生まれてすぐの染色体検査でダウン症と診断。1歳2カ月までに4回もの手術を乗り越え、保育園に通えるまでに成長【体験談】
愛知県の保育園に通う山口紗楽(さら)ちゃん(5歳)は、母親の郁江さん(38歳)、父親の周平さん(40歳)、兄の泰楽(たいら)くん(8歳)、と祖母の5人家族。紗楽ちゃんは生まれてすぐに肛門が開いていないことがわかり、消化管ストーマ(人工肛門)を作る手術をし、染色体検査でダウン症候群(以下ダウン症)と診断されました。紗楽ちゃんの鎖肛(さこう)の手術のことや、障害のある子の支援についてなど、母親の郁江さんに聞きました。全3回のインタビューの2回目です。
鎖肛のために1歳2カ月までに4回の手術を受けることに
2018年7月に生まれた紗楽ちゃんは、生後すぐにダウン症に合併することが多い「鎖肛(直腸肛門奇形)」があるとわかりました。鎖肛とは、生まれつき肛門がうまく作られなかった先天性の病気で、数千人に1人くらいの割合で発生し、消化管の先天的異常の中で最も多いといわれています。
「娘は生まれたあとすぐに消化管ストーマ(人工肛門)をつける手術をしました。一時的におなかの皮膚から腸の一部を出す手術です。そこにパウチを取りつけてガスやうんちを排出できるようになると、母乳やミルクを飲めるようになります。そのときは『手術をすれば治るのかな』と軽く考えていたのですが、手術後の先生からの話では、鎖肛はストーマを作って終わりではなく、体重が6kgを超えたら肛門を作る手術をすること、肛門からうんちを出す練習をしてからストーマを閉じる手術をすること、全部で3回の手術が必要だとの説明でした」(郁江さん)
さらに、紗楽ちゃんの体がやわらかいことから染色体異常の可能性があり、検査を受けることに。紗楽ちゃんは、手術後にNICUに約1カ月、GCUに1週間ほど入院となり、退院する少し前には染色体検査の結果、ダウン症候群標準型と確定診断が下りました。紗楽ちゃんは退院後もフォローアップ外来で成長発達をずっとみていく必要があり、さらに鎖肛の経過観察のための通院も必要でした。
「鎖肛は、肛門の穴が開いていないだけでなく、本来なら肛門につながっている直腸が短い状態にもなっています。娘の場合は『高位鎖肛』といって大腸が恥骨くらいまでしかない状態。鎖肛の中でもあまり状態がよくないタイプだったらしいです。
2回目の手術は2019年の3月、娘が生後8カ月で体重が6kgを超えたころです。そのときには、肛門を作り、さらに大腸をその肛門まで下ろす手術をしました。うねうね動く小腸と違って、大腸はおなかの壁にくっついているそうなんです。通常より短い大腸を肛門の位置まで下ろすには、大腸周辺の細い血管も1つずつはがしてさらにくっつけるという、大変な手術なのだそうです。手術時間は12時間にも及びました。
ところが2回目の手術のあと、肛門まで下ろした大腸の動きがよくなく、腸閉塞を起こしてしまったために同じ手術をやり直すことになってしまいました。それが2019年の6月。1歳の誕生日の直前でした」(郁江さん)
3回目の手術では、動きのよくない大腸を切除して、再度大腸を肛門まで下ろす手術になりました。3回目の手術は成功し、肛門からうんちが出るようになったため、2019年9月、紗楽ちゃん1歳2カ月で4回目の手術を行い、おなかに作ったストーマを閉じました。
「1歳2カ月でストーマを閉じたあとは、1日1回、浣腸をしておむつにうんちをしています。なかなか便意コントロールが難しい状況です。2回目に肛門を作る手術をしたときに、先生からは『鎖肛は長い戦いになります。小学校に上がってもおむつは取れないでしょう』と言われていました。小学校高学年になってもおむつが取れないようなら、本人の排泄のしやすさによって、その後ずっと人工肛門にする可能性もある、とも聞きました。娘の大腸は、今も標準の子の半分くらいしかない状態です。成長とともに大腸も大きくなっていくので、経過観察のために今も3カ月に1回、外科を受診しています。
また、娘は生まれたときに鎖肛以外にも、心房中隔欠損症(しんぼうちゅうかくけっそんしょう)といって心臓に穴が開いている症状と、動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)もありましたが、いずれも2歳までに自然に閉じてくれ、手術は必要なくすみました。心臓の状況は今も年に1回検査してもらっています」(郁江さん)
紗楽ちゃんの発達は年齢の半分のスピードで
ダウン症があり、その合併症の大変な手術を乗り越えてきた紗楽ちゃん。そんな紗楽ちゃんの子育てについて聞くと、郁江さんは「育てやすいことに驚いた」と言います。
「紗楽は寝ている時間も多いし、泣かないし本当に育てやすい子なんです。上の子の子育てでは、夜泣きがあったり、なかなか寝なかったり、という大変さを経験しているので、その違いに驚きました。ただ、ミルクを吸う力が弱いから、200mLのミルクを飲ませるのに1時間かかる、という大変さはありました。夜中の授乳が必要な時期には、起こしてミルクをあげる感じでした」
