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サヘル・ローズにインタビュー 血のつながりはなくても愛にあふれる親子のカタチ「生まれ変わったらわたしのおなかから出てきて」

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強い絆で結ばれたサヘルさんと養母フローラさん(画像提供:サヘル・ローズ)

イランの戦時下で生まれ、4歳まで孤児院で過ごしたあと、7歳でジャスミン・フローラさんの養女となり、8歳のときに来日した俳優・タレント、そして人権活動家のサヘル・ローズさん。外国人であることから受けた差別やいじめ、貧困、自分の弱さ、そして、養母への想いなど、そのすべてを書籍『困難を乗り切るための“自分育て”言葉の花束』(講談社)に書き綴りました。「この本を読んでどんな人でも葛藤を抱えながら生きていることを知ってほしい」とサヘルさんは話します。

サヘルさんと養母フローラさんは、長い時間をかけて親子の関係を培ってきたと言います。前編では、幼少期の記憶や養母との出会いなどについて、サヘルさんに聞きました。

幼い頃にできた心のひび割れは今も埋めることはできない

周りの人の愛情を注ぐことで負の感情を鎮めていると話すサヘルさん

――― 著書の中で「4歳くらいまでの記憶が空っぽ」というのはどのような状態だったのでしょうか?

サヘル・ローズさん(以下敬称略)私には生きるのに精いっぱいだった幼少期の記憶が残っていないんです。

子どもの頃の環境って、その後の精神状況にすごく影響するんですね。私は0歳から4、5歳くらいまで、親の存在を肌で感じたことはありませんでした。誰かの瞳の中に映りたい。そう思いながら、人の温もりを求め、孤児院で集団生活をしていました。そのせいなのか、7歳で養母に引き取られてたくさんの大きな愛を注いでもらっても、幼い頃にできた心の隙間やひび割れを今も埋めることができないままです。


――― 30年近い時間が経っても、当時できた心のひび割れがまだサヘルさんを苦しめているのですね。

サヘル・ローズ  今でこそ、そのひび割れを拒絶することはなくなりましたが、ちゃんと向き合えてはいません。そして、そこから生まれる怒りやしんどさといった感情を鎮めるために、他者へ愛情を向けたり、誰かのために生きたりしているのが、今の私です。

養護施設や難民キャンプの子どもたち、そして養母のフローラ。今、関わっている人々の存在がなくなってしまったら、私はたぶん安定を失って粉々になってしまうかもしれません。

初めて会った瞬間に思わず声に出たのは“Mother”という単語

長い年月を共に生きてきた養母のフローラさんと。(画像提供:サヘル・ローズ)

――― サヘルさんと養母のフローラさんとの出会いを教えてください。

サヘル・ローズ 私が育った養護施設は、裕福な人たちが資金を出していてくれていました。あるとき、テレビ番組がその施設を取り上げ、「ここにいる孤児を救ってあげてください」というメッセージを流したんです。それを観て、たくさんの人が施設を訪ねて来ました。その中に養母のフローラもいたんです。

初めて養母のフローラに会った瞬間、なぜだかわからないのですが、私は“Mother”と言いました。ひいおばあちゃんと「将来、養子を引き取る」と約束していた彼女は、私の“Mother”という言葉を聞いて、この子が「ひいおばあちゃんとの約束の子だ」と確信したそうです。

でも、7歳まで施設で暮らしていた私には、“Mother”という言葉の本当の意味がわかっていたわけではありません。親子になったあと「お母さんってなに?」と聞いたそうです。おまけに、大勢で暮らす養護施設から養母と二人きりの暮らしになった私は、1対1の関係に耐えきれず、引き取られて1週間後には「施設に帰りたい」と泣き叫んでいたそうです。


――― サヘルさんにとって、養母のフローラさんはどんなお母さんでしたか?

