「なんで僕は手がないの…?!」障害に負けず、筋電義手を手に入れた息子が見た世界とは
先天的に左の全手指が欠損して生まれてきた秋元悠真(仮名・8才)くん。現在小学校2年生の悠真くんの腕には、大好きな広島東洋カープのロゴが入った真っ赤な筋電義手がつけられています。「ずっと自分の義手が欲しかったから、訓練は難しかったけど頑張った」と、オンライン取材の画面越しにかっこいい筋電義手を見せてくれました。障害のことや筋電義手のことについて、ママの香織さん(仮名・39才)に話を聞きました。
片手が欠損して生まれた息子、なかなかぬぐえない未来への不安
3きょうだいの末っ子として生まれた悠真くん。先天性障害の診断名は先天性絞扼輪(こうやくりん)症候群といい、左上肢(ひじから先)の末梢(まっしょう)がくびれ、左の全手指がありません。「障害のことは生まれるまでわからなかった」と、香織さんは話します。
「3人のうちで一番すんなり元気に生まれたのに、生後の処置からなかなか戻ってこないので『何かあるんだな…』とは思いました。産婦人科医に『片手がない』と説明され、ただ、ただ驚きました」(香織さん)
産院に入院中、助産師さんたちから励まされ、夫にも「片手がないから育て方が変わるということはない。下を向いてもしょうがない」と言われ、前を向こうと決めた香織さん。それでも“この子はこの先どうなるんだろう”と不安はなかなか消えません。
「数カ月は心の中で葛藤がありました。幼稚園に入ったばかりの長男の送迎に連れて行く時も、しばらくは悠真の手袋をはずすことができませんでした」(香織さん)
筋電義手との出会い
産院から、地域のこども医療福祉センターを紹介され、装飾義手(外観が人の手に近い動かない義手)の説明は受けたものの、夫婦で相談し「隠すことはやめよう」と決め、義手をつけずに生活することに。しかし、やがて悠真くんが幼稚園に入ると、生活の不便さから筋電義手をつけることを考え始めました。
「幼稚園で作業がやりにくかったり、手のことをお友だちに言われたりして、『なんで僕は手がないの!』と泣いて帰ってくることがあって…。幼稚園・年少組の秋ごろ、たまたまテレビで大人が筋電義手を使っているのを見て、“自分も同じものが欲しい”と言うようになったんです」(香織さん)
筋電義手とは、生まれつきや事故などで手が欠損した人も、訓練により自分の意思で操作ができるロボットハンドです。
幼稚園の年中組になり、こども医療福祉センターで筋電義手のことを相談すると、関西で唯一、子どもが訓練を受けられる兵庫県立リハビリテーション中央病院を紹介されました。
2018年、5才の夏に同病院で初めて診察を受け、担当医師から筋電義手のこと、何度も通院しなくてはならないこと、1才前に訓練を開始する子が多く、5才くらいから始めると途中でやめてしまうことも少なくないこと、自分の義手を購入するためには数年間の訓練を受ける必要があること、などの説明を受けました。
「自宅から病院までは新幹線で2時間半かかります。1回45分の訓練のために何回も、しかも最低でも2年間は通わなければならない。それでも始めますか?と覚悟を問われました。でも、悠真はすごく義手を欲しがっていたし、夫も一任してくれたので、その場で訓練を受けることを決めました」(香織さん)
幼稚園の和太鼓発表会、両手でたたけたよ!
筋電義手は腕にはめるソケットの内側に電極があり、手を外側にそらす動きと、内側に曲げる動きをキャッチして、ロボットハンドが開閉動作を行います。訓練用の義手は病院から借りますが、訓練を始めてもすぐに義手を持ち帰れるわけではなく、初めは両腕の筋肉を動かす練習から始めました。悠真くんは一生懸命練習に取り組み、その年の10月には自宅に訓練用筋電義手を持ち帰れるようになり、年が変わった2019年1月末には幼稚園に筋電義手を持っていけるようになりました。頑張った理由は、年中組の冬にある幼稚園の発表会でした。
「毎年恒例で、年中さんが和太鼓をたたく発表会があるんです。筋電義手を知らなかった年少の時は『しかたない、片手でたたけばいいよ』とあきらめていました。でも夏から筋電義手の訓練を始めて“なんとか冬までにマスターして、両手でバチを持って太鼓をたたきたい”という目標ができて、すごく頑張っていましたね。
発表会前日の夜、悠真が『明日は両手でたたけるからよかった!頑張るね!』と言ったんです。本人はずっと両手でたたきたかったんですよね。親として、彼の気持ちをくみ取ってあげられていなかったんだな、と反省しました」(香織さん)
筋電義手を使い続けて変わったこと
筋電義手を使い始めて、それまで「できないからやって」ときょうだいにお願いしていたことも「自分でできるかもしれない」と挑戦するようになった悠真くん。「生活の中のささいなことを、1つずつできるようになる積み重ねがすごく大きな変化になる」と香織さんは言います。
「家の裏にある畑でよく野菜を収穫するんですが、片手では、はさみで切った野菜を受け取ることができません。だから悠真はいつも、きょうだいが取った野菜を受け取るカゴを持つ係だったんです。それが、筋電義手があれば、自分で野菜を切って収穫することができます。
お菓子の袋を開ける、きゅうりをスライサーで切る、卵を割って目玉焼きを作る、など本人がやりたいと言ったことはどんどんチャレンジさせています。やりたいことができた、という小さな経験を積み重ねて、これからも継続して筋電義手を使い続けてほしいです」(香織さん)
大切な相棒の筋電義手を「カープくん」と名づけ、着脱は自分で行い、学校へも毎日つけて通っているという悠真くん。「カープくんがあるから、学校で困ることはないよ」と教えてくれました。
真っ赤な義手がきっかけで声をかけてもらえるように
悠真くんは約2年半の訓練を経て、小学校1年生の3月にようやく自分の義手を受け取ることができました。腕にはめるソケットという部分に、好きな布を貼れるということで、大好きな広島東洋カープのロゴが入った布で作ってもらった悠真くんオリジナルの筋電義手です。
「自分の義手を受け取った時はすごく喜んで『みんなと義手で握手がしたい』と近くの親族や友だちの家を握手してもらいに回ったほどでした。
悠真の義手は、真っ赤だから目立ちますよね(笑)。でもおかげで、外出先で『カープファンなの?それは何?』と声をかけてもらうことが増えました。小学校でもちょっとした有名人です(笑)。
彼がきっかけで、もっといろんな人に小児筋電義手のことを知ってもらえたらいいなと思っています。多くの人に知ってもらうことが、必要としている子どもたちに筋電義手が届くことにつながると思うんです」(香織さん)
取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部
これから挑戦したいことは?と聞くと「今は縄跳びを20回くらい跳べるけど、お姉ちゃんみたいに100回くらい跳べるようになりたい」と話してくれた悠真くん。将来の夢は「野球の審判員」だとも。筋電義手という大切な相棒と一緒に、これからもたくさんのことにチャレンジしていくのでしょう。