誕生5時間後に新生児脳梗塞で緊急搬送。後遺症の右片まひで、9回もの手術・リハビリでの入退院を乗り越えて【体験談・医師監修】
現在小学5年生の髙橋萌ちゃん(11才)は、ママのおなかにいるときに新生児脳梗塞(のうこうそく)を発症した後遺症で現在も体の右側にまひがあります。生後すぐからリハビリを行い、小学校3年生のときには右足の手術もしたのだといいます。長い入院生活も経験しました。ママの奈緒さんに、萌ちゃんが生まれたときのことやリハビリの様子について話を聞きました。
元気な産声を上げて誕生した5時間後、緊急搬送となり・・・
――萌ちゃんの出産のときの状況を教えてください。
奈緒さん(以下敬称略) かかりつけの産院に38週の妊婦健診に行ったとき、赤ちゃんの心拍を見るNST(ノンストレステスト)で、心拍が異常に弱くなっているため、急きょ帝王切開で出産することになりました。そしてすぐに赤ちゃんの状態に対応できる札幌の提携病院に救急搬送されることになったんです。
かかりつけ産院の事務の人が自家用車で送ってくれました。1時間ほどして札幌の病院に着くと、すでに準備がされていたのか、30分後には帝王切開出産となりました。あまりに急なことにびっくりして気持ちが追いつきませんでした。それに赤ちゃんの心拍が弱くなっていると聞いて、無事なのかとても心配な時間でした。萌は身長49cm、体重2454gで無事に生まれてくれました。
――出産のとき、萌ちゃんの産声は聞くことができましたか?
奈緒 はい。元気な産声を上げてくれ、本当に安心しました。搬送先の病院には、夫やばあばやじいじも駆けつけてくれて、みんな赤ちゃんの元気な顔を見られてほっとしたそうです。
ただ、検査したところ貧血があり血小板が減少していてどこかから出血しているかもしれないため、さらに大きい病院での検査が必要と言われ、出産から5時間後に娘だけ北海道立子ども総合医療・療育センターのNICU(新生児集中治療室)に緊急搬送されることになりました。
私は麻酔でもうろうとしていてそのときのことはよく覚えていないのですが、真夜中近くに目が覚めたときには、娘はすでに別の病院に搬送されていました。
――産後に急に離れ離れになり、不安だったのでは・・・?
奈緒 生まれたときはとっても元気な産声を上げてくれた娘が、危険な状態かもしれないと聞いてとてもショックでした。自分が娘のそばに行ってあげられないふがいなさ、産んだ娘に会えない寂しさ、いろんな感情が入り混ざり胸がいっぱいでした。私がいた病院では、娘の搬送先の状況はわからなかったので、ただ不安で眠れない夜を過ごしました。
萌が搬送された北海道立子ども総合医療・療育センターには夫と私の両親が行ってくれたので、医師から聞いた説明を私に電話で伝えてくれました。貧血や血小板減少の原因を調べるために、CTやMRIの検査を受ける、と聞きました。
――奈緒さんがその後萌ちゃんに会えたのはいつごろですか?
奈緒 産後6日目に外出許可をもらって、夫の運転で娘に会いに行きました。ようやくNICUにいる萌に会えて、抱っこすることができました。萌に会えるまでの6日間は本当に長かったです。とってもかわいい女の子で、ただただ「かわいい!」と思い、幸せを感じました。
萌に会うまでは精神的にもつらく体調もよくなくて、母乳があまり出なかったんですが、萌に会ってから少しずつ母乳が出るようになりました。この目で自分の子を見て、抱っこすることができて、安心できたんだと思います。
――そのときに医師から萌ちゃんの病状の説明はありましたか?
奈緒 医師から検査結果などの説明を受け、萌は新生児脳梗塞と診断されました。
私のおなかの中で脳梗塞を起こして生まれてきたそうです。左の大脳のダメージが大きく、右片(体の右側の)まひ、てんかん、発達の遅れ、言語障害の可能性があると説明を受けました。ただ、まだ赤ちゃんなので成長してみないと後遺症が出るかどうかはわからないけれど、可能性としてそのような症状があり得るという話でした。
――説明を聞いて、夫婦で今後のことについてどう考えましたか?
奈緒 脳梗塞が起こってしまったことはショックでしたし、これからどの程度のどんな後遺症が出るのかもわからない不安はありました。
夫は「不安だけどしかたない。なるようにしかならない」という考えで、私も同じように考えていました。私たちにとって萌は、かけがえのないかわいい娘。幸い、生後すぐからサポートしてくれる先生たちにも恵まれました。だから、もしこれから困ることが起こったらそのとき考えればいい、と前向きになろうと思っていました。
寝返りもおすわりも通常発達。まひはわからなかったけれど・・・
――その後、NICUでの萌ちゃんの経過を教えてください。
奈緒 最初はいろんな装置につながれてチューブやモニターケーブルがたくさんつけられていましたが、わりと早い段階で容体が安定し、日に日にチューブなどがはずされ、生後1週間くらいでNICUからGCU(新生児回復室)に移動できました。泣き声もすごく元気で大きくて、看護師さんにも「NICUの赤ちゃんでいちばん大きい声だね」って言われるくらいでした。
萌が入院していた北海道立子ども総合医療・療育センターは療育の先生もいて、入院中から整形や神経やいろんな科の先生がかかわってくれました。GCUに移動してからは理学療法士(PT)の先生が腕を動かしたりするリハビリをしてくれていました。その後、萌はちょうど生後1カ月で退院になりました。
――退院時は萌ちゃんの体の動きなどに症状は見られましたか?
