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小さな体で2度の大きな手術を乗り越える。装具や車いすを使い、世界を広げていく娘に、寄り添い続けた母【二分脊椎・体験談】

更新

手術を終え、生後17日にようやく紬ちゃんを抱っこできました。

宮原香織さんのひとり娘、紬ちゃん(9歳)は、妊娠19週目に二分脊椎(にぶんせきつい)と診断されました。歩行時は装具を着け、車いすも併用。排せつの医療的ケアも必要です。でも、とてもアクティブに活動し、2025年4月から、NHK Eテレの工作番組「ノージーのひらめき工房」にレギュラー出演しています。
香織さんに聞く全3回のインタビューの2回目は、脊髄髄膜瘤(せきずいずいまくりゅう)を修復する手術を受けた出産直後から幼児期ごろまでの紬ちゃんの様子についてです。

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細い糸をつむぐことで丈夫で美しくなる、「紬織」のような女性になってほしい

搾乳した母乳をNICUに持参し、看護師さんに哺乳びんで飲ませてもらっているところ。

「紬」ちゃんという名前は、性別がわかった妊娠7カ月(26週目)ごろに決めたそうです。

「私たち夫婦の希望の光になってほしいという願いから『ひかり』も候補に挙がりましたが、夫は名前が漢字一文字なので、娘もそうしたいって。『最初は細くて弱い糸かもしれないけれど、少しずつ糸と糸とをつむいでいき、丈夫で美しい紬のような女性に育ってほしい』という願いを込めて『紬』という漢字を夫に提案され、この名前しかない!と、その場で決定しました。
私の名前の一文字『織』と『紬』で『紬織』という言葉にもなります」(香織さん)

大きなこぶを修復する手術が終わって間もなく、水頭症の手術も必要に

2つの大きな手術を無事に終えた生後32日目。

紬ちゃんが胎児期に診断された、二分脊椎の脊椎とは背骨のこと。その中には、脊髄という太い神経の束がのびています。通常、脊髄は脊椎で守られているのですが、妊娠初期に何らかの原因で、脊髄が背骨と皮膚で覆われない状態になってしまう病気が二分脊椎です。
神経組織が表皮に出ている「開放性」と、出ていない「閉鎖性」の2つに分けられ、開放性二分脊椎は、「脊髄髄膜瘤」とも呼ばれます。腰に神経や神経を覆う膜の一部が出て、こぶになっている状態です。
紬ちゃんには、このこぶができていたので、出産後に切除する手術が行われました。

「娘の背中についていたこぶは、600gもある大きなもの。手術までの間に表面が乾いてやぶけないように、ずっと湿らせたタオルが当てられていました。

手術は6時間にも及びました。先生の説明によると、麻酔科、脳神経外科、形成外科の先生が連携して施術してくださったとのこと。大きなこぶは修復され、皮膚はきれいに縫合されていました。

術後に投薬などはありませんでしたが、娘には膀胱直腸障害があるので、おしっこ・うんちを自力で出しきることができません。おしっこは1日6回カテーテルで取り、うんちは浣腸をして出す医療的ケア(医ケア)が手術後から必要に。今も行っています。

こぶを修復した数日後、引き伸ばして縫合した背中の皮膚から、髄液がもれていることがわかりました。それは水頭症の影響だという説明でした」(香織さん)

水頭症は、脳の中にたくさんの髄液がたまり、脳室などが大きくなってしまう病気。手術が必要で、その方法には、内視鏡手術とシャントを挿入する手術があります。

「内視鏡手術は脳内の膜に穴を開けて脳内の圧力を下げる方法。シャント手術は頭の中にカテーテルを入れ、たまった髄液を流すための管を頭からおなかへ通す方法とのことでした。

生まれたばかりの娘の負担を考えると、内視鏡手術のほうがいいんじゃないかと思いました。でも、シャント手術のほうが、効果が出る確率が高いそう。娘の小さな小さな頭に穴をあけるなんて、かわいそうだし恐ろしくもあったけれど、必要なことなんだと自分に言い聞かせ、シャント手術をしてもらうことにしました」(香織さん)

