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「こんなに小さいのか・・・」742gの超低出生体重で生まれた息子。NICUに毎日通った父親の覚悟と自覚とは?【体験談・医師監修】

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生後2カ月の光くんと徳尚さん、NICUでの面会の様子。

愛知県に住む五島光(ごしまひかる・仮名)くん(7才)は、ママの香奈さん(35才)、徳尚(のりひさ)さん(35才)の3人家族。光くんは2014年12月18日、香奈さんが妊娠25週のときに、742gの超低出生体重児で生まれました。
現在単身赴任で東京で暮らしているパパの徳尚さんに、小さく生まれた赤ちゃんのパパとしての思いを聞きました。

妻が羊水過少で入院。中絶手術か妊娠継続かの2択を迫られ・・・

――香奈さんが光くんを妊娠したときのことについて教えてください。

徳尚さん(以下敬称略) 妻とは職場で出会ってお互い26才のときに結婚し、やがておよそ2年後、自然な流れで子どもを授かりました。妊娠5カ月までは順調でしたが、6カ月の妊婦健診で妻と一緒にレディースクリニックに行ったところ、「どうやら羊水が少なくなっていてエコーがうまく見られない」と、言われました。「大きい病院で見てもらってください」と紹介状を書いてくれ、胎児治療を行っている専門病院を紹介してもらい、翌週受診することになりました。

その日、私は仕事で行けなかったのですが、義母がつき添って病院を受診すると、妻は即入院となってしまいました。仕事中に妻からの電話で「今から入院する」と聞いたときには、驚きはしたもののそんなに深刻な事態ではないだろう、きっとすぐ退院するだろうと思っていたんです。

――羊水過少で入院したとき、どんな説明を受けましたか?

徳尚 妻が入院したのは妊娠21週、11月下旬のことでした。私も病院に行って先生の説明を聞くと「原因はわからないが羊水が少なくなっているため、妊娠を継続して帝王切開出産をしても、赤ちゃんは生きられないかもしれない。母体のリスクを回避するために中絶という選択肢もある」と言われました。中絶手術をするか、妊娠を継続するかを数日で決めてほしい、と言われ、おなかの赤ちゃんが大変な状況であると初めて実感し、すごくショックでした。

妻の心境を考えると非常に苦しい決断でしたが、授かった子どもを何があっても一緒に育てようと、2人で強い意志を持って決断したのを覚えています。


――入院して、妊娠の継続を決断してから、香奈さんはどんな処置を受けましたか?

徳尚 検査したところ、羊膜(ようまく)が破れていて羊水が出てしまう状態だとわかり、4回ほど人工羊水注入を行いました。妻は、なるべく赤ちゃんをおなかにいさせてあげるようにと、ずっとベッドで安静に過ごしていました。

入院中は妻も私も、羊水注入を何回か繰り返せば、ある程度大きくなるまでは赤ちゃんはおなかの中にいさせてあげられるのかな、と思っていました。病院の先生方はもちろん早産で生まれる場合のリスクなどの説明はしてくれましたが、私たちが心配しすぎないように「危険な状態だ」ということは強くは言わなかったような気がします。
もともと出産予定日が3月末だったので、入院中の妻が先生に「お正月は越せますか?」と聞いたとき「それは難しいでしょう」と言われたそうです。
それで、状況の深刻さがさらに現実味を帯びました。

手術室前のドアにへばりつくようにして待った、息子の誕生

生後すぐの光くん。保温のためラップに包まれている。

――その後、いつごろ出産することが決まったのでしょうか。

徳尚 入院から3週間ほどたった妊娠25週のころ、妻に陣痛のようなおなかの張りが出てしまい、出産するしかない状況に。ただ、その病院では28週未満の赤ちゃんの出産には対応できなかったため、岐阜県立総合医療センターへ転院することになり、救急車で移動しました。
転院した2日後、帝王切開手術で、体重742g、身長30.8㎝の息子が生まれました。


――出産はどんな状況だったのでしょうか?

徳尚 妻によると、出産直後に息子は一瞬泣いたものの、すぐに人工呼吸器が挿管され、保育器に入れられてNICU(新生児集中治療室)に運ばれたそうです。呼吸をしていなかったのか、母子健康手帳には新生児仮死と記載があります。

私はその日仕事を休み、私の両親、妻の両親と手術室前で待機していました。息子の誕生が待ち遠しくて、でも心配でたまらなく、手術室前のドアのところにへばりくように待っていました。すると、手術室のドアが開き、看護師さんが保育器に入って呼吸器をつけた息子を、私たち家族の前まで連れてきてくれました。

「本当に小さいな・・・」が第一印象。こんなに小さな体で生きてくれていることに感動し、自然と涙があふれました。息子に「よく頑張ったね」と声をかけました。

小さく生まれたわが子に「ごめんね・・・」と

生後94日、NICUで徳尚さんが光くんを沐浴させている様子。

――出産後、医師から低出生体重児のリスクのことなどはどんな説明がありましたか?

