皮膚がどんどんはがれおちる難病を抱えた息子。周囲の目が気になりうつむいていた私が、「この病気はうつりません」と笑顔で言えるまで【体験談・医師監修】
2016年12月、皮膚の難病「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」を抱えて産まれてきた濱口賀久くん(6歳)。治療法がなく、医師もわからないことが多い病気のため、母の結衣さん(36歳)は、毎日試行錯誤の連続です。0歳から3歳当時の賀久くんの様子や、育児中に感じたこと、実践したことを振り返ってもらいました。全4回のインタビューの2回目です。
退院後、周囲の目が気になり毎日うつむいて生活していた
2016年生まれの賀久くんは、胎児のときから皮膚がかたくなり、魚のうろこのように皮膚がはがれ落ちる難病「道化師様魚鱗癬」を抱えています。皮膚のバリア機能が働かず感染症のおそれがあるため、生まれてすぐNICUに入院していました。とはいえ、治療方法がなく、病院でも皮膚の乾燥を防ぐための保湿しかできません。生後3カ月で退院することになりました。
「生まれてからずっと離ればなれだったので、賀久と一緒に暮らせるようになったのはとてもうれしかったです。入院していた病院は市外だったため、退院翌日に、緊急時にかかる市内の病院へ、カルテを作るために向かいました。そのとき、現実の厳しさを実感することになりました」(結衣さん)
皮膚の難病である道化師様魚鱗癬は、見た目にも大きく影響します。当時、賀久くんの皮膚は真っ赤で、髪の毛も眉毛も生えていませんでした。足もかたい皮膚の影響で変形があり、骨は指5本分あっても、皮膚がつながっていて指がないような状態です。
「『見られるのは当たり前』とわかっていても、周囲の視線にさらされ、『かわいそう。やけどしたのかな?』『うつらないの?』という声がつらかったです。
病気を受け入れ、賀久を守ろうと決意したはずなのに、その思いはあっけなく崩れ去りました。どうしてこんなに好奇の目で見られないといけないんだろうと、悲しさと苦しさで泣きそうでした。その後、予防接種や1週間健診で病院に行くたびに賀久を抱きしめて、目立たないよう、下を向いてじっとしていました」(結衣さん)
つらい思いを夫にぶつけて気づいたこと。息子を守っているつもりで、自分を守っていた
表向きは平気な顔をしていた結衣さんですが、内心はつらい思いでいっぱいでした。あるとき、我慢が限界まできた結衣さんは、心配した夫の陽平さんに泣きながら、ありったけの思いを声に出してぶつけました。
「すると夫は『つらいのは結衣だけじゃないんだよ。1人で抱えず、なんでも話して。僕たちだったら絶対笑って過ごせるはず』と言ってくれました。ずっとためこんでいた思いを吐き出して少し肩の力が抜け、夫の言葉にとても励まされました。
賀久は頑張って生き続けようとしてくれています。それなのに、私だけが悲劇のヒロインになっていたと気づきました。私は賀久を守っているつもりだったけれど、方法を間違えていました。実際は、私自身を守ろうとしていたんです」(結衣さん)
行動を変えたら、周囲も変わった。「この病気はうつりません」と笑顔で言えるようになった
改めて、賀久くんを守ろうと決意を新たにした結衣さんは、小さなところから行動を変えることにしました。
「外出時には下を向かないようにして、賀久と一緒に家にいるときと同じように、自然に行動することを心がけました。賀久に話しかけながらお散歩などをするうちに、私自身の気持ちもやわらぎましたし、周囲の反応も少しずつ変わっていきました。
以前は遠巻きに見ていた人たちも、『どうしたの?』と話しかけてくれるようになりました。そして、病気について説明できる機会も増えていきました。私も自分から『うつりませんよ』と笑顔で言えるようにもなりました」(結衣さん)
病気だからと甘えるのではなく、ちゃんと行動で示すようにも心がけました。
「予防接種などのために病院に行く際などは、皮膚がなるべく落ちないよう、保湿のためワセリンはしっかり塗りました。それでも皮膚がはがれ落ち、ワセリンも椅子についてしまうので、コロコロ粘着テープやバスタオルは常に持ち歩くようにしました。
その場を離れるときは、椅子についたワセリンはきれいにふき、落ちた皮膚は粘着テープで取るようにしました」(結衣さん)
ちょっとした風邪でも即入院に。0歳から1歳まで、試行錯誤の連続。
皮膚のバリア機能が極端に低い賀久くんは、一般の人にとってはなんでもないような風邪も、即入院となってしまいます。
「0歳から1歳まではほぼ毎月のように入院をしていました。風邪をひいただけでも1週間くらい入院する必要があります。ブドウ球菌感染症などの感染症を起こしたときは2カ月半くらい入院しました。感染症の原因はわからないのですが、賀久の場合はバリア機能が非常に低いため、健康な人の身体に日常的に存在する常在菌でも感染症を起こす可能性がありました。
現在、賀久は6歳ですが、成長するにつれ、少しずつ感染症にかかる率も減ってきています。幼稚園に通い出してから現在にいたるまでは、1度も入院することなく過ごせています」(濱口さん)
皮膚の影響で足の指がくっついているため、1歳4カ月で足の親指を作る外科手術を
賀久くんは、首がすわるのは平均的な時期でしたが、おすわりやつかまり立ちはとてもゆっくりペースだったといいます。生まれたときはかたい皮膚のせいで足の指がくっついている状態でした。足の親指がないと立つのが難しいため1歳4カ月で親指を作る手術を行いました。
