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出産時のアクシデントにより重度の脳性まひで生まれた息子。たくさんのチューブに繋がれ微笑む姿に「かわいい」と涙が

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海成くんの写真

岡山県総社市在住の佐薙(さなぎ)幸一さんは、妻と長男、双子の二男と長女の5人家族。長男の海成くん(5歳)は出産時のアクシデントにより重症新生児仮死の状態で生まれ、重度の脳性まひに。現在もほぼ寝たきりで、24時間つきっきりのケアが必要です。今回は佐薙さんに、海成くんの誕生時のエピソードや症状、退院後の生活について話を聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

順調な妊婦生活から一転、緊急帝王切開で出産

出産直前まで、“きっと元気で生まれてくるだろう…”そう信じて疑わなかったと話す佐薙さんは、海成くんが誕生した2018年1月31日のことを振り返ります。

日商簿記検定1級を持ち、企業の総務や経理で働いていた佐薙さんは、元看護師で、養護教諭をしていた妻・直子さんと結婚。妊娠の経過は母子ともに良好でしたが、後期に入って妊娠高血圧症候群になり、誘発分娩のため直子さんは入院することに。佐薙さんも出産の前々日から、直子さんと一緒に病院に泊まっていたそうです。

「出産当日は、陣痛で苦しんでいる妻が少しでも楽になるように、必死に腰をさすっていました。午後になり痛みが和らいできたことから、妻と二人で出産後に提出する書類の確認などをしていたんです。

すると突然、助産師さんらがあわてた様子で病室に入ってきて、『ちょっと赤ちゃんが危ない状況だから』と、一瞬のうちに妻が手術室へ運ばれてしまったんです。何が起こったのかまったくわからない状況でしたが、『これはただごとではない』という胸騒ぎがしました」(佐薙さん)

その後、病室で待機していた佐薙さんは、看護師から緊急帝王切開を行うことになったと知らされましたが、その時は「大丈夫だからね」と声をかけてもらったそう。その言葉に安堵した佐薙さんは、「本当に大丈夫なのか…」と、とにかく心を落ち着かせるように努めたと話します。

絶望のどん底に突き落とされた、医師からのつらい宣告

海成くんの写真
たくさんの管につながれた、NICUに入院中の海成くん。

出産後、我が子との対面も果たせないまま、直子さんも病室に戻ってきました。そして1時間ほど経過した頃、たくさんの先生方が病室を埋め尽くすように、ぞろぞろと入ってきたそうです。

「先生から、『重症新生児仮死の状態で生まれて心臓マッサージで蘇生したが、脳に深刻なダメージを受けている可能性が高い』と告げられ、さらに今現在も、とても危険な状態だと言われました。それを聞いた瞬間、私たち夫婦は一気にどん底へ突き落されたんです。

その後、NICU(新生児集中治療室)で初めて息子と対面しました。たくさんのチューブが繋がれていて苦しそうなのに、なんだか口元は笑っているように見えて、純粋に『かわいい』と思いましたね。しかし、さまざまな感情が入り混じっていて、大人になってから泣いたことなんてなかったのですが、このとき初めて、感情を抑えきれなくなりボロボロと泣いてしまいました。

数日後の検査では、脳波がほとんどフラットで、このまま目を覚まさない可能性が高いと宣告され、そのときは本当に目の前が真っ暗になりました。気がついたときには、病室の廊下で妻と一緒に泣いていました」(佐薙さん)

計り知れないほど大きなショックと深い悲しみを受けた佐薙さん夫婦は、祈るような気持ちで厳しい病状と闘う海成くんを見守ります。

「出産当日に脳に深刻なダメージを受けていることは分かっていたので、ある程度は覚悟していましたが、目を覚ましても重度の脳性まひになると改めて先生から説明を受けると、この先どうやって生活していけばいいのだろうと混乱してしまいました。

特に妻は元看護師ですから、その時点で息子が今後どういう人生を歩むことになるか理解していたと思います。きっと私以上に、とても大きいショックを受けていたのだろうと想像できますし、その時の気持ちはどんなに辛かっただろうと考えてしまいます。

息子の障がいについて、特に面と向かって話し合いをすることはありませんでした。けれど、“夫婦で頑張って息子を育てていこう”、その気持ちは同じだったと思います」(佐薙さん)

ご夫婦の願いと海成くんの頑張り、そして医療スタッフの治療の甲斐もあり、海成くんは奇跡的に目を覚ますまでに回復。ウエスト症候群(乳児期に発症するてんかん性脳症)と難聴の合併が判明しますが、人工呼吸器も外れ、2カ月になった海成くんは晴れて退院することができました。

24時間つきっきりの介護生活がスタート

海成くんの写真
退院後の海成くん。

入院中から、できるだけ早く家に帰してあげたいという思いが強かったご夫婦は、状態が落ち着くと同時に退院を希望。海成くんが生後2カ月の時から、自宅での育児と医療的ケアがはじまりました。

「海成は、床の上に置くと体を反り返し、全身を強張らせながら泣き叫んでしまうため、起きている間は常に、妻か私が交替で抱っこをして過ごします。それに加えて、数分に1度はたんの吸引が必要なので、日中は抱っこをしながら吸引を繰り返すといった状態です。また、中耳炎にもなりやすいので、こまめな吸引が欠かせません。夜は催眠剤を注入して、1時間くらいかけてゆっくりと寝かせます。ですが、深夜に何度もモニターのアラームが鳴ったり、体調が悪いときは酸素を吸入したりすることもあり、24時間目は離せませんし、ほかにも細かいケアがたくさんあります。

退院したての頃は、平日の日中は私が仕事に行ってしまうため、妻が一人でこれらのケアをしてくれていました。まだ母乳が必要な時期だったので、通常のケアに加えて、搾乳の時間を確保しなければならず、乳児期の妻の負担感は相当なものでした」(佐薙さん)

実は海成くんが入院中も、直子さんはミルクを注入するために母乳を絞り、片道1時間半かけて、毎日病院に通っていたそう。仕事が休みの週末は佐薙さんも通院や介護に携わっていましたが、大人の手が2人分あっても大変な日々だったと語ります。

一晩じゅう抱っこしたままで、朝を迎えたことも

海成くんの写真
抱っこされてご機嫌の海成くん。

「ある時、私が海成と一緒に寝ていたときに、深夜に海成が覚醒してしまい、追加で催眠剤を注入しても、まったく寝ずにそのまま朝を迎えたことがありました。海成を抱きかかえながら一睡もできず、徐々に昇る陽の光を浴びながら、『また朝がはじまってしまった…』と途方に暮れました。あの何とも言えない虚無感は、生涯、忘れられません」(佐薙さん)

まさに24時間つきっきりの育児と介護を、佐薙さん夫婦は協力し合い行ってきました。そして月日は流れ、海成くんが3歳になる年、佐薙家に待望の双子が誕生します。次は、海成くんに弟と妹が誕生し、重症心身障害児を対象としたデイサービスを開設するまでのお話を聞きます。

写真提供/佐薙幸一さん、取材・文/佐藤文子、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年10月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール>
佐薙幸一さん
一般社団法人KaiKai代表理事。出産時のトラブルで24時間介護が必要な重い障がいを持つ長男と下の双子の兄妹を育てるなかで、重症心身障害児を対象としたデイサービス『多機能型事業所LaLa』を2022年9月に岡山県総社市に開設。重い障がいのある子どもを安心して預けられる場所、子どもと家族が笑顔で過ごせる場所を総社市に創りたいと考えている。

『多機能型事業所LaLa』の公式サイトはこちら。

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