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「どうかこの子を助けて!」と祈り続け、662gで出産。暗い洞窟の中で悩み、6年間だれにも話せなかった【超低出生体重児】

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福井県に住む北川里実さん(36才)は、湧一朗くん(ゆういちろう・7才)、長女(9才)、純平さん(36才)、ほか同居家族を含む8人で暮らしています。2人目に授かった湧一朗くんを、妊娠24週、662gで出産しました。壮絶な出産体験と産後のつらい思いから、6年間、パパ以外のだれにもお産の時の孤独やつらさを話せなかったそうです。現在、福井県でのリトルベビーハンドブック(※以下、LBH)配布に向けた活動をしている里実さんに、当時の話を聞きました。(上の写真は出産3日目、はじめて湧一朗くんに触れた時の様子)

妊娠24週に大量出血で緊急帝王切開に

生後2日、保育器の湧一朗くん。

第2子を妊娠した里実さんの出産予定日は2015年5月のはずでしたが、2014年12 月、妊娠21週の妊婦健診で、子宮口が開いていて赤ちゃんを包む膜(胎胞:たいほう)が見えているとわかり、すぐに入院して子宮頸管(しきゅうけいかん)を結ぶ手術を行いました。赤ちゃんは元気だけれど、破水すると危険なため、そのまま絶対安静に。母体保護法では、22週未満の赤ちゃんには救命措置は行われません。22週を過ぎれば早産で産むことができるため、北川さんは入院中はほぼ歩かないようにずっとベッドで過ごしました。そしてなんとか妊娠24週を過ぎたころ、北川さんの体に異変が。

「1月12日の朝、おしりまで響く重だるい痛みとおなかの張りがありました。何かがおかしい…。看護師さんにナースコールをし、モニターなどの準備が進む間に、大量出血してしまったんです。看護師さんたちの顔色が一変したのがわかりました。家族に連絡を取るため看護師さんが手にした私の携帯も血まみれになるほどの出血。常位胎盤早期剥離(じょういたいばんそうきはくり)の状態だったらしく、超緊急帝王切開となりました。

医師から『必要最低限の麻酔でごめんね』と言われ、簡易麻酔をされパジャマにはさみが入り、手術が始まりました。おなかの皮膚を切る感覚もわかる激痛です。痛みと恐怖から全身がガタガタと震えました。手を握ってくれた看護師さんの指の骨が折れそうなほど握りしめてしまったと思います。

私は1人目は経膣分娩で、陣痛や出産の痛みは知っていましたが、それとはまったく違います。痛みに耐えながら、ひたすら『どうかこの子を助けて!』と祈り続けていました」(里実さん)

里実さんは2015年1月12日、24週3日で662gの男の子を出産しました。廊下で待っていた純平さんは、手術室からベッドで運ばれてきた里実さんの様子を見て「顔色が異様なほど白く、今も鮮明に覚えている」のだそうです。

「おめでとう」と声をかけてもらえないつらさ

生後101日、転院先のGCUを退院の日に、初めてパパが授乳の練習

帝王切開出産後、医師たちの処置により無事蘇生(そせい)された赤ちゃんは「生きる力や勇気が湧(わ)き出るように」との願いから「湧一朗」くんと名づけられました。湧一朗くんに里実さんが初対面したのは産後3日目のこと。

「車いすでNICUに連れて行ってもらい、会うことができました。アラーム音の鳴り響く中、保育器の中でたくさんのチューブにつながれ両手のひらに乗るほどの小ささの赤ちゃんがいました。保育器に手を入れてそっと触れると、小さいけれどあったかい。『生きていてよかった』と感じると同時に、『こんな状態で産んでしまって本当にごめんね』と心の中で謝り、自分を責めながら涙をぐっと堪えました」(里実さん)

里実さんは産後、貧血や発熱で体調が悪い日が続いたことも重なって、しばらくは心もすさんでいた、と言います。

「同じ部屋で『出産おめでとうございます!』と言われているママとは対照的に『大変でしたね』が私にかけられる言葉。私の出産は、この子の命は、おめでたいことじゃなかったのかな、と考えてしまいました。両親にもこれ以上心配をかけたくなく、つらい気持ちを話すことができませんでした。ふさぎ込んでいた私に、夫は『湧一朗は今日はこんなことができていてすごかったね』と話してくれたり、娘の動画を見せてくれたりして、ネガティブなところから私を戻そうとしてくれていたように思います。

そんな中で心の支えだったのは、看護師さんたちがつけてくれる成長日記。『今日はこんなふうに動いていましたよ』と、見せてくれる成長の記録が励みになっていました。湧一朗は産後3日に初めて初乳を綿棒で与えてもらったんですが、その日は0.2mlを4回、翌日は0.5mlを8回、翌々日は1.0mlを8回、少しずつ量を増やして与えてもらっていました。0.5mlなんて、本当にごくごくわずかな量です。だけど、ほんのわずかな量だけでも、彼が生きて成長している証し。それを知ることだけでも前を向くことができました」(里実さん)

また、初めて湧一朗くんと会った時の実父の言葉も心に残っていると言います。

「私は産後2週間ほどで退院し実家で過ごしていたんですが、入院している湧一朗に母乳を届けるため、1日おきに父が車で送ってくれていました。私は、父があまりにも小さい赤ちゃんを見てショックを受けるんじゃないか、と思っていたんですが、初めてNICUの湧一朗の姿を見た父が『この子の背中はしっかりしてる。これなら大丈夫や、安心しろ』と言ってくれたんです。その言葉にとても救われました」(里実さん)

