SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 赤ちゃん・育児
  3. 6人の年子を授かり、41歳で第7子出産。長男の子育てでその面白さにハマった。『世界ふしぎ発見』の元レポーター、山口日記

6人の年子を授かり、41歳で第7子出産。長男の子育てでその面白さにハマった。『世界ふしぎ発見』の元レポーター、山口日記

更新

第7子を妊娠中の日記さんと、6人の子どもたち。日記さんのアート作品の前で。
第7子を妊娠中の日記さんと、6人の子どもたち。日記さんのアート作品の前で。

『世界ふしぎ発見』や『世界ウルルン滞在記』の元レポーターであり、現在はシンガポールを拠点にアーティストとして活動する、山口日記さん。2011年、結婚と同時にシンガポールへ移住し、そのあとに6人の子どもを年子で授かり、さらに2024年11月30日には第7子となる男の子を出産しました。今回は、シンガポールでの子育て事情について、また、ユニークな子どもたちの名づけについて聞きました。
全2回インタビューの前編です。

13歳の長男を筆頭に、1歳3カ月〜1歳6カ月差で6人の年子を立て続けに出産!

7人の子どもたちがずらり。右の長男くんから年齢順に。
7人の子どもたちがずらり。右の長男くんから年齢順に。

――7人の子だくさんで、さらに上の6人は年子での出産だったそうですね。それぞれ、何歳でしょうか?

日記さん(以下敬称略) 13歳になる長男を筆頭に、11歳の長女、10歳の二女、8歳の三女、7歳の二男、5歳の三男、そして、生後4カ月になる四男と、4男3女の7人の子どもたちに恵まれました。だいたい、上の6人は1歳3カ月〜1歳6カ月差ぐらいで出産しました。

――子どもたちの名前は日記さんが考えられたそうですね。どのように考えたのですか?

日記 名前をつけるときはイメージを大切にしています。あとは、名前に込めた思いが物語のように続いていくと、新しい命が誕生するとともに新しいストーリーができてつながり、広く大きくなっていく・・・。そうやってワクワクや冒険心を大切にしてつけました。

長男は、次へ次へと何があっても強く龍のように登っていって、どんなときも「never give up!」という意味を込めて。そうやって、いろいろなことを体験してほしいんです。そして長女は、手で感じて、手をつないで輪が広がって、世界へ宇宙へと愛がつながって宇宙まで。二女は、海の底からたくさんの生き物に出合って人生を重ねて、旅してまた砂浜に戻る。たくさんの貝殻が転がっている中で、だれかが「これ!」と思ったものを拾った瞬間から宝物になる。だれか1人でもいいから、認めてくれるオンリーワンに。

三女は、まわりの仲間がいてこそ、ここまでこれた。だから一度白紙になって、ゼロからスタート!自分でたくさんのカラフルを作り上げて、真っ白から自分の色を作っていくように。

二男は、あせらずゆっくりと。人を見て生きないで、自分を見て自分らしく生きようという意味を込めて。三男は、私がペルーの高地で見た、めまいがするくらいに流れ星が落ちてくるあのときに、何でも夢は願うと思ったことを思い出して。

この6人のストーリーはなくてはならないものなんです。そして7人目を授かり、一度完結したと思ったストーリーが続くことに!どうしようかとさすがに悩みましたね。

そこで、身近なところで愛されているものを考えてみました。「近くにある大事なものなのに、当たり前になってしまっているもの」と考えたときに、わが家は猫が大好きで、猫を飼っているのですが、あの猫特有の神秘的で、何かをしっかり見ていてすべてわかっているような。「これだ!!」と直感で思いました。

四男は、みんなに愛され、家族の幸せを持ってきてくれました。名前の意味は、家内安全を象徴しています。家族がひとつになり、世界がひとつになり、また辰のように登っていく世界へ。

こうやって物語が続いていきます。名前って死ぬまでともにするし、何となく、性格も名前とリンクしてる様な気もするので、一生ワクワクできる様な名前にしたかったんです。

長男の子育てを経験してみて、そのおもしろさにどっぷりハマった!

日記さんと子どもたちで、食事に行ったときの1枚。
日記さんと子どもたちで、食事に行ったときの1枚。

――シンガポールへの移住はいつですか?

