“痛みに耐えてこそ一人前の母”は昔話に。変わりゆく妊娠・出産のスタンダード【出産の30年・前編】
出産の考え方や価値観は、時代の流れとともに変化しつつあります。たとえば、「おなかを痛めて産まないのは母親失格」などと言われがちだった帝王切開や無痛分娩は、増加傾向にあります。
『たまひよ』創刊30周年企画「生まれ育つ30年 今までとこれからと」シリーズでは30年前から現在までの妊娠・出産・育児の様子を振り返り、これから30年先ごろまでの流れを探ります。今回は「出産」の歩みについて、丸の内の森レディースクリニック院長の宋 美玄先生に聞きました。
痛みを回避したくでもできなかった日本の出産事情
――近年、帝王切開や無痛分娩での出産が増えていますが、『たまひよ』が創刊された1990年代は自然分娩が今よりずっと多い割合でした。これはなぜでしょうか?
宋先生(以下敬称略) 今から10年くらい前までは、テレビ番組や雑誌などで出産に関する特集が組まれると、そのほとんどが自然分娩にかかわる内容だったことが関係しているのではないかと思います。
ソフロロジー出産やアクティブバース、立ち会い出産などが注目され、芸能人が自宅出産をしたといったニュースもよく目にしました。
メディアが世間に与える影響力は大きいので、出産は「自然分娩がいい」というトレンドになったのではないでしょうか。
――2018年の資料(※1)によると、東京大学医学部附属病院で行われた無痛分娩は“妊婦本人希望93.2%”“医学的適応6.8%”とあります。
宋 そうですね。ちょうど5年くらい前から、「絶対自然分娩で出産したい」とか「自宅感覚で過ごせる和室で産みたい」などと希望する妊婦さんは、あまり見かけなくなりました。
出産の痛みを経験してみたいという妊婦さんもいますが、多くは赤ちゃんの誕生を楽しみにしつつも、心の奥では出産に不安を感じていたり、分娩に伴う痛み、とくに陣痛に恐怖を抱いたりしていたのではないでしょうか。
でも、1990年代後半ごろまでは、妊婦さんの強い要望がある場合でも、無痛分娩はごく限られた医療施設でしか対応していなかったので、選べる状況ではありませんでした。
地域の医療状況にもよりますが、今は無痛分娩も選べる時代です。無理して自然分娩する必要はないと考える妊婦さんが増えてきているようです。
――以前は「痛みに耐えないと一人前の母親になれない」などと親世代から言われていたこともあるとか・・・。
宋 基本的に人間は、逃れられない苦痛には意味づけをしないと耐えられないといわれています。分娩時はとてつもない痛みを伴います。だから、いつの時代も“お母さんになるための尊い痛みなんだ”などと信じ、乗り越えるしかなかったので、そのような言葉がけがされてきたのではないでしょうか。
――今はそういった声がけは減ってきているのでしょうか?
宋 『たまひよ』が創刊された1990年代の妊婦さんは、両親などから当たり前のように「お産の痛みに耐えないと、ちゃんと子育てできない」といったことを言われていたかもしれません。
今もそのような話は聞きますが、30年前に妊娠・出産を経験した人たちが、今の妊婦さんの親御さんたちなので、30年前の親御さんたちに比べてかなり考え方も感覚も変わってきているでしょう。「お産の痛みに耐えないと・・・」のような考え方はだいぶ減っていると思います。そういった価値観の変化も無痛分娩を希望される人が増えた要因の一つかもしれません。
※1:第61回社会保障審議会医療部会の資料「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築について」(厚生労働省)
日本の無痛分娩実施率が海外よりも低い理由は?