サヘル・ローズ 養母はめちゃめちゃ厳しいし、今もよく叱られます。仕事に関してもダメなものはダメだとはっきり叱ってくれるんです。大人になると、だんだん叱ってくれる人が少なくなるなかで、今も私を叱ってくれることは養母の最大の愛だと思うんです。

養母は、革命と戦争を経験しただけでなく、私を引き取ったあとに来日して、路上生活を経験するなど、あらゆる苦難をたったひとりで抱えてきた女性です。その彼女は、いつも「できるおかあさん」という着ぐるみを着て私の前に存在していました。それがとても苦しかった時期もありましたが、大人になるにつれて、次第に養母の思いも理解できるようになってきました。

今、私はこんな風に自分をさらけ出すことも、自分の弱さを長所に変えることもできるようになりました。でも、養母は、本当は誰よりも弱いのに強がることしかできない人です。「もうこれ以上自分の弱さを隠さなくてもいいよ」と言ってあげたいし、これからは、私がずっと彼女を守っていってあげたいと思っています。

私にとっての養母は、ひとつの魂がたまたま別の身体に宿っているのではないかと思えるくらいの人。母であり、父であり、兄弟であり、恋人であり、夫であり、妻であり、一言では言い表すことはできません。

血のつながりはなくても、私たちは愛という絆で結ばれた親子

著者を手にするサヘル・ローズさん

――― 著書の中でも、「生まれ変わったらわたしのおなかから出てきて」というフローラさんの言葉が紹介されていますね。

サヘル・ローズ 突然、7歳の子の親になって、葛藤も不安もあったはずなのに、「もう1回、私を産みたい」と言ってくれた。それを聞いたときは本当にうれしかったです。

でも来世では、私が養母を産んで、お母さんがやりたかったこと、あきらめてしまったことを、全力で応援したいんです。
私たち親子には血のつながりはありませんが、心から愛し合っています。親子は血のつながりだけではないということ、血縁関係がなくても心と心は結びつけられることなど、養母から学びました。


――― 国籍の違いや貧しさが原因でいじめに遭ったことも著書の中で語られています。

サヘル・ローズ 「いじめ」について書いたのは、私を憐れんでほしかったり、「いじめ」に遭っている人に「がんばれ」と言いたかったりするわけではありません。

人が本当に苦しいとき、「がんばれ」という言葉がほしいのではないということを、私は自分の経験から感じています。ただ、誰かに話を聞いてほしいだけなんです。私も自分でなんとかできないから話を聞いてほしくて、カウンセリングの先生のところに行った経験がありますが、返って来たのは、「大丈夫!一緒にがんばろう」という言葉。もうがんばれないと思ったから助けを求めているのに。だから私は、一生懸命がんばっている人にこそ、「がんばらなくていいよ」と言ってあげたい。

そしてもうひとつ、一番がんばっている自分に、「ありがとう。お疲れ様」と言ってあげてほしい。人はなぜか、自分のことをけなしたり、後回しにしがちです。私も、他者ではなく、自分で自分を傷つけていることの方が多いので、定期的に自分に「お疲れさま、よくがんばっているね。がんばらなくて、もういいよ」と自分で自分をギュッと抱きしめてあげてほしいです。そうすれば、気持ちがふっと楽になりますよ。


取材・文・写真/米谷美恵 画像提供/サヘル・ローズ

※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

サヘル・ローズさん

PROFOLE
俳優・タレント/1985年イラン生まれ。幼少時代を孤児院で生活し、フローラ・ジャスミンの養女として7歳のときに引き取られる。8歳で養母とともに来日。高校時代に受けたラジオ局J-WAVEのオーディションに合格して芸能活動を始める。レポーター、ナレーター、コメンテーターなど様々なタレント活動のほか、俳優として映画やテレビドラマに出演し舞台にも立つ。
また芸能活動以外では、国際人権NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていた。私的にも支援活動を続け、公私にわたる福祉活動が評価され、アメリカで人権活動家賞を受賞。『困難を乗り切るための“自分育て” 言葉の花束』(講談社)以外に、『戦場から女優へ』(文藝春秋)、写真詩集『あなたと、わたし』(安田菜津紀氏と共著/日本写真企画)がある。

困難を乗り切るための“自分育て” 言葉の花束(講談社)(¥1,430/ 講談社)

孤児、養子縁組、貧困、いじめ、差別……。さまざまな困難を切り抜けてきた著者が、
自らの体験を今、言葉の花束にした珠玉の一冊。

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