帝王切開で出産した香織さんは1週間で退院しましたが、紬ちゃんの入院生活はその後も続きます。

「術後1カ月でNICUから普通病棟に移り、2カ月後に晴れて退院。待ちに待った家族3人の生活が始まりました。

退院後は脳圧をチェックするために、2週間に一度通院しました。生後6カ月のときシャントが抜けかけてしまっていると診断され、シャント再建手術のため再び入院することに。手術は無事終わり、後遺症など心配される症状も現れず、ホッとしました。
とはいえ、それでなくても初めての育児ですべてが心配なのに、医ケアが加わり、経過観察も欠かせないので、毎日が緊張の連続でした。

そんな生活が1年続き、あっという間に生後1年の健診がやってきました。その健診で、キアリ奇形はないと診断され、少しホッとしました。でも、脊髄空洞症(脊髄の中に髄液がたまった腔ができ、脊髄が内部から圧迫されることにより上肢の筋力低下など、さまざまな脊髄症状が現れる)がみられるとの説明を受け、なかなか不安の種が尽きない日々が続きました」(香織さん)

療育に通うことでビックリするほど成長し、おしゃべりも上手に

足の装具を着けて歩く練習を始めた1歳ごろの紬ちゃん。

紬ちゃんは生後8カ月ごろからリハビリに通い、体の使い方を教えてもらったり、体幹を鍛えたりする訓練などをしていました。

「歩行訓練は1歳ちょうどからスタート。リハビリ先で借りた装具を履かせてみたところ、1人でつかまり立ちができたんです。1人歩きの練習には装具を着けた歩行訓練が必要なので、娘専用の装具を作ることになりました。
2カ月後に装具が完成。自分の体に合った装具を着けてつかまり立ちをする姿を見て、きっと1人で歩けるようになる!!と明るい気持ちになれました」(香織さん)

紬ちゃんは2歳になる少し前まで、言葉がほとんど出ませんでした。香織さんは「気にはなっていたけれど心配はしていなかった」と言います。

「赤ちゃんのころ喃語(なんご)があまり出ない子でした。1歳の誕生日を過ぎても、名前を呼ぶと手を上げるけれど「はい」などの言葉は発しないなど、言葉の発達が少し気になりました。
病気の影響かどうかはわかりませんが、二分脊椎の子には発達障害や知的障害が見られることもあるそうなので、何かしらあるのでは・・・という気持ちでした。
コミュニケーションは取れていると感じていたので、あまり心配はしていなかったのですが、2歳の発達健診で療育をすすめられました。

ちょうどそのころ、同年代の子と比べて、娘の発育・発達が遅めなのが目立つようになり、児童館などで遊ばせることに少しとまどいを感じていたんです。療育なら同じような境遇のお友だちと楽しく遊べるかもしれないと考え、週2回療育に通うことにしました」(香織さん)

療育に通うようになって、紬ちゃんは「目を見張るほど成長した」と、香織さんは当時を振り返ります。

「母子分離型の療育のため、療育の様子をすべて見たわけではないのですが、先生方とのかかわりや、同年代のお友だちと一緒に遊び、生活することで、娘はビックリするほど成長しました。
おしゃべりが上手なお友だちができたことで、娘もおしゃべりをする楽しさを実感できたよう。このころから、どんどんおしゃべりになっていったんです。

それまでは、日中は私と娘2人しかいない生活。療育でたくさんの先生や子どもたちとかかわることが、娘にとてもいい刺激になり、成長を促してもらえたんですね」(香織さん)

車いすでいきいきと移動する娘。移動手段は足じゃなくてもいいんだとわかる

3歳4カ月で車いすと出会った紬ちゃん。世界がぐっと広くなりました。

香織さん夫婦が待ち望んでいた、紬ちゃんの初めての一歩が見られたのは、2歳4カ月のときでした。

「装具を着けた足を右、左と出し、何もつかまらずに数歩歩くことができたんです!生後8カ月から1人歩きを目指してリハビリを続けてきたので、待ちに待った瞬間でした。
歩行訓練は娘にとって簡単なことではなく、かなりの苦痛もあると思います。使い方のわからない体を先生に支えてもらい、時には泣きながら頑張っていました。ようやくその努力が報われたという思いでした。(香織さん)

