「母ちゃんは、子どもを信じて放置する天才です」そんな母に育てられたから今がある【武田双雲インタビュー】
書道家・現代アーティスト 武田双雲さんは、2男1女(17歳、15歳、8歳)の父です。書道家である母親・双葉さんと仲がよく、母親との思い出をつづった著書『母ちゃん』が話題になっています。5月の第2日曜日は「母の日」です。双雲さんは「世の中のお母さんたちは、みんなすごい! 子どもを育てるって本当にすごい」と言います。天才書道家 武田双雲さんの原点を作った双葉さん流の子育てについて、双雲さんに聞きました。
母ちゃんは子どもが生まれて親になっても、自分が楽しむことを大切にしていた
話題の著書『母ちゃん』には、お母さん・双葉さんの明るいキャラクターがイキイキと描かれています。驚くようなエピソードも満載です。
――改めて、双雲さんから見た双葉さん について教えてください。
双雲さん(以下敬称略) 僕は熊本県で生まれて育ちました。男3人兄弟の長男です。二男とは1歳違いで、三男とは9歳違います。母ちゃんは、今年で70歳です。
ひと言で言えば、母ちゃんは明るくて破天荒な人です。書道教室を開きながらも多趣味で、若いころはエアロビクスのインストラクターもやっていたのですが、僕が夜、目を覚ましてトイレに行ったら、母ちゃんがレオタード姿で書道の筆を洗っていて「明日の練習!」と突然、足を高く上げて踊り始めたのでびっくりしたことがあります。
ショッキングピンクのレオタードを着て、僕の小学校の体育館の舞台に上がり、みんなの前で、ノリノリでダンスを披露したこともあります。僕は、母ちゃんが来るなんて知らなかったのであせりました。そんなことが日常茶飯事でした。
母ちゃんには、子どもが生まれて親になっても、自分自身、楽しく生きなきゃダメ!という考えが根底にあります。
取材で母ちゃんのことを聞かれて改めて思い返すと、破天荒でも子育てや家庭のことはしっかりやっていました。家族のために食事もきちんと作っていたし、掃除とかも手を抜きません。でも不思議と、無理して頑張っている感じはしないんですよね。なんでも楽しむというバイタリティーがある人で、本当に尊敬しています。
――著書には、子どものころはほぼ怒られなかったと書かれていますが、双葉さんは怒らない人だったのでしょうか。
双雲 僕自身が、そんなに手がかかったり、悪さをするような子でなかったというのがあります。怒られるのは、道路に飛び出すなど命にかかわったり、大けがにつながるような危険なことをしたときぐらいです。
僕は、大人になってからわかったのですがADHD(注意欠如・多動症)の特性があります。そのように言われたとき、妻は「すぐに物を失くしたり、忘れ物が多いから、以前からわかっていたよ」と言っていました。妻とは大学卒業後、勤めた会社で知り合って結婚しましたが、結婚後、妻なりに本を読んだり調べたりして、僕の特性のことを認識していたそうです。
ADHDの特性で、幼少期から唐突に危険なことをすることも多々ありました。目を閉じてどこまで歩けるか試して、田んぼに落ちたりしたこともあります。そういうときは、母ちゃんに「危なかばい!」と怒られました。でも「死なんかったけん、よかたい!」って明るく言ってくれるんですよね。幼心に、母ちゃんのそういう言葉に救われていました。
習い事はたくさんさせてもらったけど、まわりの子と比べられたことは一度もない
武田双雲さんは3歳から書道家である双葉さんに師事し、書を習い始めます。しかし双葉さんは、書道に限らず、いろいろな経験を双雲さんにさせたと言います。
――双雲さんは、書道家の双葉さんから3歳で書道を習い始めていますが、いわゆる英才教育という感じだったのでしょうか。
双雲 僕がやっていたのは書道だけではありません。いろいろな習い事をさせてもらいました。音楽教室やスイミング、塾、野球などです。1日だけの実験教室などのイベントにも連れて行ってもらったことがあります。母ちゃん自身が多趣味ということもあるし、今、振り返るとアウトソーシングで外の世界とつなげたかったんだと思います。
僕は「〇〇をしたい!」と自分から言い出すタイプではなかったので、母ちゃんがすすめてきて、興味があるものはすべて習っていました。その中で長く続いたのが、書道教室と音楽教室です。
習い事はたくさんしていたけれど、母ちゃんはまわりの子と僕を比べることは一度もなかったです。母ちゃんは、世間体を気にしないタイプだから、まわりの子と比べるという発想がないんです。だから僕がまわりの子よりできなくても、恥ずかしいとも思わないんですよね。ありのままの僕をいつも肯定してくれます。
まわりの人に迷惑をかけたりすると怒られるけれど、ママ友だちの目とか、世間の評価はまったく気にしない人でした。おかげで僕は、のびのび習い事を楽しめました。
――双雲さんは、東京理科大学理工学部卒業ですが、双葉さんは教育熱心だったのでしょうか?