日記 2011年に移住してきました。シンガポールに来て15年目です。なんだかあっという間に過ぎてしまいましたね。

もともと、いつか海外に住みたいという希望が夫婦ともにあったんです。移住するなら、できるだけ早いほうがいいとは思っていたんですけど、当時は『世界ふしぎ発見!』のリポーターなど日本での仕事があったので、やめどきには悩みました。仕事はすごく楽しかったですし。

ただ、これから先の人生、また違ったことをして楽しみたいという気持ちもありました。ずっと同じ場所にいて、同じような仕事をしてという、決まりきった人生というのがちょっともったいない気がしたんです。

私は3歳から芸能界にいたので、今までとは違う人生を歩みたいという気持ちを大事にして、もともとの性格の勢いでどんどん進んでいきました。

――移住後、次々と年子で6人の子どもが生まれたわけですが、計画的に年子で出産したのですか?

日記 もともとは、そんなに子どもが好きなタイプではなかったんです。でもシンガポールに移住してすぐに、長男を授かることができ、長男を出産して子育てを始めたら、それが思いのほかすごく楽しくて!子育てに関するさまざまな本を読みましたが、そういった育児本どおりの決められた道を進むより、その子その子に合った方法で子育てをするほうが楽しいということに気づいたんです。性格的にはもともと、深くハマるタイプなんです。

たとえば長男のときに、「おむつなし育児をしてみたらどうかな?」とか「寝かしつけはどうやったらうまくできるかな?」とか、そういうのを考えるのがすごく楽しくなっちゃって、どっぷりハマっちゃったんです。そうしたら、次の子も授かりたいという気持ちになっていって、どうせなら年齢が離れるよりも、年子で産んだほうが幼稚園みたいで楽しいかもと。そこから、年子を続けて産みたいと思ったんです。

私はひとりっ子だったので、自分の家族は大家族にしたいという夢をもちました。そのために、自分の体ともしっかり向き合って、健康でいることにフォーカスしたんです。シンガポールに移住してからの10年はほぼ、妊娠、出産、子育てを繰り返していて、本当に子どものことしか考えていませんでした。母業という人生に、夢中だったんだと思います。

いちばん大変だったのは3人目と4人目のとき。完全にキャパオーバーに!

お兄ちゃんやお姉ちゃんたちにお世話をしてもらう四男。
お兄ちゃんやお姉ちゃんたちにお世話をしてもらう四男。

――年子と聞くと、2人だけでも大変なイメージですが、6人とは・・・。実際にはどうでしたか?

日記 正直な話、大変じゃないときはないですね(笑)。毎日がイベントだし、毎日トラブルが当たり前なんです。でもその分、自分が子どもたちを通して強くなっていることを実感したり、「何でも大丈夫!」という気持ちになれたり、楽しさもはるかに大きい気がします。だから、”幸せ”という気持ちのほうが強いです。

年子6人だとそこで社会ができるので、けんかをしても自分たちで解決したり、我慢したりと、子どもたちで考えて育っていくので自立も早いなと感じています。そのあたりは、年子6人というのはよかったなと。

――精神的に大変だった時期はあるんですか?

日記 もう7人もいるので、精神的には毎日「どうしよう〜!」とか、あれこれ心が削られるようなソワソワ感というのか・・・。それが日常ですね。何かが起こる確率は、7倍ですから(笑)

でも、悩んでも無駄なんですよね!なるものはなる、ならないものはならないが現実なので。おかげで、精神もかなり鍛えられました。

――シンガポールでの子育てだったから、年子6人でもやっていけたと感じますか?

日記 それは絶対にそうだと思います。シンガポールの人は、基本的に子どもに優しいです。あと、人の目を気にしないで子育てができるのもいいですね。

シンガポールには多種多様な文化があって、子育ても同じように多種多様なので、自分らしく子育てができるんです。だから、とても気が楽! でも、シンガポールでも子どもが7人いる家庭はなかなかいないので、そこは毎回驚かれますよ(笑)

ローカル校に通ったことで、「どの国の人もみんな一緒」という感覚が当たり前に

インラインスケートを楽しむ6人の子どもたち。
インラインスケートを楽しむ6人の子どもたち。

――子どもたちは普段、どの言語を使っていますか?

日記 子どもたちは、普段は英語でしゃべります。きょうだい同士は英語で、親子の会話は日本語。中国人のお友だちと一緒にいたり、中華系レストランなどに行くと、子どもたちの言語は中国語に変わります。あとは、ママの悪口を言うときも中国語。私がわからないからって(笑)

学校では英語と中国語で、日本語を使うのが親子の会話だけなので、逆に日本語がしっかり使えていないのが心配な点ではあります。だから私がもっと英語を勉強して、深い話もできる様になりたいんですよね、でも、シンガポールで生まれてシンガポールで育っている子ども達の英語にはかなうはずがないと開き直って、毎日教えてもらってます(笑)

――ローカルの学校を選んだのには理由がありますか?