――2017年4月に無痛分娩の安全性について、厚生労働省研究班から緊急提言があり、世間の注目が集まりました。
宋 妊婦さんの状態が急変したとき、即時に対応できる体制を十分に整えた上で無痛分娩を実施するように医療施設に求めた提言ですね。
これは、2010年から2016年の間で分娩時に亡くなった妊産婦さんのうち、5.2%が無痛分娩を行っていたというデータを元に行われたものです。
しかしながら、この5.2%という数値は2007年の無痛分娩実施率2.6%をもとに計算されていたことが提言後にわかりました。つまり古いデータで計算されていたわけです。
徹底した再調査の結果、2016年時点で日本の無痛分娩実施率はお産全体の6.1%まで上がっていたことが判明しました。
2007年の2.6%と2016年の6.1%では、母数がまったく違っていたわけです。
2016年の無痛分娩実施率6.1%をもとに再計算すると、無痛分娩での妊産婦死亡率はほかの分娩方法と変わらないという結論になりました。
フランスの無痛分娩実施率は日本の約12倍
日本産婦人科医会「分娩に関する調査」の概要によると、日本の無痛分娩の実施率は2008年ですべての分娩の2.6%、2016年では6.1%。厚生労働省が全国の分娩施設に対して初めて行った調査(※2)では、2020年の無痛分娩実施率はすべての分娩の8.6%と上昇傾向がうかがえます。でも、世界的に見るとフランスの65.4%に対して日本は5.3%とあまり普及していません。
※2:令和2(2020)年 医療施設(静態・動態)調査(確定数)・病院報告の概況
――無痛分娩での妊産婦死亡率はほかの分娩方法と同等と判明したのに、日本の無痛分娩実施率は海外と比べると低いです。
宋 日本の無痛分娩実施率が海外と比べて低い大きな理由には、出産を扱う病院の規模と入院日数の違いがあります。海外の分娩施設は、先進国も発展途上国も年間1万件くらいの出産を扱う、大規模病院が基本です。
日本で言えば大学病院のような24時間体制の大きな病院が、地域の拠点に点在しているのが特徴です。麻酔科医が常勤していて、無痛分娩がスムーズに行える環境にあります。
一方、日本は地域の小規模病院が、いくつもあるのが特徴です。小さい規模の病院が無痛分娩を扱う場合は、産婦人科医が出産の管理と並行して麻酔を行うケースもありますが、主に非常勤の麻酔科医が担当します。
――小規模の病院は常勤の麻酔科医がいないのでしょうか?
宋 本来の無痛分娩は、妊婦さんの容体に応じて緊急でも対応できる体制で行われるものです。日本も規模の大きい病院では、妊婦さんに陣痛が来たタイミングで麻酔を行います。
ですが、麻酔科医は人手不足なうえ、日本は小規模病院がたくさん点在しているため、常勤医として配置するのは難しいのが実情です。そのため、小規模の病院での無痛分娩は、麻酔科医の勤務日など決められた日に行わざるを得ないことが多いのです。
――海外と日本では、分娩から退院までの平均入院日数が違います。無痛分娩実施率と関係がありますか?
宋 アメリカなどでは、医療保険の問題もあり出産後48時間くらいで退院するのが基本です。それをかなえるには、産後の回復が早い無痛分娩で出産しないと退院できないからということも考えられます。
また、医療費が日本に比べてとても高額なので、入院日数が短い無痛分娩が選ばれやすいこともあるでしょう。
日本では出産育児一時金などの助成があるうえ、出産後は海外よりも病院でゆっくり過ごせるので、無痛分娩以外の方法も選ばれやすいことも考えられます。
「出産はハイリスク」が常識になったきっかけは?
――最近、「出産は病気じゃないからトラブルなしが当たり前」という声はあまり聞かなくなったように感じます。
宋 私たち産婦人科医の立場から言うと、いつの時代も妊娠・出産はハイリスクです。たとえば、妊娠発覚からずっと順調だった妊婦さんでも、一転して容体が悪化することもあります。さらに言えば、妊婦さんに合併症などがあれば、医療が介入しても命を落とすこともあります。
でも、2000年ごろまで世間の意識は「妊娠・出産は安全なのが当たり前」という感覚で、トラブルが起こると「医療ミスだ!」などと言う人が多かったのではないでしょうか。
メディアも、海外旅行に行く妊婦さんや、活動的に過ごす妊娠中の芸能人の様子などを取り上げていたりしたので、妊娠・出産に対して安全なイメージを持ちやすかったのかもしれません。
しかし、今では「妊娠・出産はハイリスク」という認識に変わっています。それは、2004年に起こったたいへん痛ましい出来事がきっかけでしょう。2004年に福島県で妊婦さんが分娩中の出血のために亡くなり、産婦人科医が業務上過失致死で逮捕されたというものです。