紬ちゃんは3歳4カ月のときに車いすと出会います。

「そのころの移動は主にベビーカーを使い、遊ぶときなどは装具を着けて歩行していました、当時の紬の移動距離は、数十メートルほどです。
子ども用車いすを使う選択肢があることは知っていましたが、少しずつでも歩けるので、車いすを使うことに迷いがありました。

でも、いろいろと調べていく中で、同じような障害がある子どもの多くが、車いすと装具歩行を併用して生活していること、娘の病気は成長とともにいずれは歩行ができなくなる可能性が高いことも理解していました。そのため、なるべく早い時期から生活の一部、体の一部として車いすに慣れさせたほうがいいよねと夫婦で話し合い、娘用の車いすを作ることを決めました。
車いすメーカーの方の『車いすがあると世界が広がる』という言葉にも背中を押されました」(香織さん)

自分の車いすに乗って移動する紬ちゃんは、とてもいきいきしているそうです。

「握力や腕力が少し弱いこともあり、屋外で車いすを操作することに慣れるまでに、かなり時間がかかりました。でも娘は車いすが大好きで、いつも楽しそうに乗っています。行きたいところに自由に行けるのがうれしいんだと思います。そんな姿を見ていると、娘にとって車いすは体の一部なんだと感じます。移動手段は自分の足だけじゃなくていいんだ!と、娘も私も夫もこのとき初めてわかりました。新しい世界が開けたようで、親子ともにワクワクしたことを、今もはっきりと覚えています」(香織さん)

装具を着けてスタートした園生活。足を痛めたことがあり、車いすも使うことに

幼稚園での様子。無理のない範囲で装具を着けて歩き、負担が大きいときは車いすも使いました。

紬ちゃんは年中クラスから2年保育で幼稚園に入園しました。

「区立の普通の幼稚園です。入園当初はまわりの子と体力も生活するペースもさほど差を感じなかったので、頑張って装具だけで生活していました。

でも、近所の小学校まで徒歩で遊びに行くイベントのとき、手をつないで一緒に歩いたお友だちのペースについていけず、足を痛めてしまい、しばらく歩けなくなってしまったんです。
装具を着けてもまわりの子と同じように歩くことは難しいとわかり、園と相談して、車いすを持ち込むことにしました。通常は装具で歩行、必要なときは車いすを使うといったように、使い分けました」(香織さん)

こうした経験から、「自分はみんなと違うと、紬は考えるようになったようだ」と香織さんは言います。香織さん夫婦はそんな紬ちゃんに寄り添い、応援を続けました。

【荻原先生より】ご両親とともに頑張ってきた紬ちゃん。外来で元気な姿を見せてくれます

シャント再建手術のために入院した、生後6カ月の紬ちゃん。

私も、今回の紬ちゃんのエピソードを通して、ご両親の側からの病気に対する受け止め方がよくわかりました。何度もつらい時期がありましたが、よく受け止められ、ご両親と紬ちゃんで頑張ってきたことは素晴らしいと感じました。外来で紬ちゃんの元気そうな姿を見られて、私もたいへんうれしく思っています。

お話・写真提供/宮原香織さん 監修/荻原英樹先生 取材協力/NHKエデュケーショナル、accessibeauty 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>第3回

脊髄髄膜瘤を修復する手術、水頭症の治療のためのシャント挿入手術という大きな手術を乗り越え、香織さん夫婦が待つ自宅に戻ってきた紬ちゃん。装具を着けての歩行、車いすでの移動と、どんどん世界を広げていきます。
インタビューの3回目は、幼稚園の思い出や挑戦したこと、芸能活動などについて、紬ちゃん本人からも話を聞きます。

荻原英樹先生(おぎわらひでき)

PROFILE
国立成育医療研究センター 小児外科系専門診療部 脳神経外科 診療部長。東京大学医学部卒業。専門分野は小児脳腫瘍、脳血管障害、もやもや病、小児脳神経外科。小児神経外科学会専門医、日本脳神経外科学会専門医、日本神経内視鏡学会技術認定医。

ノージーのひらめき工房

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年6月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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