右手の指が3本の娘。親子が「違い」を受け入れるまでの8年間【先天性四肢障害を知る➀ 】
特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
先天性の疾患によって、手足が多くの人とは少し違う形で生まれてくる子どもたちは、約2万人に1人(※)だといわれています。そんな子どもたちと家族が、いろいろな情報を共有して交流する場所として生まれたのがNPO法人「Hand&Foot(ハンド アンド フット)」です。代表の浅原ゆきさんは、ご自身の経験から「少し違う手足を持つ子どもや家族が孤立してほしくない。いろいろな違いがあることをみなさんに知ってほしい」という思いで団体を運営しています。
「多様性の時代」といわれてずいぶん経ちますが、私たちはどこまで他人との違いを認められるのでしょうか。浅原さんと、娘の「りっちゃん」のこれまでの歩みは、私たちにそのことを問いかけてくれるようでした。2回に分けて、浅原さんのお話を紹介します。
※裂手裂足症は先天性の疾患で2万人に1人。
※先天性絞扼輪症候群は、指や腕の途中にひもで縛ったようなくびれがある病気です。全指欠損の場合は、数十万人に1人と言われています。(Hand&Foot WEBサイトより)
生まれてすぐ「裂手症」が判明。誰にも相談できなかった
「赤ちゃんの指が欠けています。紹介状を書きますから、大きな病院で診てもらってください」
帝王切開での出産から1時間後。浅原ゆきさんは、突然の医師の言葉に頭が真っ白になりました。生まれたばかりの赤ちゃん――りっちゃんは「裂手症」といわれる先天性四肢障害で、右手の指が3本だったのです。
(妊娠から今まで、何の異常もなかったのに……)
麻酔で朦朧としていたこともあり、(これは夢かもしれない)と思うほど、現実感はありませんでした。
「冷静になるにつれて(これは現実なんだ)とパニックになりましたが、周りにはそんなそぶりを見せないようにしていました。赤ちゃんの誕生を喜んでいないと誤解されたくなかったからかもしれません」と、浅原さんは静かに当時を振り返ります。
紹介された大病院に行くと、「何もできません」と言われました。そして周りの人たちからは、「何か薬を飲んだの?」「放射能の影響では?」など、さまざまな憶測の言葉が投げつけられます。浅原さんは次第に「私のせいなのかな」と、泣きながら自分を責めるようになったといいます。
「誰にも相談する気持ちになれず、毎日インターネットを検索して、りっちゃんの手を“普通”のみんなの手と同じにする方法を探していました。手を移植する方法を探したり、海外の文献を読み漁ったり…。大きなモヤモヤを抱えながらも、周りには平気な顔をしていました」(浅原さん)
「どうしておててが3本なの?」と聞かれた日
りっちゃんが生まれた当時、インターネット上には手足に欠損がある子どもについて発信しているお母さんやお父さんはほとんどいませんでした。浅原さんは心細さを感じながら、毎日必死に検索して情報を収集。りっちゃんは3本のうち2本の指が癒着していましたが、その指を離す難易度の高い手術ができる医師を探し出すことができ、1歳になったタイミングで手術を受けることになりました。
3歳の時には、2回目の手術をすることになりました。今度は親指の位置をずらして、もう少し指を動かしやすくするための手術です。
「当時はまだ私自身、りっちゃんの指がどうにか5本にならないかなと心のどこかで考えていて、現実を受け入れきれていませんでした。でも、3歳ともなると、ちゃんと本人に手術の理由を説明してあげる必要があります。りっちゃんに『おててはこのままだけど、使いやすくするための手術なんだよ』と説明するうちに、私もようやく、この手をこれから支えていこうと、ちゃんと心の中で納得できたように思います」(浅原さん)
その時は「そうなんだ。おてて、なおらないんだね」と受け入れていたりっちゃん。それから1年後の4歳の時、お風呂に入っている時に「どうして3本なの?」と、純粋な疑問をママに問いかけたことがあります。
「ついに来た、と思いました。当時私はすでに四肢障害の親子のための団体(Hand&Foot)を立ち上げていて、そんな質問をした当事者の人たちのお話も聞いていました。りっちゃんが困ってしまわないように、絶対に泣かないで答えようと誓っていたはずが、赤ちゃんの頃を思い出すだけで涙が出そうになってしまって…。でも、生まれた時からなんだよ。かわいいりっちゃんのおてて、ママは大好きだよ。そのままで大丈夫なんだよと、精一杯伝えました」(浅原さん)
「違い」はみんなにあるもの。誰のせいでもない
りっちゃんが6歳になった時、ふいに聞かれた質問を浅原さんは忘れられません。
「『ママは、りっちゃんが生まれた時、指を見てどう思った?』と言うんです。『びっくりしたけど、すぐに可愛いと思ったよ!』と答えました。そして、少し考えて、正直に付け加えました。『あと…ママのせいかな?とも、ちょっと思ったりもしたよ』って」(浅原さん)
それを聞いたりっちゃんの反応は、意外なものでした。ママの言葉を聞いて「えっ」とびっくりした後、「ママのせいじゃないよ。自分が指を作らなかったんだから、りっちゃんのせいだよ!」と、怒って泣き出したのです。
「ショックでした。まだ小さいのに、そんなことを考えていたなんて…。慌てて『違うよ、りっちゃんのせいじゃないよ。誰のせいでもないよね。もう自分のせいかもって、思うのはやめよう。ママと一緒に約束しようね』って、りっちゃんと向き合ってしっかり伝えました」(浅原さん)
その言葉は、浅原さんが自分自身に言い聞かせたことでもありました。違いはみんなにある。誰のせいでもない――りっちゃんの手をきっかけにいろいろな人に出会う中で、浅原さんが感じてきたことでした。
「違い」を少しずつ受け入れて生きていく
りっちゃんは今、8歳になりました。私たちが自分の体のパーツを好きになったり嫌いになったりするように、自分の右手を時には嫌いになったり、好きになったりしながら成長しています。小学校の入学の時は、2歳上のお姉ちゃんが友達や先生に「うちの妹はね…」と、手のことを説明してくれたおかげで、戸惑っていたりっちゃんも心強さを感じながら入学できました。
浅原さんも、りっちゃんも、8年かけて「違い」を少しずつ受け入れてきました。
「0歳から通っていた保育園では、手のことをいろいろと聞かれたり、からかわれたり、それでも『これがりっちゃんの手だよ』って受け入れてもらったり…。いろいろなことがありました。
卒園する時に、園のみんなで記念に手形をとることになったんです。先生が後日、『りっちゃん、自分で右手を選んで手形を押したんですよ』って私に教えてくれました。園の廊下に貼られているみんなの手形の中で、うちの子のものはすぐにわかりました。それがなんだか、すごく嬉しかったのを覚えています」
「そうか、あの子はそうなんだね」と、みんながお互いの“違い”を受け入れて共に過ごすことができれば、子どもたちにも、親たちにも、もっと生きやすい世の中になるに違いありません。浅原さんは、そんな思いを抱いて「手と足の違い」を持つ自分たちのような子どもや家族のためにと、今日も活動を続けています。次回は、浅原さんが代表理事を務める団体「Hand&Foot」の設立からこれまでのお話を紹介します。
浅原ゆきさん(プロフィール)
NPO法人Hand&Foot 代表理事。次女のりっちゃんが裂手症で生まれたことをきっかけに、2013年に手足にちがいをもって生まれてきた子どもたちとその家族、当事者を支援する「Hand&Foot」を設立。情報共有クローズドSNSサービスの運営・管理、インターネットなどでの情報発信・啓発活動を行う。
(取材・文 武田純子)