「父親としての成長、夫としての反省」わずか742gで生まれた息子が僕に教えてくれたこと【体験談・医師監修】
現在小学校2年生の五島光(ごしまひかる・仮名)くん(7才)は、ママの香奈さん(35才)が、妊娠25週のときに、742gの超低出生体重児として生まれ、今は愛知県に暮らしています。光くんが4才のときから単身赴任で東京で暮らしているというパパの徳尚(のりひさ)さん(35才)に、光くんの成長のことや、パパとしてどんな思いだったか聞きました。
3才のころ、風邪が重症化して3回も入院
――光くんが生まれたときのことと、退院までのことを教えてください。
徳尚さん(以下敬称略) 妻が妊娠21週の妊婦健診で羊水過少とわかり入院し、人工羊水注入の処置をしてもらったのち、25週のときに帝王切開で体重742gの光が生まれました。命の危険があるといわれた72時間を乗り越えてからも、動脈管開存症の手術や、未熟児網膜症のレーザー治療など、いくつもの試練がありました。医療スタッフの方々のケアのおかげもあり 、光は頑張ってそれらを乗り越え少しずつ成長してくれ、体重が2700gまで増えた生後4カ月ごろに退院しました。
――退院後の光くんの体調はどうでしたか?
徳尚 慢性肺疾患のため在宅酸素の医療ケアが必要でした。そしてちょっとした風邪でも重症化してしまうことがあるため、1才ごろまでは人と接することを極端に減らし、妻も私も、スーパーなど人が込み合う場所には行かないようにしていました。コロナ前の2015〜16年のことですが、まるで現在のコロナ禍のような暮らしでした。うがいぐすりが嫌いだった私ですが、息子のために克服をせざるを得なくなり、手洗い・うがい・消毒など徹底して対策していました。
1才半ころには在宅酸素をはずして生活できるようになり、幼稚園入園前の3才ごろから週1回の療育に通い始めました。妻が毎回連れて行ってくれ、体の使い方、話の聞き方、ペンの使い方や認知機能を高めるような練習をしたそうです。運動面は順調に成長していましたが、やはり集団生活によって風邪をひいてしまい、2017年12月には気管支肺炎、2018年1月に急性肺炎、同年6月に肺炎と、半年で3回も入院となってしまいました。
742gの息子は、僕たちを選んで生まれてきてくれた
――生まれてからも光くんの心配ごとが多かったようですが、光くんの誕生や成長によって、徳尚さん自身にはどんな変化があったと感じていますか?
徳尚 光が生まれてNICUに入院している間は、常に命の危険と隣り合わせの状況でとても心配でした。妻は自分を責めて落ち込んでいたので、妻にはポジティブな言葉をかけるようにしていましたが、私自身も父親として、自分を責めるようなネガティブな気持ちでいることが多かったです。
でも、光が3才で3回の入院をしたころから、気持ちが変わり始めました。小さく生まれ、たくさんの病気を乗り越えながら、少しずつ成長している・・・「こんな強い子が僕たち家族を選んできてくれた」と思うようになりました。彼が選んでくれたのだから、彼のためにできるだけのことをしてあげよう、と考えるようになったんです。私も彼のおかげで、父親として少しずつ成長できていたのかもしれません。
――徳尚さんは、ママである香奈さんに、パートナーとしてどのようにかかわっていたのでしょうか?
徳尚 光が退院してから、僕は父親としてできるだけやっているつもりだったのですが、妻からしたら「もう少し寄り添ってほしい」という気持ちだったようです。それを知ったのが実は去年のことです。
妻は去年、産後指導士とバランスボールインストラクターの資格を取ったのですが、その報告をSNSで投稿する際、「これから投稿するから読んでね」と予告されたんです(笑)。投稿を見てみると「今だから言えるけれど、産後の一時期はすごく苦しくて、夫にもう少し寄り添ってほしかった。でも今は一番の味方です」といった内容のことが書いてありました。
その投稿を見てようやく、当時慣れない子育てで余裕がなくなっていた妻の気持ちに気がつくことができていなかったんだな、とわかりました。そのころ、仕事のつき合いもあって土日にゴルフに行くことがよくあったんですが、妻は平日も休日もずっと休みがないわけで、土日くらい私に家にいてほしかったと思うんです。そういうところが私はちっとも見えていなかったんだな、と。
――当時の香奈さんに、もっとこうしてあげたかった、ということはありますか?
