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息子に恋をした新米パパ。息子の発達障害に徹底的に向き合って気づいたこと【フリーアナウンサー・赤平大】

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娘と話しているアジアの母
●写真はイメージです
kokoroyuki/gettyimages

フリーアナウンサーの赤平大さん(44歳)は、息子の太一くん(仮名・12歳)が4歳のときに発達障害と診断されて以来、発達障害について勉強を続け、太一くんの“生きづらさ” を少しでも軽くするために寄り添ってきました。太一くんが生まれてから、発達障害とわかった保育園時代までのことを聞きました。

生まれたばかりの息子を見た瞬間、恋をしたように胸がキュンとした

――太一くんが生まれて、初めて対面したときはどんなお気持ちでしたか。

赤平さん(以下敬称略) 息子の顔を見た瞬間、胸がキュンと痛くなりました。ほとんど“恋をした状態”でした。
実は僕は子どもにすごく好かれるんですよ。以前占い師さんに話したら、「当然だよ、赤平さんの前世はピエロだからね」って言われたこともあるんです。だからわが子にも好かれるんだろうなと思っていたのですが、好かれる前に僕が骨抜きにされました。父親だから育児をするというよりも、息子のお世話をしたくてたまらなくて、自然と体が動くという感じでした。

――太一くんの乳児期の成長の様子はどうでしたか。

赤平 1歳過ぎに歩けるようになって、1歳3カ月ごろ言葉が出るようになったから、少しゆっくりめでしょうか。でも、そのころは気になることは何もなかったです。

発達障害のことをまったく知らず、診断がついてもピンとこなかった

――赤平さんの愛情をたっぷり受けてすくすく育った太一くんは、保育園の1歳児クラスに入園します。

赤平 日本人と外国人の保育士さんが半々くらいの私立保育園に入園したのですが、太一をバイリンガルにしようとか、グローバルな視点で育てようとか考えたわけではないんです。単に公立保育園に落ちてしまって、そこしか入れなかっただけ。でも、あとから考えると、それは僕たち親子にとってラッキーなことでした。

――太一くんの発達障害に気づくきっかけになったのが、保育士さんの言葉だったとか。

赤平 そうなんです。太一が4歳のとき、先生から「おうちでたくさん勉強しているんですか」って聞かれたんです。本が好きだったので読み聞かせはよくしていましたが、勉強らしい勉強はしていないので、先生に質問の理由を聞いたら、保護者用に張り出しているお知らせをほとんど読めて内容も理解している、日本語だけじゃなくて英語も理解しているようだって。勉強はしていないと話すと、「何かあるかもしれないから検査したほうがいいですよ」と。

あとから知ったのですが、日本人の先生は「この子は発達障害かもしれない」と感じても、保護者には言いにくい傾向にあるようです。僕に声をかけてくれたのは外国人の先生で、発達障害を個性の一つだととらえている、考えてくれているような先生だったから、伝えてくれたのかなと思います。

――すぐに検査を受けたのですか。

赤平 いえ、すぐには受けていません。生活するうえでとくに不都合なことはなかったので。言うことを聞かないとか、何かに夢中になると切り上げられないとか、こまかな困ったことはありましたが、4歳ごろの子どもならだれにでもあることだと思っていました。僕は太一以外の子どもを見ていないので、ほかの子とちょっと違うことに気づけなかったんです。これって“発達障害あるある”なんですよ。保育園の先生はたくさんの子どもを見ているから、「何かあるかも」と感じたんだと思います。

しばらくたってから、取りあえず検査は受けてみようと思い、自治体の施設に行きました。検査の結果、ADHD(注意欠陥・多動症/※1)で、高IQのギフテッド(※2)的な要素もあるとのことでした。のちに僕が発達障害について勉強したところ、ASD(自閉症スペクトラム/※3)とLD(学習障害/※4)の傾向もあることがわかりました。

――太一くんが検査を受けた当時、赤平さんは発達障害についてどのくらい知っていましたか。

赤平 まったく何も知らないのに近いです。先天性の遺伝子異常の病気との区別もついていませんでした。発達障害と言われても、太一のどこにどんな障害があるのか、全然ピンときませんでした。

ただ思い返してみると、そのころ太一と旅行に行くと、僕は四六時中しかっていました。太一は気になるものを見つけると、まわりを気にせず突進してしまうので、「止まりなさい!」「危ない!!」と、しょっちゅう大声で静止していました。
ADHDの子は環境が変わると、普段より衝動性が強くなってしまうんです。旅行先で片時も目が離せなかったのはそういうことだったんだな・・・と、発達障害について学んだあと納得しました。