徳尚 出産前にも新生児科の先生から、病気の可能性、障害が残るケースは何%、就学後に普通学級に通える割合はどのくらい、といった話を聞いていました。そして、産後72時間を超えて生き残れる確率の話もありました。説明を聞くたびにつらく、ネガティブな気持ちになってしまい、「なんで小さく産ませてしまったんだろう、ごめんね」と、父親として自分を責める気持ちがありました。

光は、生後6日目には動脈管開存症という心臓の手術もしました。そのほかにも未熟児網膜症のレーザー治療をしたり、人工呼吸器を利用したりと、NICUに入院している期間、息子は本当にたくさんの治療をして頑張っていました。

――出産後の香奈さんの様子は、徳尚さんにはどのように映っていましたか?

徳尚 羊水過少で入院してからずっと妻は自分を責めていました。「私のせいで・・・」とよく言葉にもしていました。ずっと生と死のはざまにいるような光が心配で心配で、落ち着かない気持ちでいたようです。妻はまじめで一生懸命な性格なので、とても心配でした。妻には「あのときこうしとけばよかった」「こんなことしなければよかった」などの反省や後悔があったんだと思います。

何が原因かはわからないとお医者さんからも聞いていましたし、もちろん私は「香奈ちゃんのせいじゃないよ」と何度も伝えました。できるだけ前向きな言葉をかけて、彼女の話を聞いて、気持ちに寄り添うことを心がけていました。だけど、落ち込む妻に、特別に何かサポートをしてあげられないことに歯がゆさも感じていました。

NICUで光くんとの面会で芽生えた父親の自覚

2021年11月、家族でウォーキング大会に参加。光くんはどんどん走っていってしまうほど楽しんでいたのだとか。

――その後、光くんとの面会はどのようにしていましたか?

徳尚 妻は1週間ほどで退院し、その後1カ月ほどは実家で過ごしていました。妻は毎日3時間おきに搾乳し、家族の運転で2〜3日に1回、NICUに面会に行き母乳を届けていました。
当時は24時間面会ができたので、私は毎日仕事が終わってから、夜、面会に行っていました。実家にいる妻を迎えて一緒に行くこともありました。


――面会のとき、徳尚さんはどんな気持ちで光くんに接していましたか?

徳尚 私たちが会いに行くと、息子は小さいけれどよく動いていたんですよ。その様子は本当にかわいかったし、息子が何か声を発するたびに、聞こえているのかな、パパとママを感じてくれてるんだな、とうれしかったです。日に日に彼への想いが増して、毎日会いたい、という気持ちで、これが親になるということかな・・・と実感していました。
息子には「大きくなったらいろんなとこ行って、楽しく遊ぼうね」となるべくポジティブな声かけをするようにしていました。私自身がマラソンが好きなので、大きくなったら一緒に走ることができたらいいなと思っていました。

――面会中はスキンシップなどもできましたか?

徳尚 看護師さんから「こうやってみてください」と指導してもらって、母乳を指で口元につけてあげたり、体をふいてあげたり、保育器の中に手を入れて抱っこしたりもしました。毎日、どうかこのまま少しずつでいいから大きくなってくれ、と祈るような気持ちで接していました。

同時に、NICUでの光は毎日目に見えて体が大きくなっていき、動きなども成長しているのを感じました。生まれたときには薄く血管が透けるようで、赤黒く見えていた皮膚も、どんどん肌つやがよくなって「赤ちゃん」という感じになっていきました。よく手足を動かす様子も見られたので、これだけ動くならきっと大丈夫だ、と息子の生きる力を信じていました。
NICUで毎日、光の成長を支えてくれ、環境を整えてくれたスタッフの方には、今も感謝しています。

――その後、光くんが退院したのはいつごろでしょうか?

徳尚 息子は生後4カ月のころ2700gで退院し、家族3人での生活が始まりました。慢性肺疾患があり呼吸器が弱かったため、3才のころに風邪が悪化して3回ほど入院してしまったこともありましたが、6才ころからはちっとも風邪をひかなくなり、今はとっても元気に小学校に通っています。

【舘林先生より】コロナ禍で難しいがなるべく赤ちゃんと接する機会を

22週未満での破水だったため、中絶という選択肢もある中で妊娠継続を選ばれたことは非常に大変な決断だったはずです。その中で先に進むことを選択され、家族がさまざまな努力をされたからこそ、現在光くんが元気に育っていると思います。

小さく生まれた赤ちゃんにおいて、父、母が声をかける、赤ちゃんに触れるなどの行為で赤ちゃんの状態が改善することをたびたび経験します。現在コロナ禍で、光くんのご両親のように面会することは難しい時代ですが、オンライン面会などの手段で赤ちゃんとたくさん接していただきたいと考えています。


お話・写真提供/五島徳尚さん、香奈さん 監修/館林宏治先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

香奈さんは産後当時を振り返り「夫はいつも前向きな言葉をかけてくれたけれど、私は息子が小さく生まれたのは自分のせいだと思っていたし、だからこそ私が弱音を吐いたり、だれかを頼っちゃいけない、と思い込んでいた」と話します。そこで、同じように気持ちを抱え込んでいるママの力になりたいと、愛知県のリトルベビーサークル「希望の光」を2019年に立ち上げ、お話会などの活動をしています。

希望の光

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

舘林宏治先生(たてばやしこうじ)

PROFILE
岐阜大学医学部医学科卒業。岐阜大学医学部大学院博士課程修了。岐阜県立岐阜病院(現岐阜県総合医療センター)、長良医療センターで新生児研修。現在、岐阜県総合医療センター新生児内科主任医長。

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