奈緒 萌には新生児反射のような動きも見られたし、私が見る限りではまひがあるようには感じられなかったんです。人によると思いますが、1カ月くらいの赤ちゃんのうちはこまかい動きをするわけではないので、わかりにくいのかもしれません。お医者さんから見れば、ちょっとぎこちない動きがあると言われたんですが、私自身が見て動きの左右差はほとんどわかりませんでした。
退院時は日常生活で気をつけることなどもとくに言われませんでしたが、経過は見る必要があるので、退院後は1カ月ごとのリハビリに通うことは決まっていました。
――萌ちゃんに後遺症が出始めたな、と気づいたのはいつごろのことでしょうか。
奈緒 萌は寝返りは3〜4カ月くらいででき、おすわりもはいはいも通常発達で「本当に障害があるのかな?」と思うほどでした。ただ、やがておもちゃを持って遊ぶころに、右手の指の動かし方にぎこちなさが見え始めました。おもちゃをつかむことができなかったり、握らせるとずっと握ったままだったり・・・という感じはありました。
短期・長期入院を合わせ、これまで9回のリハビリ入院
――退院後、萌ちゃんのリハビリはどのように進んでいたんでしょうか?
奈緒 毎月通うリハビリのほかに、北海道立子ども総合医療・療育センターでは就学前の子どもが受けられる1カ月の通し入院のプログラムがありました。親子で一緒に入院して、1カ月間集中的にリハビリを行うもので、萌は生後9カ月から4才までに7回のリハビリ入院をしました。半年に1回、1カ月入院をするペースですね。
リハビリ入院では、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)によるリハビリを、平日の5日間、毎日1〜2時間受けることができました。また、土日は自宅に帰ることもできます。
――リハビリは具体的にどのようなことをするのでしょうか?
奈緒 おもちゃがたくさんある部屋で、先生たちが子どもの興味をひきながら、遊びを主体にしたリハビリを行ってくれます。たとえば理学療法ならバランスボールを使って遊びながら体幹を鍛えるものがありました。萌の場合、まひのある右足に筋力がないので、おもちゃで遊びながら片足立ちをさせて右足の筋力をつけるとか、楽しいゲーム要素があるリハビリを行ってくれます。
入院中、親には専用のノートが渡されて、その日行ったリハビリの内容を記入して提出しました。
――1カ月のリハビリ入院の内容を退院後に家で行うこともできるのでしょうか。
奈緒 入院中には、日常生活の中でもリハビリになる動きを取り入れられるような内容や、子どもが遊びの延長で体を使えるようにする内容を考えてくれるので、それを普段から行っていました。
萌の場合、手がどうしてもグーのままで開かないので、手をのばして開きたくなるような遊びを家でも取り入れるようにしました。たとえば、照明のスイッチを押させてあげるとか、本当に簡単なことです。ほかには、スイッチがついていたり、鍵をかけたりできる赤ちゃん用のおもちゃを、まひのあるほうの手で遊ぶようにしていました。
――4才以降も長期入院のときは親子で一緒に入院したのでしょうか?
奈緒 4才までは私も一緒に病院に泊まっていましたが、就学直前に2週間くらいの短期入院をしたときからは、北海道立子ども総合医療・療育センターに隣接し、入院児の家族が宿泊できる「ドナルド・マクドナルド・ハウス」を利用しています。萌の病棟からもハウスが見えるので、安心するようです。
萌は小学校3年生で右片まひによる尖足(つま先立ちになる症状)が進み、手術と4カ月の入院をしたのですが、そのときもハウスを利用しました。長期の入院になると、片道1時間の距離にある自宅から毎日通うのは大変なので、とても助かりました。
――ママやパパはこれから萌ちゃんにどんなふうに成長してほしいと思っていますか?
奈緒 今、萌は小学校5年生。現在も成長の経過を見ながら月1回の通院リハビリは続けていて、筋力が低下しないための訓練や体幹を鍛えるリハビリを行っています。右片まひはありますが、リハビリのおかげか生活にはあまり不自由はありません。萌は、野球観戦とダンスが大好きな明るく元気な女の子に成長してくれています。このまま萌らしく成長してほしいです。そして、できないことがあるときはできないと声を上げ、周囲にやってほしいと、伝えられる人であってほしいです。
萌が手伝ってと声を上げたとき、できれば周囲の人には手助けしてもらえる環境であってほしいな、と思っています。
お話・写真提供/髙橋奈緒さん 取材協力/公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティース・ジャパン 協力/藤田裕樹先生(北海道立子ども総合医療・療育センター リハビリ整形外科) 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
髙橋さん一家は家族で北海道日本ハムファイターズの大ファン。萌ちゃんは2022年 9 月 末に札幌ドームで行われマクドナルドが冠協賛した、「ドナルド・マクドナルド・ハウス さっぽろ 応援ナイター」(プロ野球公式戦「北海道日本ハムファイターズ」対「東北楽天ゴールデンイーグルス」戦)で、始球式に登板しました。たくさん練習を重ね、本番では、右手にグローブ、左手にボールを持って、キャッチャーへ向けてまっすぐボールを投げることができました。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
ドナルド・マクドナルド・ハウス さっぽろ
病気と闘う子どもとその家族を支える滞在施設「ドナルド・マクドナルド・ハウス」は、全国に12施設あり、いずれも小児病院のすぐ近くにあり1日1人1000円で利用することができます。
さっぽろハウスは仙台以北で唯一の小児専門病院である、北海道立子ども総合医療・療育センターに隣接し、運営はすべて寄付・募金とボランティアの活動によって支えられています。詳細は財団ホームページから確認できます。