「そのときは左足だけ手術をしました。右足もくっついてはいますが、親指としての機能ができていたので手術の必要はないとの判断でした。最初は、皮膚がかたいせいで足も変形があり、両足のくるぶしで立っている状態になっていました。足の裏が外を向き、後ろから見るとエックスの形になっていました。最初は足先からひざくらいまである装具を付け、正しい形で歩くためのリハビリも通っていました。6歳になった現在も、リハビリには通っています」(濱口さん)
皮膚にエネルギーをとられるため、1日4~6食分に加えおやつやフルーツも
次から次へと作られる皮膚のためにエネルギーが必要なため、賀久くんはたくさんの量の食事をとる必要があります。離乳食のときから1日4~6食、それに加え、おやつやフルーツもたくさん食べています。
「ミルクを飲んでいたころは、夜中に2時間半~3時間ごとに起きて飲んでいました。幼児食や大人と同じような食事をするようになってからも、普通なら超肥満になるほどの量を食べています。主治医からは、『内臓には負担はかかっていないので、好きなだけ食べさせて大丈夫』と言われています。
情報が少ない難病で、正解がなんなのかもわからないので、これでいいのか不安な部分もあります。でも主治医からも『賀久くんは一般的な概念に当てはめず、お母さん・お父さんがいいと思ったことを試してください』と言われています。だから、寝る前に果物を食べるなど、一般的には太りやすいといわれている方法をとっています」(結衣さん)
指先を使うことや立ったり歩いたりするのが苦手な賀久くんのため、結衣さんは食べるときも自然にリハビリになるよう工夫をしました。
「さあ、リハビリをするぞ!と気合を入れると飽きるし、面倒になってしまうので、生活のなかで自然とリハビリができる方法を考えました。
おやつのときは、最初は大きめのボウロをつかみ食べさせ、だんだん小さくしてみて、指先を上手に使う練習につなげたり、背伸びをしないと取れない位置におやつを置き、背伸びをして足先のリハビリをしてみたりするなどです。
もともと私は保育士をしていて、子ども一人一人の状態を見て、どうしたら楽しんでもらえるか、成長をうながすにはどんなことが必要かを考えるのが好きでした。当時の経験が役に立っていると思います」(濱口さん)
皮膚の状態をよくするため、朝と夜の入浴が必要
賀久くんの皮膚は、汗をかくことができません。暑い時期や少し運動しただけでも、あっという間に体温が上がってしまいます。
「汗をかけない賀久の体は、汗をかくことで体温調節をすることができず、環境によってすぐに体温が上がってしまいます。体温が38度以上になるとぐったりしてしまうので、休憩をとったり、身体を冷やしたりするなどの対応も必要です。
また、賀久の皮膚はどんどん作られていきます。作られすぎたものはかたくなり、はがす必要があります。状態を少しでもよく保つため、朝と夜のていねいな入浴は欠かせません。水道水に入っている塩素も刺激になるため、入浴時のお湯には塩素を除去する入浴剤を入れています。以前は私が一緒におふろに入っていましたが、最近は賀久が1人で鼻歌を歌いながら入浴して、皮膚の手入れもしています。
皮膚の乾燥をふせぐため、体中にワセリンをしっかり塗ることも大切です。ただ、使っていくうちにワセリンだけだと皮膚呼吸ができず、熱がこもって赤くなり、かゆみにつながることもわかってきました。保湿剤も賀久に合うものはどれなのかいろいろ探しました。いくつも試してみて、今はいちばんよかった少量でも4000円くらいするものを使っています。4~5日くらいでなくなってしまうので、ワセリンと混ぜてかさ増しをして使っています。
これだけ対応をしても、かゆみは防げません。かゆみで夜中に何度も目を覚ますこともあります。まだ我慢できる年齢ではないので、かきすぎて血まみれになってしまうこともあります。保湿や入浴などのケアをしっかりすることが大切なんです」(結衣さん)
今後、賀久くんの病気が成長にどんな影響をもたらすかわかりません。それでも、結衣さんたちは前向きに病気と向き合っています。
「賀久はいつも愛嬌を振りまき、ニコニコしている子です私たち家族は、賀久が暮らしやすい環境を作り、元気に過ごせるようにしていきたいと思います」(結衣さん)
お話・写真提供/濱口結衣さん 監修/小川昌宏先生 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
【小川先生より】NICU退院後、家族の献身的な育児で
NICU退院後も家族による毎日の献身的な育児によって賀久くんは立派に成長されています。皮膚の難病である賀久くんが日常を快適に過ごせるよう見守ることは並大抵ではありません。一つ一つ真摯(しんし)に取り組まれている姿勢に頭が下がる思いです。
見た目に影響する病気のため、最初は人の視線が気になったという結衣さんの話には胸が痛みます。それでも、夫婦で前を向き、愛情をこめて賀久くんの成長を見守る姿は、多くの人の共感を呼んでいるはずです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
小川昌宏先生(おがわまさひろ)
PROFILE
小児科医。国立病院機構三重中央医療センター臨床研究部長。日本小児科学会専門医。滋賀県出身。三重大学医学部卒業、旧国立津病院の研修医を経て、三重県内の小児科で活躍。現在は国立病院機構三重中央医療センターで小児病棟とフォローアップ外来を担当。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
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