医師が刑事責任を問われたことで、産婦人科医をめざす学生が減ってしまいました。医療現場が萎縮すると懸念したのでしょう。出産の取り扱いをやめる病院も増え、全国的な“産科離れ”が起きました。これはとても衝撃的な出来事でした。
“産科離れ”によって、妊婦さんが希望する病院で出産できない、いわゆる“出産難民”が問題になったり、トラブルが起こって訴訟問題に発展したりしたケースも多くありました。
国や自治体などでは妊娠・出産の安全性を確保するために産婦人科医の集約化を試みる動きが出るようになりました。その影響もあり、地域によっては浅く広い周産期医療の配置ができず、妊婦さんが自宅近くで受診できないなどの課題をかかえています。
―――2012年に連載が始まった漫画「コウノドリ」も、妊娠・出産に対する世間の考え方に影響を与えたと聞いたことがあります。
宋 世間の認識が変わる一つのきっかけだったと思います。
今も、出産に関する訴訟問題のニュースはあります。でも、妊娠・出産はハイリスクだと周知されたことで、医療側を責めるような声は少なくなったように感じます。
昔であれば「医者が悪い」といった声が多数派だったのではないでしょうか。
約30年で、帝王切開での出産は2倍ほどに
――2021年、WHOが世界的に帝王切開による出産が増加傾向にあると発表しました。日本でも増えているようです。
宋 医療側にも妊婦さん側にも、帝王切開での出産が選ばれやすくなり、無難だと考えられるようになったことが大きな理由でしょう。
医療側に選ばれやすくなった理由としては、残念なことに経腟(けいちつ)分娩で赤ちゃんが死産となってしまい訴訟問題に発展したケースで、ある段階で帝王切開に切り替えていたら助かったという司法の判例が次々と出たことが挙げられます。
たとえば、1人目出産が帝王切開だったママが、2人目のときに経腟分娩で出産する方法(TOLAC)に臨んだ際、子宮破裂が起こった事故などが該当します。
経腟分娩で出産を管理するよりも帝王切開のほうが低リスクで安全性が高いと医師が判断した場合は、早い段階から帝王切開が選ばれるようになりました。裏を返せば、無理して経腟分娩を選ばなくなったとも言えます。
帝王切開の安全性がより向上してきたことも選ばれやすい理由の一つでしょう。
――妊婦さんに選ばれる理由はどういったことなのでしょうか?
宋 確かに帝王切開の安全性は高くなりましたが、経腟分娩に比べて母体へのリスクは増えます。なので、初産の人は経腟分娩のほうがおすすめではあります。
でも、長い時間をかけて不妊治療をしてやっと赤ちゃんを授かった人や、初産年齢の高い妊婦さんは、無理をせず赤ちゃんの安全性を重視して、出産したいと考え決断するのではないでしょうか。この傾向は今後も続くと思います。
約5人に1人が帝王切開での出産
「令和2(2020)年医療施設(静態・動態)調査(確定数)・病院報告の概況」によると、帝王切開の分娩に占める割合は大規模の一般病院で27.4%、小規模の一般診療所では14.7%という結果で、上昇の一途をたどっています。
約30年前に比べ、40代で出産したママの数は3~4倍に
厚生労働省が発表した「母の年齢別にみた出生数」を見ると、『たまひよ』が創刊された約30年前と同時期の1995年と2021年を比較すると、20代~30代前半のママから生まれた赤ちゃんの出生数は約5割減、30代後半のママでは約2倍、40代は約3~4倍と、現在は高齢出産が顕著であることがうかがえます。
―――『たまひよ』が創刊された1990年代から2010年代ごろまでは、帝王切開での出産に対して少し偏見があったように思います。
宋 ほんの少し前まで、体外受精で生まれた赤ちゃんを“試験管ベビー”などと強烈な言葉でたとえる人もいましたが、今は聞きませんよね。それと同じように、帝王切開の出産に対する偏見もなくなっていくでしょう。
この世に生をうけて産まれたら「おめでとう」と言われる時代になったのではないでしょうか。
図版・資料提供/厚生労働省 取材・文/茶畑美治子、たまひよONLINE編集部
●記事の内容は2023年6月23日の情報であり、現在と異なる場合があります。
『たまひよ』創刊30周年特別企画が続々!
『たまごクラブ』『ひよこクラブ』は、2023年10月に創刊30周年を迎えます。感謝の気持ちを込めて、豪華賞品が当たるプレゼント企画や、オリジナルキャラクターが作れる「たまひよのMYキャラメーカー」など楽しい企画が目白押しです!たまひよ30周年特設サイトをぜひチェックしてみてください。
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