「低出生体重児でアレルギーの息子の子育てが今に繋がっています」俳優の夫・佐藤浩市と共に始めた週末里親とは…【国内外で児童支援を行う佐東亜耶インタビュー】


あるきっかけから、海外の子どもたちへの支援活動や、日本の児童養護施設へのボランティアを始めた佐東亜耶さん。自分にできることから始め、今では児童養護施設出身の子どもたちや職員に美容院で無料施術をするプロジェクトなどを立ち上げ、乳児院や児童養護施設の子どもを週末や長期休暇期間に預かる東京都の制度「フレンドホーム」にも参加し、里親活動も行っています。俳優業で多忙な夫を支えながら、子どもたちへの支援も10年以上行ってきた佐東亜耶さんに、子どもたちとの出会いやかかわり、活動への思いなどを聞きました。全2回インタビューの前編です。
低出生体重児でアレルギーの息子の出産。すべてはそこから始まった
10年以上にも渡り、国内外の子どもたちへの支援活動をされている佐東亜耶さん。結婚前は舞台俳優をしていましたが、俳優の佐藤浩市さんと結婚し、専業主婦に。そして、3年後に男の子を授かりました。この出産が、亜耶さんのそれからの活動に大きく影響を与えることになりました。
「息子は低出生体重児で、アレルギーもたくさんあって、毎週毎週病院に通っていました。だから、息子が身につけるものや食べるもの、地球環境にも意識を向けて過ごしている中で、たまたまスタッフがオーガニックコットンのアンダーウエアを見つけてきました。
そのアンダーウエアは、イギリスのブランドのものだったんですが、生産国であるインドの子どもたちの児童労働を廃止するフェアトレードの商品と知り、そこで途上国の子どもたちの状況に興味を持ちました。フェアトレードではなく、児童労働の上に成り立っている商品はたくさんあって、それを購入することは児童労働を支援していることにつながるんですよね。そこから縁あって、そのアンダーウエアブランドの商品を輸入販売し始め、イベントなどでフェアトレード商品の啓蒙活動や児童労働廃止運動を始めたり、フィリピンの施設にいる子どもの里親を始めたりしました。
でも、活動をしながら、日本にもたくさんの子どもたちが親と一緒に暮らせないでいるという状況を知り、これは海外の子どもたちだけじゃなくて、日本の子どもたちにも目を向けていかなければと思ったんです。
といっても、何の資格もない、よくわからないただのおばさんが日本の児童養護施設に行って何か教えてくださいって言っても、そうそう開かれる道ではなくて。地道にボランティアに行ったり、映画のチケットを配ったりする中で、職員さんたちと仲よくなり、子どもたちとも交流を持って、だんだんと関係を築いていったという感じです。
何をすることが正解なのかわからないし、子どもたちのために何ができるのかもわからないので、取りあえず自分ができることからやるしかないという感じでした」(亜耶さん)
そうやって、児童養護施設を訪問する中で、亜耶さんはKちゃんという少女に出会います。Kちゃんは当時14歳でしたが、引きこもりがちで、学校にも行けず、施設の部屋からもなかなか出てこないという状況だったそうです。
「食事の時間になっても自分の部屋に引きこもっていて、職員さんが作った食事も食べなくて。おなかがすくと、月のおこづかいの中からコンビニで買って食べているという現実。いつも顔色が悪くて、ひょろひょろっとしていたし、ちゃんと栄養を取れているのか心配でした。
彼女を何とかしてあげられないかなと思っていたんですが、そんな力も知識もなく、どうすればいいのかわからないまま時間が過ぎていって…。
そんなときに、かかわっていた施設の職員さんが教えてくれたのが、東京都の『フレンドホーム』制度だったんです」(亜耶さん)
やってみたいと思った「フレンドホーム」制度。夫は受け入れてくれるのか悩み…
「フレンドホーム」とは、東京都が行っている制度で、乳児院や児童養護施設の子どもを週末や長期休みのときに一般家庭で預かるというものです。子どもたちにとっては、施設に属しながら、家庭経験ができる機会。また、お互いの都合をつけて、半日~数日間単位の交流ができるので、迎える家庭は、養育里親や特別養子縁組といった制度よりも低いハードルで、子どもたちに家庭経験をさせてあげることができます。
「かかわっていた施設の職員さんに、『フレンドホーム』という、短期間だけ預かれる制度があって、わが家が『フレンドホーム』に認定されれば、Kちゃんともっと交流できるし、お泊まりさせてあげられますよという話を聞いて、私はぜひやりたいなと思ったんです。