※1:注意力不足、落ち着きのなさ、衝動的な言動を抑制することが難しいなどの特徴がある発達障害
※2:生まれつき知能が高く、年齢相応ではない才能を見せる子どものこと
※3:対人関係が苦手、こだわりが強いなどの特徴がある発達障害
※4:知的な発達に遅れはないのに、読む、書く、計算するなどの能力に困難が生じる発達障害

息子のことを理解するために500本以上の学術論文をひたすら読む

時間が経過したことをタイマーの音で理解し、行動の区切りがつけられるようにしています。

――発達障害と診断されたあと、療育には通われましたか。

赤平 2週間に1回、自治体の施設で、運動療法と行動療法を受けました。太一は体がぐにゃっとして姿勢を保持できないし、ブランコをこぐ、ボールを投げるなどの運動が苦手。箸を使うのも下手で、ごはんをよくこぼしていました。運動療法では、作業療法士の方に体の使い方を教えてもらっていました。行動療法では、その場に適した行動を取れるようにすること学んでいました。

――太一くんが発達障害と診断されたあと、赤平さん自身、発達障害についてものすごく勉強されたとか。

赤平 太一が抱えている障害について知りたい一心でした。最初に読んだのは、絵本レベルの薄い本でしたが、世界がぐるっとひっくり返るほど価値観が変わりました。
発達障害はその人の特性、個性の一つだから、周囲が適切な接し方をすれば、生きづらさを減らすことができると知ったんです。太一の幸せのために、僕は発達障害について深く理解しなければいけない。それからは発達障害に関する学術論文を、かたっぱしから読みあさりました。今までに500本以上読んでいます。また、発達障害の支援に関する資格もいくつか取りました。

――発達障害の書籍ではなく学術論文を読んだのはなぜですか。

赤平 発達障害についてわかりやすく書かれた書籍はたくさんあります。でも、本を書く際には学術論文をベースにしているはずだから、論文を読んだほうが早いと考えました。また、書籍の内容は筆者のフィルターを通してアウトプットされたものだから、できる限り事実や情報そのものに近づきたかったということもあります。

――仕事が忙しい中、太一くんの毎日の送り迎えや習い事の付き添いもされていたとのこと。たくさんの学術論文を読む時間は、どのようにして工面していたのですか。

赤平 僕個人の娯楽の時間はほとんどないですね。睡眠時間も平均3~4時間でしょうか。でも、つらいともやめたいとも思ったことはありません。発達障害は知れば知るほど奥が深く、まだまだ勉強がたりないと感じています。

――発達障害について勉強したことで、太一くんとのかかわり方はどう変わりましたか。

赤平 発達障害の子は周囲の子どもと比べて自分はダメだと感じることが多く、自己肯定感が育ちにくい傾向にあります。だから、ささいなことでもできたら必ずほめ、できなかったことは「次はできるよ」と励ますことを、常に意識しています。また、目標をたくさん作るとできないことが増えてしまうので、毎日三つだけ頑張る目標を作りました。
たとえば小学生のときだったら「教科書を持ち帰る、傘を持ち帰る、宿題をやる」といった感じです。三つすべてできることは少ないのですが、一つでもできたら一緒に喜びたくさんほめました。中学生になった今も続けています。

また、何かに熱中すると行動を切り替えることができないのは、ADHDの特性です。「このあと出かけるからゲームは30分で終わらせるよ」と言葉で説明しても太一には響かないので、時間になってもゲームをやり続けます。「30分で終わりって言っただろう!」としかっても、お互いにイライラするだけでいいことは一つもない。
だから時間の経過を目と耳で感じられるように、タイマーを活用することにしました。「タイマーが鳴ったらゲームは終わりだよ」と説明し、30分後にタイマーを鳴らす。そして「ほら、タイマーが鳴ったよ、30分たったよ」と促すと、行動を切り替えられることが多いんです。もちろんうまくいかないこともありますが、苦戦する回数は減りました。

まわりにいる人たちが発達障害を理解すると、その子への接し方が変わります。すると発達障害の子の問題行動が減ります。その結果、まわりの人のイライラやストレスが減って好循環になるんです。太一の生きる将来がそんなやさしい社会になってほしいので、僕は発達障害について学び、情報発信を続けています。

お話・写真提供/赤平大さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

発達障害について深く学び、常に太一くんに寄り添ってきた赤平さん。太一くんが小学校に入学するにあたり発達障害であることを告知し、小学校の6年間も二人三脚で過ごしたそうです。

赤平大さん(あかひらまさる)

PROFILE
テレビ東京でアナウンサーを務めたあとフリーアナウンサーに。発達障害学習支援シニアサポーターなどの資格を持つ。発達障害支援者向け動画メディア「インクルボックス」を運営。

インクルボックス

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