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3才のひとり息子の白血病での死。身を引き裂かれる悲しみを乗り越えて・・・。病児と家族が深く生きる「ホスピス」を作りたい【体験談】

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駿くん3才1カ月のころ。熱があってもテレビを見て一緒にダンス。

小児がんや先天性疾患など重い病気や障害のある子どもと家族が過ごせる「子どもホスピス」。福岡県でその設立に向けて活動を進めている内藤真澄さん(58才)は、2011年に当時3才だったひとり息子の駿くんを白血病で亡くした経験を持ちます。駿くんの闘病のときのことや、別れの苦しみを乗り越えて、福岡子どもホスピスプロジェクトに参加した思いなどについて聞きました。

小さな首のしこりに気づき、白血病と診断。大変な治療を頑張った駿くん

駿くんが1才になりひとり歩きを始めたころ、パパとお散歩。

内藤さんは結婚8年目で妊娠し、44才だった2008年の8月、長男を出産しました。何か一つのことに秀でた子になってほしいと、名前は「駿」と名づけました。駿くんがよちよちとひとり歩きを始めた1才3カ月のころのこと。せきなどの風邪症状が1カ月ほど続いてよくならない、という状況が現れました。

「小児科でもらった処方薬を飲ませていても、なかなか風邪症状が治らない状態が続いていました。それまではそんなことはなかったので、不思議に思っていたある日、駿の首のリンパのところにコロコロとしたしこりがあることに気がつきました。小児科を受診して、その症状を診てもらいながら相談すると、血液検査をすることに。翌日すぐに先生から電話があり『おそらく白血病に間違いない。大学病院への紹介状を書くからすぐに入院の準備をして』と言われました。

その日のうちに大学病院を受診し、詳しい検査をした結果、先生から駿は骨髄性の白血病である、と告げられました。白血病はリンパ性と骨髄性に分類されるけれど骨髄性のほうが治りにくく、治る可能性は4割程度ということや、このまま入院してすぐに治療が必要と説明されました。

駿の様子が何かおかしい、とは思っていたけれど、まさか白血病だなんて・・・私は信じがたい現実を受け止めるのに精いっぱいで、とにかく早く駿の苦しさを取ってあげてほしいという気持ちでいっぱいでした。入院して数日間の検査の間にも駿の首の両側のリンパ節はみるみる腫れて、おたふくかぜのように。見た目にも病気の進行の速さがわかるほどでした」(内藤さん)

血液のがんである白血病には、薬を使った化学療法を行います。最初のころの治療では、血液の中で増えてしまった白血病細胞をたたくために、とても強い薬を使うのだそうです。治療によって駿くんは3週間もの間、高熱が続きました。

「来る日も来る日も、治療中の駿の体温は39度〜41度ほどの高熱のまま。私は駿の熱くなった体を抱っこしながら、このまま亡くなってしまうんじゃないかと気が気でなく、回診に来る先生に『こんなに熱が続いて下がるんでしょうか、大丈夫でしょうか』と毎日のように聞いていました。先生は『最初の治療ではこういうこともあるんですよ』と言ってくれましたが、不安で押しつぶされそうでした」(内藤さん)

化学療法は、数日間薬の投与を行って白血病細胞を減らし、その後数十日間をかけて血液成分の回復を待つ、この流れを1クールとして、何回か繰り返して行い、白血病細胞をなくしていきます。駿くんは半年間で5回ほどの化学療法を行い、1才10カ月となった2010年の6月に本退院となりました。
久しぶりの自宅で、やっと家族で過ごせるようになったのもつかの間、駿くんの2才の誕生日の直前の8月初旬、内藤さんは駿くんの体の異変に気づきます。

「私は駿の首のリンパをしょっちゅう触っていたんですが、そこにまた小さなしこりを見つけました。数日後には熱も出たので、これは再発に違いない、と思いました。ちょうどお盆休みをはさむ時期で、大学病院で診てもらえたのは8月下旬ごろ。検査結果については『分類不能型白血病』とのことでした。

すぐに再入院をし、化学療法を再開。造血幹細胞移植も行うことになったのですが、体調が不安定だったため延期となり、結局移植ができたのは2011年の2月。8月に再入院してから2月の移植までの間、がん細胞はどんどん増えやすい状態だったようです。駿は幼いながらに自分に大変なことが起こっているとわかっていたようで、大変な治療をとっても頑張っていたと思います」(内藤さん)

1才4カ月から2年間にわたる闘病の末、駿くんは2011年11月、3才という幼さでお空に旅立ってしまいました。

外出すらできない3年間、心に向き合えたきっかけはグリーフケアとの出会い

これほどたくさんの量の薬を投与する治療も頑張った駿くん。

それから3年もの間、内藤さんはほとんど何も手につかなくなってしまったそうです。

「駿のお葬式が終わってから、私は駿が病室で遊んでいたパソコンの子ども用ゲームの続きを1日中プレイしていました。そして、夕方になるとテレビをつけてNHKの『おかあさんといっしょ』をぼんやりと見る、そんな毎日でした。家事も何も手につかないし、夫がいないと買い物に出られないし、買い物をしたところで食事を作ることもできませんでした。

