“今のままだと息子は20歳で死んでしまう…なんとか治したい!”幼いわが子が2万2000人に1人の難病“色素性乾皮症”と診断された家族の軌跡
冒頭の写真に写る男の子は、なぜ全身をすっぽりと覆う恰好をしているか、わかりますか?
3きょうだいの末っ子として生まれた、静岡県在住の新貝海陽くん(2歳1ヶ月)は、 “色素性乾皮症”(※1)という病をかかえています。治療法は見つかっておらず、外出時は紫外線をカットする防護服を着なくてはなりません。
とくに重い症状の海陽くんは、成長とともに聴力の低下や転びやすいなどの神経症状が表れ、寿命は20年から30年くらいと言われています。
「病気の進行が始まるのは6歳ごろ。そうするとあと4年。あと4年でなんとか治せるところまで行き着かなくてはいけないんです」
“どうにかして治したい!”そう懇願するパパの篤司さん(39歳)とママの真夕さん(35歳)に、海陽くんの病気が判明した経緯やそのときの心情などをお聞きしました。
特集「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
病気発覚のきっかけ。初めは「肌が弱いから日焼けしたのかな」と…
海陽くんの病気に気づいたのは生後2ヶ月のとき。毎年家族で行く雪山に遊びに行ったときでした。
「1泊2日で遊んで帰宅すると、夜になって海陽の顔が赤く膨れあがったんです。
“アレルギーかな?”と思って翌朝かかりつけ医に診てもらったんですが、“雪山で日焼けしたんじゃない?”と。
その後、皮がめくれて肌はボロボロになったんですが、2週間程度で治ったので、“生後2ヶ月でまだ肌が弱いから、ひどい日焼けをしてしまったのかな”と、当時はそれほど深刻に考えていませんでした」(篤司さん)
日焼け跡はすっかりきれいになり、海陽くんは真夕さんやきょうだい2人と一緒に近くの公園へ。このとき、再び海陽くんに色素性乾皮症を疑う症状が表れます。
「あれは、忘れもしない2月11日。2時間くらい公園遊びをしました。その日は普段どおりだったんですが、翌日の夜から海陽の顔がまた赤く腫れあがったんです」(真夕さん)
篤司さんと真夕さんは一晩中ネット検索し、疑わしい病気を調べたそうです。
「翌朝になると、海陽の顔はやけどしたときのように膿んでひどい状態に。
“これは日焼けじゃない、別の病気がかかわっているんじゃないか”ってすぐにかかりつけ医を再受診しました」(真夕さん)
篤司さんは、ネットで調べた病名を医師に話します。
「考えられる病名を医師に話してみたんですが、“そんな病気、何万人に1人だからあり得ないと思う”と半信半疑の様子で…。でも、大きな病院を紹介してほしいと頼み、静岡県内の大学病院を紹介してもらいました」(篤司さん)
篤司さんと真夕さんは、海陽くんの病気が“色素性乾皮症ではないか…”と疑いつつも、“色素性乾皮症じゃなければどんな病気でも受け入れる”と心を立て直し、時間が許す限りずっとネット検索を続けたそうです。
「検索しながら、処方された塗り薬でアレルギー反応を起こしてるんじゃないかとか、何かにこじつけて心の安定が保てるように過ごしました」(篤司さん)
大学病院を受診した帰り道、2人とも本屋で号泣
かかりつけ医の再受診から約2週間後、ようやく予約が取れて、海陽くんは3月初めに静岡県内の大学病院を受診します。
ところが、診断に至るまでには日焼けの抗体検査や遺伝子検査などさまざまな検査が必要で、さらに大阪府にある大学病院に行くことになります。
「静岡県内の大学病院では、紫外線を20秒と40秒おなかに当てる日焼けの抗体検査をしました。
とても難しい病気かもしれないと思いながらも、“たった20秒と40秒、紫外線を当てたからって日焼けするわけない。絶対大丈夫!”ってどこかで信じていたんです。
でも、帰宅した夜、海陽のおなかには日焼けの症状が出てきて…。紫外線を40秒当てたところは、翌朝には真っ赤になっていました」(篤司さん)
病院の帰り道、感情を吐き出せる場所が欲しかった
静岡県内の大学病院では診断は下りなかったものの、“色素性乾皮症に違いない”と帰り道は涙が止まらなかったそうです。
「海陽には7歳の姉と5歳の兄がいるんですが、その日2人は留守番をしていました。2人に悲しい顔を見せられないので、帰る前に気持ちを落ち着かせようと本屋に立ち寄って。妻と海陽は車の中にいて、号泣して…。
僕は帽子をかぶってマスクをして、ずっと泣きながら本を読みました。マスクの中は鼻水と涙でぐしゃぐしゃ。傍から見たら不審者みたいに思えたかもしれません。
