腸の長さわずか16cmの「短腸症候群」の息子。ずっと伝え続けてきた「あなたは特別じゃない」という言葉に込めた想い【体験談】
生後1カ月のときに「壊死性腸炎」で腸を大量切除し「短腸症候群」になった谷川なおくん(16歳)。腸の機能回復をめざして6年5カ月入院して治療。退院後、地元の公立小学校への入学を希望しましたが、受け入れ体制に不安があるとの理由から入学が認められるまでに苦労したと言います。母親のちとせさんに入学が認められるまでのこと、学校生活のサポート、子育てで大事にしてきたことなどを聞きました。
「腸に障害があること以外はほかの子と同じ」と理解してもらうのに苦労
「短腸症候群」とは、生まれつき、または病気や事故などで、腸が通常より短くなることで、生きていくために必要な栄養素や水分を十分に吸収できなくなった状態のこと。食事に点滴などを加えて栄養や水分を補う必要があります。
谷川なおくんは、生後1カ月のときに病気で通常2mある腸を切除し、腸の長さが16cmに。
小学校入学に向けてなおくんの退院のめどが立ったころ、ちとせさんが始めたのが、通学を希望する小学校と教育委員会に出向くことでした。病気のこと、なおくんは腸に内部障害があること以外はほかの子と同じように過ごせているということについて理解を求めたと言います。
「入院していた病院の院内学級の先生のすすめもあり、発達検査や知能検査を持参し、説明しました。住んでいる自治体の学校では息子と同じ疾患の子を受け入れたことがなく、小学校の校長先生と児童支援専任の先生から実際に息子に会いたいと言われて面談。話してみると『思ったより変わりないんだね』と普通学級で学ぶことに問題がない子とようやく理解してもらえました」(ちとせさん)
ただ、学校や教育委員会がいちばん懸念していたことは、学校生活でなおくんに何かあったときの対応に不安があるということでした。
「夜間は栄養剤の投与が必要な息子でしたが、日中はそのような医療器具は不要でした。とはいえ、日中の急な体調不良時にどのように対応をしたらいいか、教育の現場で対応できるのか、その点の不安はぬぐえないと・・・。当時、自治体によっては息子のような持病に対して看護師が学校に配置される例がありましたが、私たちの住む自治体にはそういうシステムがなくて。結局、私が毎日登校から下校まで付き添うことで入学が認められることになりました」(ちとせさん)
息子の意志をできる限り尊重し、困らないようにサポート
入学当初の付き添いは登校から下校までの丸1日。ちとせさんは教室の後ろに待機しながら、同年代の子との集団生活を経験していないなおくんが、学校生活そのものにうまくなじめるかどうか、とても心配したそうです。
「そもそも生まれてからずっと、6年5カ月も病院で生活していて、幼稚園や保育園など集団生活をしたことがない子です。そもそも授業の間ちゃんと座っていられるかどうかというところから気が気でなくて。でも、登校してみると息子はすぐ隣の子と話をし、授業中も椅子にちゃんと座っていて安心しました」(ちとせさん)
また、ありがたかったのは、担任の先生が初日になおくんの病気のこと、ちとせさんの付き添いが必要なことを子どもたちにわかるようにやさしく説明してくれたことでした。
「子どもたちはすぐ理解してくれ、掃除のとき体力がなく1人で机を運べない息子に『一緒に運ぼう』と声をかけるなど、いろいろやさしく接してくれました」(ちとせさん)
付き添いは小学1年生の3学期から登下校と給食時のみ、2年生の1学期から登下校のみ、冬ごろからは完全になしになりました。ちとせさんは担任の先生と相談しながら少しずつ手をはなしていったそう。ずっと付き添っていたら、なおくんの世界が広がらないと考えたからです。
「最初は体力がなくランドセルも背負えなかった息子で、私のサポートが必要でしたが、少しずつ体力がつき、本人もプライドが出てきて自分でランドセルを背負いたがるようになっていきました。また、給食時に付き添っていたころは、少しでも荷物の負担を減らそうと午前中の授業の教科書やノートを私が先に持ち帰るなどをしていましたが、それもだんだんと不要に。
『お友だちと通いたい』と言ったときには、私は後ろからついていって見守るなどしました」(ちとせさん)