ただ、夫は俳優というちょっと特殊な仕事をしていて、外では常に人に見られるというエネルギーを使っている分、家ではプライベートな空間をすごく大事にしているんです。Kちゃんを家で預かるとなると、夫のプライベートな空間を壊してしまうんじゃないか、自宅でゆっくりとくつろげなくなるんじゃないかと考えてしまって。『フレンドホーム』をやりたいっていう気持ちを、夫になかなか切り出せなかったんですよね。
実はこれまでも、児童養護施設の中高生や、児童養護施設出身の若者たちとかかわる中で、夫も彼らと一緒に食事をする機会は何度もあったんです。学校が終わって施設に帰る前に、夫の仕事の現場に連れて行ったり、音楽に興味のある子は夫が歌のリハーサルに連れて行ったりしたこともありました。ただ、いつも門限までには施設に帰るようにしていたので、家に泊まるということはなかったんです。
半年くらい迷っていたときだったでしょうか。ものすごく考えて、ものすごく勇気を振り絞って、夫に『フレンドホーム』をやってみたいと伝えたんです。
そしたら、夫はびっくりするくらいあっさりと『ああ、いいんじゃない?』って。私の悩んでいた半年間は何だったんだろうって思うくらい、すんなりOKをしてくれたんです。夫はフレンドホームの話を聞いて、『息子はもう成長して家を離れているし、施設にいる子どもたちのためになるのならいいんじゃないか』と思ったそうです。ただ、責任の重さも感じていたようです。
夫のOKが取れたあとは、審査や家庭訪問、面談を受けました。児童養護施設の子どもたちは、元々は虐待など被害を受けていた子どもたちも多いので、二次被害や三次被害を起こさないように審査や面談があるのは、大切なことだと思っています。わが家も審査や家庭訪問、面談は、夫も一緒に受けてくれました。こうしてすべてをクリアして、Kちゃんをわが家に受け入れることになったんです」(亜耶さん)
「フレンドホーム」として、ようやくKちゃんを自宅に受け入れられることになった亜耶さん夫妻ですが、すべてがすんなりとうまく進んだわけではありません。学校にもなじめず、施設でも引きこもり状態だったKちゃん。迎えてすぐは、亜耶さんや浩市さんと普通に会話ができる状態ではなかったと言います。
「Kちゃんの『フレンドホーム』を始めるにあたって、私自身の不安はなかったんですが、家族とのコミュニケーションは大丈夫かなっていうところは少し心配ではありました。施設の職員さんとも、あまり会話ができてなかった子ですから、急にいろいろ話してほしいって思っても、それは難しいですしね。
私はとにかくKちゃんにとってわが家が、自分の居場所のひとつになればいいなと思っていましたし、夫も、Kちゃんとの過ごし方を模索していたと思います。そして彼は、自分が家にいるときは普段どおりにして、彼女に対してお客様扱いはしないで居続けるというスタンスを取りました。
あまり気を使いすぎているように相手に映ってしまったら、『よその人』みたいな感じになるので、自然に家にいて、普段どおりの空間を作り出そうということは私も夫も同じ思いでしたし、そう努めていたと思います。
ただ、ご存じのとおり、うちの夫はそんなに多く語るタイプではないので、本当に数少ない会話でしたが、普段の家で過ごすときのように『何食べる?』とか『これ食べたい?』とか聞いていました。あとで聞いたら、夫も『声を出すことを強要はしたくない。こちらが話しかけて、Kちゃんはうなずくだけでいい』と思っていたそうです。
でも、Kちゃんとの距離は思うようには縮まりませんでした。今日は一歩近づいたと思ったら、翌々週に会ったら五歩ぐらい遠ざかっていて、でも会えばまたちょっと近づいて…みたいなことの繰り返し。私たちとかかわることでどんどん成長するんじゃないかなんて勝手にイメージしていたんですけど、そうではなかったところが、私たちにはとても勉強になったし、そこであせらずゆっくりと関係性を築くことができたのは今となってはとてもよかったと思います。
そんな感じで、Kちゃんには少しずつ話せるようになってくれればいいと思いながら過ごして、ようやく普通に会話できるようになったのは、2年ほどたってからでしたね。
Kちゃんは夫と2人きりで過ごすことはあまりなくて、いつも私がいるときに来るという感じでした。でもある時、夫とKちゃんの2人でちょっとコンビニに行こうかって話になり、2人で出かける姿を見たときには、私のほうがキュンとしましたね」(亜耶さん)
実に2年もの月日をかけて、閉ざしていたKちゃんの心をゆっくりゆっくり開いていった亜耶さん夫妻。無理して急いで関係性を深めようとはしない亜耶さん夫婦の対応に、Kちゃんもどれだけ助けられたことでしょう。そんな「フレンドホーム」での活動について、「頑張らないことが大事」と亜耶さんは言います。