とにかく心のよりどころが欲しくて、“あなたの子どもが生まれてきた意味は…”などと綴られたスピリチュアルな本ばかり選びました」(篤司さん)
真夕さんは、お子さんたちを心配させまいと、気丈に振る舞っていたと言いますが、誰もいないところでは毎日泣いていたそうです。
検査と診断のため、大阪府内の大学病院へ
静岡県内の大学病院での受診から約1カ月後の4月。さらに詳しい検査を受けるために、大阪府内の大学病院を受診した海陽くん。
「診断が下りたのはそれから約1カ月後のことでした」と真夕さんは話します。
「診断を聞く前から“色素性乾皮症だ”と確信していたので、このときはSNSなどで病気を知ってもらう活動を始めていました」(篤司さん)
色素性乾皮症にはA~G群、V群という8つの病型が知られていて、中でもいちばん症状が重く、患者さんの数も比較的A群は多いほうだと篤司さんは言います。
「A群と診断が下りたら、割と早めに検査結果の連絡が来ると病院から言われていました。逆に、連絡が遅いほど病名が特定されていないことになると。
その場合、連絡まで3ヶ月ぐらいかかると聞いていたんです。でも、検査から3週間くらいで連絡が来て…。こんなに早く連絡が来るということは、まったく違う病気だったんじゃないかとも思いましたが、残念ながら色素性乾皮症と診断されました」(篤司さん)
大阪府内の大学病院の医師からは、色素性乾皮症乾皮症と診断が下りた子の親御さんは、その場で失神したり、膝から崩れ落ちる方もいると言っていたそうです。でも、篤司さんと真夕さんは、冷静に医師の診断を聞いたと話します。
「僕たちは海陽が雪山で日焼けしたときから半年くらいかけて覚悟を決めて強くなっていたので、その場で泣くことはありませんでした」
次のステップとして、“いろいろな方に知ってもらって有効な治療につなげていきたい”と思った篤司さんと真夕さん。たくさんの方に病気を知ってもらう活動を精力的に進めていきます。
フォロワー数2万人強。多数のメディアでも取り上げられるように
現在、海陽くんのインスタグラムのフォロワー数は2万人強(※2)。海陽くんの様子はテレビや新聞など、さまざまなメディアで取り上げられています。
治療法の手がかりを求め、篤司さんはさまざまな関係各所に出向き、相談したと言いますが、「今は何もできていない状況です」と話します。なぜなのでしょうか?
「1つの薬を作るのに開発費用に500億とか1000億円かかると聞きました。
約2万人に1人の病気を治す薬を作っても意味がなく、ビジネス的にも成り立たないようで…。
それなら、いろいろな病院の先生などに海陽のことを話して、病気の重大さが浸透していけば、治療に本腰を入れてくれる方が出てきてくださるかなと思ったんですが、それも難しくて…」
募金をしたいと申し出てくれる方がたくさんいることが“とてもありがたい”と話す篤司さんと真夕さん。でも、いただいたとしても使い道がないと残念そうに話します。
「仮に僕たちがみなさんに募金をお願いして、何百億円が集まったとしても、本当に薬ができるという確信がない限り、お願いしちゃいけないと。だから、今は病気を知ってもらう活動しかできていないんです」(篤司さん)
「私たちが悪い…」「過去に戻りたい…」その胸の内
病名を探る中で、色素性乾皮症は遺伝子の病気だと知り、遺伝子学を学んだ篤司さんと真夕さん。学びから何を思ったのでしょう。
「海陽が発症したのは、私たちの遺伝子が原因。だから、“私たちが悪いね”と」(真夕さん)
篤司さんは、空想の世界に入って過去に戻りたいと考えてしまうこともあるそうです。
「僕たちはいい家族だと思っているんですが、過去に戻ってやり直したいって考えちゃうこともあります。でも、過去に戻ったら今の大事な何かも消えてしまうわけで…。だから、未来のことを考えるしかないと今は思っています。海陽は治ると信じて…」(篤司さん)
後編では、海陽くんとご家族の普段の暮らしぶりや、診断から約1年半を経た真夕さんと篤司さんの心境などを聞きます。
※1遺伝病で、A~G群という8つの型がある。多くは紫外線に当たると肌がやけどのように赤く腫れ、しみができて皮膚がんになりやすい。A群では、成長とともに聴力や身体機能の低下などの神経症状を発症する。
(難病情報センターのHPを参照してまとめたもの)
※2 2022年2月8日現在のフォロワー数
取材・文/茶畑美治子
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。