ちとせさんが今でもはっきり覚えているのが、小学2年生の冬に完全に付き添いがなくなった日のこと。
「そのころには体力がついて体調を崩すことが減り、『いつまでついてくるの?』とよく聞くようになっていて。もう大丈夫かな、と付き添いをやめることにしました。見送る息子の後ろ姿を見て『たくましくなったな、成長したな~』と感慨深かったです」(ちとせさん)。
また、なおくんの快適な学校生活を支えたのは、家族だけでなく学校側のサポートも大きいものでした。
「だいぶ元気になったとはいえ、厳しい食事制限は続いていました。給食は食物繊維や脂っぽいものを避けた除去食を息子のためだけに用意してくれたり、運動会で騎馬戦に出られないときは太鼓をたたく役割を与えてくれたり・・・。宿泊研修は夜間に栄養剤の投与が必要な息子にとってはとてもハードルが高いものでしたが、参加したいという息子の意向を尊重してくれて、特別に私の部屋を用意し、夜だけ一緒に寝かせてもらうことで参加がかないました」(ちとせさん)
病気に甘えず、できることを精いっぱい頑張る子に育ってほしい
ちとせさんがなおくんにずっと伝えてきたのは「あなたは特別ではない」ということです。
「主治医からは日々の食事のほか、体育の授業では鉄棒、プール、長距離走などを制限されていましたが、できること、できないことをわかったうえで、できることは精いっぱい頑張ろうと。『まわりはきっとあなたにやさしくしてくれるだろう。でも、それに頼り過ぎてはだめ、自分でできることは必ずするんだよ』ということを言い続けてきました。
入学直前の面接で私たち親は先生に『息子を特別扱いしないでほしい』と伝えたんです。それは息子もすごく覚えていて、よし、頑張ろうと思ったそう。なので、息子は本当に頑張っています。だから『頑張れ!』という言葉は絶対に使わないと決めています」(ちとせさん)
一方で強く伝えてきたのは、頑張って何かあったときは「必ず全力で守る」ということ。
「体調を崩すと絶食して回復を待つのですが、これは何より食べることが大好きな息子にとってはつらいことなんです。そんなときは『また食べられるようになるよ、大丈夫!』とポジティブな声をかけています。たぶんこれまでネガティブな言葉は言ったことがありません。だから常に前、前!と前だけを見ているような子に育っているのかも。どんなに大変なことがあってもあきらめずに自分で道を切り開いていける子になってほしいです」(ちとせさん)
現在、高校生になったなおくんは世の中に「短腸症候群」についての情報が少ないと感じ、自身の患者としての体験を発信することに熱心に取り組み始めたと言います。
「インターネットを調べて『このサイトで僕の体験を伝えたいんだけど、連絡してもいい?』と相談されたときは驚きました。親が知らないところで自分の病気のことを調べたり、自分ができることを考えたり、息子なりに成長していることを実感しました」(ちとせさん)
【千葉正博先生より】短腸症候群の子どもの「できること」を伸ばす視点に立った援助を
守られていた病院と異なり社会に出ると、さまざまな援助が必須となってきます。なおくんの場合も、学校の先生や管理栄養士さんが非常に協力的であったことが助けとなりました。この疾患の子どもたちを取り巻く大人たちに考えてほしいのは、「できることをどのように伸ばしていくのか?」という一点です。この病気は希少疾患なだけに、まだまだ社会の中で認知が進んでいないのが現状です。病気への理解が進み、このような子どもたちが過ごしやすい社会となることを切に願っています。
お話・写真提供/谷川ちとせさん 取材・文/永井篤美、たまひよONLINE編集部
なおくんのように治療に時間を要する病気になり、病院の中で育つ子どもは少なくありません。子どもは家族や地域社会の人に育てられると言いますが、なおくんの場合はまわりの大人が病院の人たちだったということでしょう。なおくん自身は入院生活を振り返り、「さみしいと思ったことは一度もありません。まわりの人たちに大切に育ててもらいました」と話しています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
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