ちょっと気分転換に外に出てみようと思っても、駿とベビーカーでお散歩した道を通ると『駿はもういないんだ』と胸がドキドキして、駿と同じくらいの子どもを見かけるのもつらくて外に出られず、人と話すこともできない状態が3年続きました」(内藤さん)

人とかかわることも避けていた内藤さんですが、唯一心を許して話せるのが、駿くんが入院していたときに知り合った、内藤さんと同じ境遇のママたちだったそうです。

「駿が入院した大学病院で知り合ったママたちとは、たまに会ってお葬式や遺骨のことなど、ほかの人には話せないことを相談し合っていました。あるとき、そのママたち3人でランチに行った日、あるママから九州大学看護学部の准教授をしていた濱田裕子先生に、学生に向けたグリーフケアの研修に協力を依頼されている、と聞きました。私たち3人で20分ずつ子どもを失った体験を話す、という内容でした。そのときまで私は“グリーフ”という言葉も、“グリーフケア”がどんなことかも知りませんでした」(内藤さん)

“グリーフ”とは大切な人を失った深い悲しみ、悲嘆のこと。“グリーフケア”はグリーフを抱えた人に寄り添い、回復へ向けて支援することを指します。内藤さんは発表の準備のために資料を作ったり、駿くんの写真を整理することで、少しずつ自分の心に向き合うことができたと言います。

「グリーフという言葉を知って、私がそれまで何も手につかなかったことは当然のことだったんだ、これが大切な駿を失った苦しみだったんだ、と初めて知ることができました。駿の写真を見返すのはとてもつらい作業でしたが、『このとき駿はとっても頑張っていたな』とか『こんなふうに笑って遊んでたな』『誕生日には看護師さんたちみんなにお祝いしてもらったな』と、悲しいだけじゃなくて、駿と過ごした楽しいできごとも思い出せたんです」(内藤さん)

このことがきっかけでグリーフケアの会に参加するようになり、内藤さんは少しずつ外出したり、人と会うことができるようになりました。自分自身の経験から、子どもを失った親にとってグリーフケアがいかに大切かがわかったという内藤さん。自ら、大学病院で知り合ったママたちと2015年に「親の会すまいる」を作り、傾聴のボランティア活動を始めました。

「大切な子どもを失った親は、身を引き裂かれるような苦しさと大きな孤独を抱えます。私が駿を失ったときには、苦しみを抱えてどう過ごせばいいのか、乗り越えることができるのか、知りたかったけれどだれに聞けばいいのかわからないし、教えてくれる人もいませんでした。自分の経験から、子どもを失ってしまった親には、悲しみをわかってくれる人や寄り添ってくれる存在が必要だと考え、自分がそのサポートをしたいと思うようになったんです」(内藤さん)

子どもホスピスは病気と闘う子どもと家族が、人生を深く豊かにできる居場所

駿くん3才のお誕生日を病室でお祝い。

親の会のほかにも、内藤さんは入院中の子どもの家族が宿泊や滞在できる福岡ファミリーハウスの活動や、福岡子どもホスピスプロジェクトの活動など、闘病する親子の支援にかかわるようになりました。福岡子どもホスピスプロジェクトは2009年に濱田先生が立ち上げた団体で、現在は内藤さんもスタッフとして、子どもホスピス設立のための活動に携わっています。子どもホスピスは看護師などの専門家が常駐し、医療的ケアが必要な子どもと家族が安心して過ごせる場所です。

「“ホスピス”というと“最期を過ごす場所”というイメージがあるかもしれませんが、子どもホスピスは少し違います。治療が見込めない子どもが家族と大切な時間を過ごす場所でもありますが、それだけではなく、病気を治療中の子どもも、入院や治療のためにできなかった遊びや体験をし、深く豊かに生きることができる場所なんです。利用する家族にとっても、子どもに何を食べさせていいかといった相談をしたり、何気ないおしゃべりで心のケアができる場所を作りたいと思っています。

駿が闘病中には個室で私と2人きりで過ごすことが多かったので、駿にもっとほかの子どもたちと過ごす機会をあげたかった、と心残りがあります。子どもたちが病気だからとあきらめることをできるだけ少なくして、病気と闘いながらさまざまな体験やコミュニケーションができる機会を作りたいんです。

私はいつも駿とともに生きていると感じています。活動を通してたくさんの人と出会うことができたのも、駿がつないでくれた縁があったから。今はとても幸せです」(内藤さん)

お話・写真提供/内藤真澄さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

福岡子どもホスピスプロジェクトは、病気の子どもと家族の受け入れだけではなく、入院中の子どもの家族が滞在できる施設をめざしているそうです。さらに「地域の人との交流イベントなどを行い、開かれたコミュニティーにしたい」と内藤さん。登録する家族の利用は無料で、運営費は企業や個人からの寄付金でまかなう予定です。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。

福岡子どもホスピスプロジェクト

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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