

プロフィール

杉山 文野(すぎやま ふみの)さん

トランスジェンダー活動家。1981年、東京都生まれ。フェンシング元女子日本代表。早稲田大学大学院教育学研究科修士課程修了。ジェンダー論を学ぶ。性同一性障害と診断を受けた自身の体験を織り交ぜた自叙伝『ダブルハッピネス』(講談社)を出版し話題に。LGBTの認知を広める活動を推進する傍ら、講演活動、地元である新宿・歌舞伎町の街づくりなどを行う。NPO法人 東京レインボープライド、NPO法人ハートをつなごう学校共同代表。



(撮影/もろだこずえ、取材・文/平山ゆりの)

後編 トランスジェンダー、ゲイ、ママ「親3人の育児」始めました

※写真撮影・インタビューは、2019年2月時点のものです。

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