徳尚 妻は何をするにも子ども優先で、自分のことはあと回しで、精神的につらかったと思います。妻の心の声をもっと聞いてあげて、寄り添ってあげられたらよかったなと思います。妻1人だけの時間を作るとか、妻が私にしてほしいことを聞いて、それを率先してやるとか、してあげられたらよかった。
SNSで間接的にでも、妻の当時の気持ちを知ることができてよかったです。今は単身赴任で離れているので、できるだけ妻の話も聞いて、お互いの気持ちを伝え合えるようにできたら、と思っています。
今では休むことなく登校するほど元気いっぱいに
――小さく生まれた光くんですが、現在までの発達の様子はいかがですか?
徳尚 1才半、3才、6才のときに発達検査を受けました。1才半、3才の検査では、運動面の発達は問題ないけれど、認知の面で3カ月くらい遅れがあるという結果でした。
そのため就学前には、支援級、通級、普通級など、どんなところが光にあっているか、妻が就学先をいろいろと調べてくれました。私は光が4才のころから単身赴任で東京にいて、自宅に帰れるとしても土日になってしまうので、平日に動ける妻があらゆる可能性を考え調べたり、相談機関に相談したり、学校は4〜5カ所に見学に行ってくれました。
その後6才で受けたWISC検査という知能検査で平均的な結果だったことから、小学校は普通級に入ることに。
今、光は毎日楽しく学校に通っていて、体もとても丈夫になりました。6才になってからの光は全然風邪をひかなくなり、3才で3回も入院したことが信じられないくらいです。入学してから1度も休んでいないくらい、毎日元気いっぱいです。
――現在、7才になった光くんと過ごす中での楽しみはどんなことですか?
徳尚 私が東京から自宅に帰ったときには、近くの公園で自転車でサイクリングしたり、一緒に走ったりしています。
去年の11月には家族でウォーキング大会に参加しました。みんな歩いているのに、彼は「走りたい」とどんどん先に走って行っちゃって・・・(笑) 走るのが好きな私に似たのかもしれません。そんなふうに、息子が楽しそうにしている姿を見ながら過ごす時間は、とても幸せです。
【舘林先生より】赤ちゃんにかかわってたくさんの刺激を与えることが大事
とても早く生まれた赤ちゃん(とくに20週から24週ころ)は無事にNICUを退院できても、運動や言語の遅れを認めることがあるため、退院後も継続的な発達フォローが必要となります。発達を促すには、体を動かしたり声をたくさんかけたり、いろいろな刺激を与えることが大事です。そのため父・母は両親であると同時に自宅の先生でもあります。早く生まれた赤ちゃんに限らず、どの赤ちゃんでも、光くんのご両親のように赤ちゃんにたくさんかかわってほしいと思います。
お話・写真提供/五島徳尚さん、香奈さん 監修/舘林宏治先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
香奈さんは、光くんの療育でバランスボールが体を作るのに効果的ということを知り、自分も本格的に勉強を始め、2019年に産後指導士、バランスボールインストラクターの資格を取得。現在は療育施設などで親子のバランスボール講座を行っているそうです。
また、香奈さんが立ち上げたリトルベビーサークル「希望の光」では、2022年11月17日の世界早産児デーに合わせ、11月24日(木)〜26日(土)イオンモール木曽川で、小さく生まれた赤ちゃんたちの成長の様子などを展示するイベントを行うそうです。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
舘林宏治先生(たてばやしこうじ)
PROFILE
岐阜大学医学部医学科卒業。岐阜大学医学部大学院博士課程修了。岐阜県立岐阜病院(現岐阜県総合医療センター)、長良医療センターで新生児研修。現在、岐阜県総合医療センター新生児内科主任医長。