日記 あくまでもこれは私の考えですが。せっかくシンガポールで生活しているのに、現地のことを知らずに日本の生活を続けていくより、どっぷりシンガポールの地に足をつけてすべてを知り、経験していくほうが、人生がおもしろいし、いろいろなことを知れるんじゃないかと思うんです。でも、日本人でローカルの学校に通わせている人は少ないと思います。シンガポールは、インターや日本人学校もあるし、その家族の考えに合わせていろいろな選択ができるんですよ。

ローカルの学校、私はすごく好きなんです。シンガポールは多国籍国家なので、本当にいろいろな国の子どもたちがいます。それこそ、ターバン巻いている子だとか、宗教もそれぞれですし。学校の授業やイベントでも、それぞれの国のお祭りごとを祝おうという事に取り組んでいるんです。変な差別もないし、どの国の人もみんな一緒なんだよという感覚が当たり前にあって、それがいちばんいいなと思ったところです。

――子どもたちは習い事もしていますか?

日記 シンガポールは教育熱心な国なので、現地校に通っていると中国語のテストがあって、そこで点数を落としてしまうとそのあとが大変なんです。小学6年生で大きなテストがあるのですが、そこに影響が出てしまうんです。塾や習い事に行っておかないと、現地校はレベルが高いので、ついていくのが大変になります。

わが家の場合は、英語(国語です)、数学、サイエンス、中国語に通っています。でも、そればかりだと疲れちゃうので、体を動かすために、水泳やサッカー、テコンドー、バレエなども習っているんです。だから、平日も土日も習い事だらけ。

これも、やらせるかやらせないかはもちろん自由です。私たちは、子どもたちがシンガポールになじんで、学校でも現地の子と同じように勉強してテストを受けさせたいので、そのような生活をしています。頑張って働いたお金は、すべて塾代です(笑)

子どもたちは塾や習い事で大変だと思います。正直、かわいそうだなと思うときも。でも、小さいときからのこういう頑張りって、とても大切だなと思うんです。だから、子どもたちが少しでも息抜きもしっかりできるように心がけています。

子どもに優しいシンガポールだから、子だくさんでも子育てがしやすい!

6人の子どもたちと日記さん。7人目妊娠中に親子で外出している1枚。
6人の子どもたちと日記さん。7人目妊娠中に親子で外出している1枚。

――子どもを育てる環境として、シンガポールはどうですか?

日記 環境はすごくいいですね。たとえば先日も、二男が骨折をしてしまって、そういうときはシンガポールの大きな病院に行くんです。でも、予防接種に関しては日本のスケジュールに沿ってうちたいので、日本人医師のいる日系の病院に通って接種してもらっています。そうやって、病院の使い分けができるのも便利なんですよ。

あとは、シンガポールは1年中暑いので、Tシャツと短パンでOK。7人も子どもがいても、洗濯物が少ないので、その点でも楽ですよね(笑)

シンガポールはとても安心、安全な国。だから、習い事も1人で行くことができます。大家族で親の手がたりなくても、ある程度の年齢になれば、1人でできることも多い気がします。

お話・写真提供/山口日記さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

ローカル校の中学校、小学校、幼稚園に6人の子どもたちを通わせ、さらに新生児育児に奮闘する日記さん。シンガポールという国が、子どもに優しく、そしてメイドさんやシッターさんも気軽に利用でき、さらに、子どもたちが単独で行動しても比較的安全という生活環境があったことで、7人の子どもを安心して出産できたのかもしれないと言います。

後編では、7人の出産について、またアーティスト活動やこれからの将来についても聞きました。

山口日記さん(やまぐちにっき)

日記さんのプロフィール写真

PROFILE
1982年、東京都出身。3歳から芸能活動を開始し、『王様のブランチ』や『世界ウルルン滞在記』、『世界ふしぎ発見』などのリポーターを務める。一般男性との結婚を機に2011年からシンガポールに移住し、現在は7児の母としてあわただしい生活を送りながら、シンガポールを拠点にアーティストとして活動している。

山口日記さんのInstagram

山口日記さんの公式ブログ

●記事の内容は2025年3月の情報で、現在と異なる場合があります。

赤ちゃん・育児の人気記事ランキング
関連記事
赤ちゃん・育児の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。