湧一朗くんの成長は、病気や障害の心配事だらけだったけれど…

5才で補助輪つきの自転車に乗れた湧一朗くん。この後すぐに補助輪なしでも乗れるように。

出産直後は、その日1日を生きられるかどうかが心配で、先のことは考えられなかった、と里実さん。けれどしだいに湧一朗くんが頑張って成長する姿を見て、気持ちに変化が現れた、と言います。

「湧一朗が生まれた日、先生が子どもの形の絵に、目、頭、心臓、などの場所に病名が記されている図を描いて、病気や障害の可能性について説明してくれました。パッと見るだけでも心配事だらけです。最初のころは病気のことをいろいろと調べて落ち込んでいましたが、湧一朗が生後1日、3日、1週間、と少しずつ乗り越えて成長するにつれ、やがて私も夫も『今の彼を受け入れよう。病気になったらその時考えよう』と思えるようになってきました。

先生や看護師さんたちのケアのおかげで、幸い、湧一朗は大きな病気や手術もなく順調に育ってくれました。出産から約3カ月後の4月14日に、ほかの病院のGCUに転院し、それから9日後、4月23日の退院時には体重は3000gほどになりました。幸い大きな心配事もなく、貧血の薬だけ処方されました。歩行できるかの心配があったため、療育センターに通って運動療法やマッサージなどを行い、1才半ころには歩けるように。7才になった今、運動は少し苦手なものの元気に走ったり、自転車に乗ったりしています」(里実さん)

この春から湧一朗くんは小学校2年生になりました。身長は121cm、体重は27.3kg。食べるのが大好きで、活発な男の子に成長しています。

暗闇を照らす一筋の光を届けたい

お姉ちゃんととっても仲よし!

すくすくと育ってくれた湧一朗くんですが、正期産(せいきさん)の子に比べると発達は少しゆっくりです。里実さんは乳幼児健診などで歯がゆい思いを経験したこともあると言います。

「湧一朗の母子健康手帳は正期産用のもので、ほとんど何も書いていません。保健所からの乳幼児健診のお知らせも、修正月齢ではなく実月齢で届くんです。湧一朗の発達は正期産の子と比べて4〜5カ月ほど遅れているので、修正月齢で受けないと意味がないのに…。市役所に電話して健診を4〜5カ月遅らせてもらって参加し、誕生日を伝えると驚かれたりして…そんなささいなことにも傷ついていました」(里実さん)

湧一朗くんが1才になったころから、里実さんは自分の経験が、同じような境遇のママに役立てることはないかと模索し始めたそうです。いろいろと調べた中でLBHの存在を知り、2020年から福井県での作成をめざして活動を始めます。要望書を作成し、2021年7月に福井県へ提出。その後、福井のリトルベビーサークル「カンガルークラブ」に加入し、同年12月に再度要望書を提出。2022年、福井県でも制作・配布されることが決まったそうです。

「私は要望書を書くまで、自分の出産の経験を夫以外の誰かに話すことを避けていました。話すことで相手にとって負担になるのではないか、知られたらどう思われるか、小さく生まれた子のママも身近にいないので、気持ちに寄り添ってもらうこと自体難しいだろうというあきらめのような気持ちもありました。
また、出産当時のことと向き合うことができず退院までの写真も印刷したことがありませんでした。

ようやく当時を振り返れるようになり、私のように暗い洞窟(どうくつ)の中で1人でもがき、不安や孤独を抱えている低出生体重児のママたちにLBHを届けることで、少しでもママたちの心の負担が少なくなる、前を向けることにつながればいいという気持ちで活動を始めました。
赤ちゃんを小さく産んだママたちにとって、子どもが母乳をとる量がたった0.1ml増えた、今日は胃管チューブが抜けた、そんな小さな1つ1つの出来事がすごく大きな成長なんです。それを記せるLBHがあれば、子どもの成長を感じ、ママたちが前を向くことにつながると思っています」(里実さん)

【板東先生より】LBHは赤ちゃんの成長の記録とママたちのメンタルケアにも

リトルベビーハンドブック(LBH)はお母さん方のメンタルケアの要素が強く、かつ書きにくい母子手帳の項目が書きやすくなっています。加えて先輩ママ・パパの経験談や行政施策機関・当事者の家族サークルの連絡先などが特化した内容になっています。昨年度各地で立ち上がった家族サークルが都府県庁にLBH作成の要望を出しました。要望がなくても作成を検討している県も複数あり、今年度は20余り府県で作成されるように思います。

お話/北川里実さん 監修/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部

一般の母子健康手帳の発育曲線グラフの体重は1kg、身長は40cmからですが、LBHは体重の目盛りのスタートは0kgから。自治体によって内容が異なりますが、先輩ママからのメッセージや、「初めて触った日」「初めて抱っこした日」などを記録できるものも。小さく生まれた赤ちゃんの健康のために、必要な正しい情報が掲載されているのも安心です。

※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

板東あけみ先生(ばんどうあけみ )

PROFILE
国際母子手帳委員会事務局長。29年間京都市で主に支援学級の教員をつとめ他あと51歳のとき才阪大学大学院で国際協力を学ぶ。とくに母子健康手帳の認知を重視し、海外の母子健康手帳開発に協力。静岡県の小さな赤ちゃんを持つ家族の会「ポコアポコ」が作成した「リトルベビーハンドブック」に感銘を受けたことをきっかけに、各地のリトルベビーハンドブック作成のため都府県庁とサークルのコーディネート支援を行う。

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