897gで生まれた娘を生後74日目に初抱っこ。「やっと抱っこできた!俺の子だ」と実感【超低出生体重児・体験談】
妊娠26週に体重897gで生まれた夏歩ちゃん(3才)。パパの徹也さん(44歳・会社員)、ママのひとみさん(37歳・看護師)、7才のお姉ちゃんとの4人家族です。超低出生体重児だった夏歩ちゃんは、生まれてから4カ月ほど入院していました。退院後も体調を崩しやすく、2才までに感染症で5回も入退院を繰り返したのだそうです。パパの徹也さんに、夏歩ちゃんのこれまでの成長について話を聞きました。
全身の皮がむける病気に・・・それも乗り越え成長してくれた
――小さく生まれた夏歩ちゃん、入院期間中に心配なことはどんなことでしたか?
徹也さん(以下敬称略) 夏歩がNICU(新生児集中治療室)入院中にいちばん心配だったのは、生後20日ごろにブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群になってしまったことです。これは熱傷を負ったときのように皮膚に水疱ができてはがれてしまう病気です。小さく生まれた赤ちゃんは、血圧測定や心電図モニターやチューブのテープなどをつける必要がありますが、それらが皮膚にすれるだけでも水疱ができて破れてしまう症状でした。
その痛々しい姿を見るのはとてもつらかったです。看護師で医療知識がある妻は、皮がむけたところから菌が入って敗血症になったらどうしよう、と心配していました。「怖くて医師からの説明も聞きたくない、生きた心地がしない」というほど、不安でいっぱいだったようです。夏歩は 1週間ほど不安定な状態が続きましたが、免疫グロブリン点滴や抗菌薬の治療が効果があったようで少しずつ回復し、妻も心底ホッとしていました。その後は、母乳をとる量も少しずつ増え、面会に行くと小さい体を元気に動かしていて、少しずつ成長してくれました。
――初めて夏歩ちゃんを抱っこしたのはいつですか?
徹也 夏歩は生後64日でNICUからGCU(新生児回復室)に移動になり、生後74日にカンガルーケアをしました。カンガルーケアは、親の肌と赤ちゃんの肌が直接触れるように抱っこするケアです。
そのときはもう「やっと抱っこできた!この子は俺の子だ!」という思いです。うれしくてうれしくて、ずっと抱っこしていたい気持ちでした。看護師さんも「いつまでも抱っこしていていいですよ」といってくれたので、1時間くらい抱っこしていたと思います。夏歩のぬくもりがいとおしくてたまらず、このまま連れて帰りたい、と思っていました。
――夏歩ちゃんはその後どのくらいで退院したのでしょうか。
徹也 夏歩は2月初旬(5日)に生まれ、6月中旬に退院しました。身長50cm、体重2860gまで成長してくれ、在宅医療も必要ない状態で退院することができました。
生まれてから4カ月、家族4人がようやくそろって暮らせることがうれしかったです。何よりお姉ちゃんが「赤ちゃん、かわいいかわいいね」とすごく喜んでくれたことがうれしかったですね。お姉ちゃんが受け入れてくれるかなという心配が少しありましたが、待ちに待った妹との対面をすごく喜んでくれました。
2才までの間、感染症が悪化し5回も入退院を繰り返した
――退院後、夏歩ちゃんの健康面での心配事はありましたか?
徹也 夏歩は退院してすぐに、RSウイルス感染症をお姉ちゃんからもらってしまいました。鼻水と熱が出ていたので、妻が地域の総合病院を受診すると、検査してRSウイルスと判明。でも急を要する状態じゃないから自宅で様子を見ましょうと言われました。そのときは私も妻も、風邪くらいひくだろう、と思っていました。
熱はあったけれどよく寝ていて苦しそうには見えませんでした。でも念のために妻が夜も呼吸も確かめてくれていました。ところが翌日、妻がお姉ちゃんを保育園に連れていってから病院で再度診察してもらったら、サチュレーション(酸素飽和度)がかなり下がっているとわかり、即入院になりました。数値から、実は無呼吸発作を起こしていたとわかったそうです。妻は、その経験がとてもショックだったようです。「苦しくても言葉で言ってくれるわけじゃないし、もしあのとき病院に連れて行かずに家で過ごしていたらと思うとすごく怖い」と、医療用サチュレーションモニターを自費で購入しました。
RSウイルス感染症が治ったあとも、2才くらいまで、体調を崩しやすい状態が続きました。高熱が出たり胃腸炎になると、ミルクを飲む力がなくて脱水になっておしっこも出なくなったり、ぜんそく性気管支炎になってしまったり・・・。妻は、夏歩が体調を崩すたびにモニターを見ながら吸入や吸引をして、状態が悪くなる前に病院へ連れて行くように看護してくれていました。2才までに5回入院しましたが、2才を過ぎてからは少しずつ健康面でも強くなってくれたと思います。
食事の心配はあるけれど、元気に成長する姿に幸せをもらっている
――現在夏歩ちゃんは3才。保育園に通っているそうですが、発達面の成長の様子はどうですか?