「児童養護施設で生活する子の中には、本来なら家庭で教育されるべきことが、抜けている子がいたりします。施設に入って、いきなり他人と暮らさなきゃいけなくなって、生きることや自分を保つことに必死で、マナーとかルールとか人との距離感の取り方とかが苦手な子がいたりもします。体は大きくなっていても、心が幼いままの子も見受けられます。
『フレンドホーム』のよさは、普通の家庭を体験できること。ただ一緒に買い物に行くのも貴重な体験なんです。
八百屋さんにはこれが、魚屋さんにはこれが売っていて、このメニューを作るにはこんな材料が必要で、包丁でものを切るときにはこんな手の形をするんだ、野菜は切る前に洗うんだとか、私たちが当たり前と思っていることが、彼らの日常にはなかったりするんですよね。
迎える家庭はいつもどおりでいいんですよ。いつも部屋をきれいにしてなくてもいいし、散らかってるときもあっていい。夫婦でけんかすることがあってもいいし、自然と仲直りをする様子を見せてもいい。子どもたちからしたら『今回お父さんから謝ったな』とか『今回はお母さんが謝ったんだな』とか、『今回はなんか謝らなくても2人いつのまにか仲よくなってるじゃん!』とか発見がいっぱい(笑)。私たちが子どものころに体験した、親とか親せきとか、いろんな人たちを見ていて自然に学んだ、人とのかかわり方というものをフレンドホームを通じて見て感じてくれればいい。本当に普通の、リアルな日常を体験してもらえばいいんです。
いいところばかり見せるとか、どこかに連れていかなきゃいけないとか、そういうことじゃなくて、散歩していて花屋さんの前を通りかかったときに好きな花を見つけて、じゃあ一緒にいけてみようかというような、生きる上で必要な心の豊かさみたいなことを一緒にできればなというふうに思っています。
だから、迎える側(がわ)も完璧じゃなくていいんです。完璧な人なんかいないし、完璧じゃなくていいんだなって知ってもらうのも、子どもたちと交流するひとつの意義かなと思っています。私自身、頑張りすぎないっていうことは心がけていますし、『フレンドホーム』を始めとして、児童養護施設出身の子たちと関わることのハードルを上げないで、興味があったら体験してくれたらいいなって思います。
こういう活動をしていると、夫婦の会話が増えるんです。自分の子育てのときって、夫に対して『どうしてわかってくれないの?』『なんで私だけこんなに大変なの?』みたいな思いを抱えることがあると思うんですが、『フレンドホーム』の子はたまにしか来ないっていうのもあってか、『次来たときには、あれ食べさせてあげたいね』とか『あれ好きだから、また作ってあげよう』とか『次はいつ来るんだろうね』みたいなポジティブな会話がお互いに生まれてくるんです。
なんかそれって、夫婦関係においてすごくすてきなエッセンスになっているって思いますよ」(亜耶さん)
お話/佐東亜耶さん 写真提供/一般社団法人泉鳳 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
息子さんのアレルギーをきっかけに、さまざまな学びがあり、海外の子どもたちへの支援をし、そして日本の児童養護施設にかかわりたいとボランティア活動から始め、フレンドホームなどの里親活動やそのほかの支援事業を発足させるなど、亜耶さんの行動力には驚かされました。また、夫である佐藤浩市さんも亜耶さんの活動を、静かに、でも強力に支援してくれて、すてきなご夫婦だと感じます。後編では、美容院での無料施術プロジェクトを始めるきっかけとなった女の子のお話などを聞きます。
佐東亜耶さん(さとうあや)
PROFILE
一般社団法人泉鳳および一般社団法人BEAUDOUBLE代表理事。北海道札幌市出身。俳優座にて舞台俳優として活躍、1993年俳優の佐藤浩市さんと結婚。俳優座退団後は専業主婦になり、1996年1男(俳優の寛一郎さん)を授かる。2012年フィリピンやインドの子どもたちの支援活動を通して、日本の児童養護施設の子どもたちの状況を知り、2013年より児童養護施設のボランティア活動を始める。2019年には、現在、社会的養護経験者および施設職員等を対象に行っている美容室での無料施術の提供のスタートとなるプロジェクトを開始。2020年には主に哲学をメインとした学びの居場所を提供。そのほか、さまざまなプロジェクトを進行中。プライベートでは、2018年より乳児院や児童養護施設の子どもを週末や長期休暇期間に預かる東京都の制度「フレンドホーム」で里親活動を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年5月現在のものです。