紗楽ちゃんは成長発達もゆっくりです。一般的にダウン症のある子は、実年齢の半分くらいのスピードで成長すると言われているそうです。
「出生体重は3205g、身長は53cmあったけれど、生後6カ月では、一般的な生後2〜3カ月の赤ちゃんくらいの大きさでした。娘の発達をサポートするため、訪問看護さんが毎日来てくれて、さらに週に1回訪問の理学療法士さんが来て運動リハビリもしてくれていました。それでもやはり首のすわりも遅く、おすわりができたのは1歳半のころ。歩き始めたのは2歳半。発語も遅く、5歳の今は『ママ、パパ、たいら』と家族を呼ぶときははっきり言えますし、単語も話しますが、2語文にはならない感じです。
赤ちゃんの時期が長いような感じなので、娘のことがかわいくてたまらないです。どこへ連れて行っても『かわいいね』と言ってもらえるし、上の子もとても娘をかわいがってくれています」(郁江さん)
自分で探して申請しないと支援にたどりつかない厳しさ
郁江さんがダウン症のある子を育てる中で実感したのは、「日本の福祉支援は申請主義なんだな」ということでした。
「生まれてすぐに人工肛門を作る手術をした娘の、毎日の排泄に必要になるパウチも費用は自費でした。慢性疾患がある子にかかる費用に対してどんな支援があるのか、当時は全然知りませんでした。そこで役所に通って、娘の状況で利用できる助成金があるかどうかを窓口の人に聞きました。始めは『わからない』と言われてしまったものの食い下がって4回通って、やっと小児慢性特定疾病の医療費助成があることを知りました。
どんな支援があるのか、その支援を受けるにはどんな手続きが必要なのか、どこの窓口に行ったらいいのか・・・そういった情報を教えてくれる人が見つからず、自分でネットや口コミで調べるほかありませんでした。ネットなどで支援を見つけて行政の窓口に行って申請できるか問い合わせても、お金の支援に関してはかなりシビアな対応をされることが多いとも感じました」(郁江さん)
郁江さんは、紗楽ちゃんの育児に関する情報を集め、発達のサポートを受けるために、障害児サークルに参加したり、療育センターにも通いました。
「娘が1歳半くらいのとき、療育センターの親子教室に月1回通っていました。また、地域の障害児サークルにも参加し、そこで児童発達支援所(以下・児発)のことも教えてもらいました。児発では預かり保育があること、児発に入るには市区町村から交付される通所受給者証が必要なこと、通所受給者証を交付してもらうには、療育センターの相談員さんに計画書を書いてもらうとスムーズだということ、などを教えてもらいました。
障害児サークルで教えてもらったおかげで児発に入所することができ、2歳では親子で通い、3歳になってからはお迎えに来てもらって娘1人で児発に通うようになりました。
ハンディキャップを持って生まれた子を育てる場合、支援の受け方をだれかが教えてくれるわけでもなく、どうしても情報を探しにくい現状があります。自分の経験から、自治体ごとに障害児支援について包括的にサポートしてくれる人や部署、ガイドブックなどの必要性を強く感じています」(郁江さん)
【川井先生より】ハンディキャップを持つ子どもたちへの経済的な支援の課題
ハンディキャップを持って生まれた子に対する経済的な支援は自治体によって異なり、現状は家族主体で情報を探してもらうことが多く、適切な時期に適切な支援を受けられない場合もあります。障害の程度や家庭の状況次第では同じ病名でも受けられる支援が異なることもあり、子ども一人一人に合った支援を適切に受けられるためには、自治体と医療者が連携していく必要があります。ただ、自治体と医療者をつなぐための、子どもたちにかかわるソーシャルワーカーがたりておらず、そのことが経済的な支援が家族主体になる原因の一つだと思います。ハンディキャップをもつ家族が少しでも暮らしやすくするために、社会全体が動き出さなければいけないと感じています。
お話・写真提供/山口郁江さん 監修/川井有里先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
何回もの手術を乗り越えてきた紗楽ちゃん。4歳から現在までは、健常児の子たちと一緒の保育園に通えるほどに成長しました。いつもニコニコ、かわいい紗楽ちゃんは、保育園でもお友だちに大人気なのだそうです。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
川井有里先生(かわいゆり)
PROFILE
新生児科医。島根大学医学部卒業。藤田医科大学医学部小児科学新生児グループ所属。小児科専門医、周産期専門医。赤ちゃんたちが楽しく過ごせるように毎日病棟スタッフとともに試行錯誤しています。家庭では3人の子育てに奮闘しています!