「母になれば母のありがたみがわかる」と思ったのに、実母へのモヤモヤが増えてしまい…
口コミサイト「ウィメンズパーク」に「母になれば母のありがたみがわかるというけれど、私はその逆…」という声が届きました。悩みながらも淡々とした投稿主さんのつぶやきに、共感の声が殺到します。
辛い記憶はないけれど、愛情をかけられた記憶もなく
投稿主さんは中高生の母で兼業主婦。毎朝5時30分に起きて、子どもたちのお弁当を作るたびに思い出すそうです。
「母が作るお弁当は毎回市販のウィンナー、市販の肉団子、卵焼きと同じメニューでした。夕ご飯は市販の中華の素を使った八宝菜が週2回出てきました。飽きたと言うと、ちょっと変わりますがすぐ元どおり。
毒親ではなく、ひどい仕打ちを受けた記憶はありません。でも絵本を読んでもらった記憶も、抱きしめられた記憶もありません。
ちなみに母は専業主婦で私は一人っ子。時間もお金の余裕もあった生活でした。
よく”母になれば母のありがたみがわかる”と言いますが、感謝はもちろんしているのですが、モヤモヤします」
時代もあるのかも
「あの時代はそんなもんじゃないでしょうか。母たちが生まれたのは戦前・戦中・戦後と混沌とした時代で、多人数兄弟も普通でした。母自身が『親から手をかけてもらう』経験が少なかったはずです。
情報も少ないから『自分の経験が基本』となるのも、仕方のないこと。
もしかしたら市販の肉団子&ウィンナーは、お母さんにとってはすごいご馳走だったのかもしれません」
「私は十分にありがたみを感じてます。親から可愛がられた記憶はないけど、衣食住に困ったこともない。
成長してから、それが普通ではない世界もあると知りました。
母は専業主婦で、周りも専業が多かったから、あの頃は大人は大人、子どもは子どもの世界で生きていたような感覚があります。昭和あるある話だと思います」
「あの頃は4歳くらいから一人で外遊びに出かけましたもんね。確かに大人は大人、子どもは子どもって感じでした。
私の母も専業主婦でした。家事は手抜きで、たまに近所の人とお出かけしてたくらいだから、有り余る時間を何に使っていたんだろう(笑)というか、何を楽しみにして生きていたのかな。
昭和っていろんな意味でゆるかった。今は親が子どもに寄り添いすぎって感じるし、ときどき窮屈になって投げ出したくなる時ってありませんか?
どちらが正解なのかなって思います」
しかし「昭和あるある話」とする人は少数派。「私が書いた文章かと思った」という、共感の声が続々と届きます。
とてもわかる…共感の声
「私は投稿主さんと同じです。『母がしてくれたように、私も子どもにやろう』よりも『母にされて嫌だったから、私はやらない』『母にしてもらえなかったから、私はやる』と、思うことの方が多いです。
今思えば母は子育てが苦手だったのでしょう。早くに結婚して、やりたいこともできなかったストレスもあったと思います。
今はボランティアなど、ひたすら好きなことやってます。私は毒親じゃないだけマシ、と思うようにしています」
「書ききれないほどありますが、ニキビあってみっともない、味噌汁こぼしてみっともない、胸小さくて身長低くて恥ずかしい、そんなことを平気で言う母でした。
自分が親になり、あれ? 私の親ってちょっと言葉が…!?って気づきました。
『尊敬&真似したい育児』よりも『そうなりたくない&真似したくない育児』の方がはるかに多いです」
「今思えば、私はすごく優秀な子どもだったんです(ツッコミはご容赦ください)。
学校の勉強はスラスラ解けて簡単だったし、先生からお手本として指名されることも多数。
でも母に褒められた記憶はありません。それどころか『うちの子は何をやってもダメ』が口癖でした。なぜなら東大にストレートで合格した従姉妹のお姉ちゃん(いわゆる天才タイプ)と、比べられていたからです。
社会に出るまで、私はなんの取り柄もないダメ人間だと思っていました。
なぜあんなに欠点ばかり粗探ししていたのか、親になった今まったく理解できません」
「もちろん感謝はあるのだけども…『他にやり方あったろうに……』と、思うことばかりです。
学校から遠く離れた辺鄙な場所に引っ越したので放課後友だちと遊べないし、習い事はなし、躾もなし。
放任というよりも、子どもに関心ゼロな親でした。今思い出すと『ふざけんな』ってことばかり。
私は時代じゃなくて、親の視野の狭さだと思ってます」
「私は小学校2回、中学校1回転校しています。父の転勤じゃないです。母が『良さげな賃貸マンションを見つけた』が理由で引っ越し。
家事は手抜きで、いつもゴロ寝しながらテレビを見ているような母でした。『女に学業は不要』という考えだから、私の大学進学も留学も大反対。強行しましたが。
なのに『親に感謝しなさい』『お前は思いやりがない』が口癖の母です。これを『時代のせい』とは言って欲しくない」
「私は感謝半分、恨み半分です。
父はモラハラ暴力男で、母は父優先で私たち子どもは二の次。父の食事メニューは豪華だったけど、私たちは白飯とおかずは具なし焼きそばとか普通で、私たちが父に折檻されても母は傍観でした。
挙句に私の誕生日に、不倫相手と蒸発しましたからね。1ヶ月で戻ってきたけど(笑)
まぁ高校3年間はお弁当を毎日作ってくれたし、愛情を感じたこともあり、父が亡くなった今は良好な関係です。でもね。
『子どものことを第一に考えないとダメよ』と、言われた時は『は!? どの口が』と、どす黒い感情が湧き上がりました。思いっきり罵倒して過去の恨みを吐き出したいって、思うこともあります。でも高齢の母には哀れで言えません。反面教師にして、私と同じ思いはさせまいと子育てしています」
「いろんな思いを語ってくださった皆さん、ありがとうございます。
わが家の豚汁の豚肉は、母はほぐさないので塊のままでゴムみたいな食感で、私は豚肉が大嫌いでした。が、母となり豚汁に豚肉をほぐして入れたら美味しくて、びっくりした経験があります。
こういった経験も多くて、モヤモヤとした思いが残るのです。
毒親じゃないだけマシと思いつつ、親孝行しなきゃと思いつつ、でも…って思うことも多くて辛いのです。
でもここで吐き出せて、少しだけどスッキリしました」
と、投稿主さんは〆ました。
文/和兎 尊美
■文中のコメントは口コミサイト「ウィメンズパーク」の投稿を抜粋したものです。