徹也 発達面はそこまでゆっくりではなかったのですが、夏歩の発達のためにできることはなんでもしたいとリハビリに通い、1才3カ月で歩けるようになりました。
今も心配が続いているのは、食事のことです。生後9カ月(修正月齢6カ月)くらいから離乳食を始めたものの、下痢がひどく体重も増えなかったので、主治医の先生と相談し、いったん離乳食をやめて体重を増やすほうを優先させることに。1才になるまでミルクで栄養をとり、離乳食は進めませんでした。1才を過ぎて離乳食を再開したけれど、飲み込むのが苦手で、のどにつかえたりむせたりすることが多く、お米1粒も食べるのも大変でした。
わが家の食事作りは私の担当なので、食事もいろいろと工夫しました。大根はクタクタに煮込んだみそ汁の具なら食べる、にんじんは甘酢につけると食べるなど、具材の工夫のしかたがわかってきて、少しずつ食べられるものが増えていきました。3歳半くらいになり、今までは主食は特定のパンしか食べなかったのに、米を食べられる量が増え、気分によってはおかわりすることも出てきました。1才のころを思うと、本当によく食べられるようになったな、と感じます。食べてくれる姿を見ているだけでも幸せを感じます。
――お姉ちゃんとのきょうだい仲はいいですか?
徹也 夏歩がお姉ちゃんを大好きなんです。2人はとっても仲よしで、毎日一緒に遊んだりけんかしたりしています。けんかすると夏歩のほうが強くて、お姉ちゃんはやり返さないから泣かされてしまったりもします。
私たちは、どうしても健康面で心配事が多い夏歩を気にかけてしまうんですが、お姉ちゃんはそれをわかってくれているみたいです。やきもちをやきながらも、妹を大事にしてくれています。やさしくて妹思いのお姉ちゃんのことも、もっと気にかけてあげたいなと思っています。
――これからの夏歩ちゃんの成長で楽しみにしていることは?
徹也 夏歩は、家では息をしているだけでほめられるんです(笑)。今日も生きてるね、頑張ってるね、えらいね!と。元気に毎日ニコニコしていてくれるのがいちばんです。今は年少で、あと2年ちょっとで小学校に通うようになるとき、重いランドセルを背負って通えるのかは少し心配です。どこまで手助けをして、どこから自分でやらせたほうがいいのか、夏歩の成長に合わせて妻と一緒に考えて、相談しながら夏歩の成長を見守っていきたいと思っています。
【佐藤先生より】社会全体で小さく生まれた赤ちゃんと家族を支える体制が必要
NICUを退院した赤ちゃんは、感染症にかかりやすいです。とくにRSウイルスは乳幼児の『風邪』によく見られるウイルスです。早くお誕生を迎えた赤ちゃんの場合には、重症化したり、長引くこともあります。また、発育や発達もこまめに見守っていく必要があります。在宅医療が必要となるケースもあります。何度も病院を受診したり、自宅でもこまやかに体調を見守ったりと、ご両親にとって大変なことも多いものです。
時に、ご両親だけで向き合っていくのが難しいこともあります。川満さんは家族会を立ち上げられ、いわゆる『ピアサポート(同じ立場・悩みを持つ人同士で支え合う活動)』を実践されています。これはたくさんのご家庭にとって、とても心強いものになっていると思います。私たち、医療者の立場からは、社会全体で赤ちゃんとご家族を支える体制をより整えていくために頑張らなければと勇気づけられます。
お話・写真提供/川満徹也さん、ひとみさん 監修/佐藤千穂先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
ママのひとみさんは、夏歩ちゃんが1才になった2020年2月、小さく生まれた子どもと家族の会「一歩」を立ち上げました。出産時に不安で孤独だった経験から、小さく生まれた赤ちゃんの家族が気持ちや経験を共有できるつながりを作りたいという思いだったそうです。さらに、上尾市での母子健康帳のサブブックであるリトルベビーハンドブック作成に協力しました。また「一歩」立ち上げと同時に埼玉県庁へリトルベビーハンドブック作成の要望書を提出し訴え続け、2022年にようやく作成へ動き出したそうです。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
佐藤千穂先生(さとうちほ)
PROFILE
かるがも上尾クリニック勤務。2005年愛媛大学医学部医学科卒業。川口市立医療センター新生児集中治療科、自治医科大学附属さいたま医療センター 新生児部門などでの勤務を経て、2021年より現職。日本小児科学会認定専門医、日本周産期・新生児医学会認定新生児専門医、国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)。