双雲 「いい大学に入らないと、社会に出てから苦労するよ。だから、しっかり勉強しなさい」など、子どもの将来を考えて助言したり、注意したりする“未来言葉”のようなことを言うことはまったくなかったです。
母ちゃんは「今を生きる!」「今を楽しむ!」という人なので、子どものことに関しても、将来を見すえて何か言ったりはしません。
子どもに将来を見すえて“未来言葉”で助言すると、結局は「いい大学に入るため」「いい会社に就職するため」とすべての目的がそれになってしまいます。子ども自身も、親にそのように言われ続けるとリスクを回避する力は養われるかもしれませんが、「今、この瞬間をイキイキと楽しむ」ということが失われていくような気がします。僕はそういう人生って楽しいのかな?と疑問に思っています。
――双雲さんには弟が2人いますが、双葉さんは弟たちも同じように育てたのでしょうか。
双雲 1歳下の弟は、中学・高校と不登校でした。5年ぐらい家に引きこもっていた時期があります。でも母ちゃんは「よかばい!」と言って、弟のことを否定したりはしなかったです。弟の部屋の前に食事だけは運んでいました。手紙を添えて「何か食べたいものある?」と聞いていました。言葉での会話はありません。
弟も、いろいろな思いを抱えて苦しかったんだと思います。でも母ちゃんは否定せずに寄り添ってあげていたから、弟は立ち直れたのだと思います。
過度にほめる子育ては、子ども自身を生きづらくする
武田双雲さんは、よく双葉さんに「本当に天才ばい!」と言われて育ちました。しかし「ほめる子育て」とは違ったようです。
――著書の中に「ほめる子育ては危険!?」という下りがあります。危険とはどのようなことなのか教えてください。
双雲 僕自身も母ちゃんから書道だけでなく、何かすると「本当に天才や!」とよく言われたのですが、しかるところはきちんとしかられていたので、単にほめて育てられたわけではありません。
誰かと比べてほめていたわけではなくて、純粋な感動のときにほめていたので影が生まれにくいのだと思います。
過度にほめて育てると、子どもは「親にほめられたいから〇〇する!」と考えるようになります。逆を言えば、親にほめられなければしないのです。損得勘定で動く子どもになってしまいます。そしてほめられれば、ほめられるほど子どもは承認欲求が暴走し、親や世間の評価を気にするようになります。そこに自由はありません。
――双葉さんの子育てで、とくにリスペクトする部分を教えてください。
双雲 自分に子どもができて子育てをしてみて、本当にすごいなと感じます。母ちゃんは、子どもを信じて放置する天才です。単なる放置ではありません。子どもと距離をとるのが絶妙にうまいんです。
僕がNTTを辞めると言ったときも、母ちゃんはわざわざ熊本から、僕が当時住んでいた神奈川に来ました。退職を思いとどまらせようとしたのかもしれません。でも退職後の夢を話したら、何も言わずに笑顔で帰っていきました。「せっかくいい会社に入ったんだからもったいない」「頑張りなさい」なんて、ひと言も言いません。母ちゃんは、子どものころからそうでした。
――双葉さんは、「今を生きる!」ということを大切にする人なんですね。
双雲 母ちゃんもADHDの特性があるのか!? 計画性がないんですよ(笑)。
衝動性もあって、子どものころ、目の前で夫婦げんかを見るのは日常茶飯事でした。「お前、ハンコ押さんか!」「そっちが押せ!」みたいな激しいけんかです。でも父ちゃんも母ちゃんも、怒鳴り合うけれども離婚届を出すことは、絶対なかったです。お金のことでもめていることもありました。リアルな大人の世界をまざまざと見て育ちました。
子どもの前だからって仲のいい夫婦を演じたり、格好つけたりしないんです。だから母ちゃんを信用できたのかもしれないですね。
お話/武田双雲さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
武田双雲さんは「今、築いている親子関係は、10年後、20年後、30年後・・・ の親子のカタチにつながる。そんなふうに思って、子育てをしてほしい」と言います。
●記事の内容は2023年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。
武田双雲さん(たけだそううん)
PROFILE
1975年、熊本県生まれ。3歳より書道家のお母さんから、書を習い始める。独自の創作活動で注目を集め、NHK大河ドラマ「天地人」、世界遺産「平泉」、スーパーコンピューター「京」など数多くの題字、ロゴを手掛ける。著書は『ネガティブの教科書』(きずな出版)など多数。
■『母ちゃん』
人と比べてこうあるべきという押しつけをしない、武田双雲さんのお母さん・双葉さん流の子育てをつづったポジティブ育児本。 武田双雲著/1650円(鴨ブックス)