24時間ケアが必要な脳性まひの長男と双子の兄妹の育児に奮闘!“家族の幸せ”を願い脱サラした父が築く、重症心身障がい者施設の未来
岡山県総社市在住の佐薙(さなぎ)幸一さんは、妻と長男、双子の二男と長女の5人家族。長男の海成くん(5歳)は出産時のアクシデントにより重症新生児仮死の状態で生まれ、重度の脳性まひに。現在もほぼ寝たきりで、24時間つきっきりのケアが必要です。今回は佐薙さんに、双子が生まれてからの生活の変化のこと、また重症心身障害児を対象としたデイサービスの運営についてお聞きしました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
双子誕生!1年間の育児休業を取得し5人での生活をスタート
海成くんは出生時のアクシデントにより、重度の脳性まひにウエスト症候群(乳児期に発症するてんかん性脳症)と難聴を合併しています。床に置くと体を反り返し、全身を強張らせながら泣き叫ぶため、日中は佐薙さんか妻・直子さんが抱っこをして過ごすそう。加えて、数分に1度はたんの吸引をしなくてはならず、海成くんが夜眠るまではつきっきりでケアをしています。
そうしたなか、海成くんが3歳になる年、佐薙家にうれしい出来事がありました。
「第2子を望んでいたのですが、まさか双子ができるとは思っていなかったのでビックリすると同時にすごくうれしくて。妻は海成を帝王切開で産んでいますし、さらに双子の出産はハイリスクだと聞いていたので、その点は怖かったですが、無事に元気な男の子と女の子の双子を出産しました」(佐薙さん)
双子誕生後は、佐薙さんも1年間の育児休業を取得。一人は海成くんのケア、もう一人は双子の育児をし、疲れたら役割を交替するという生活がはじまりました。
「双子の育児は大変だと聞いていましたが、個人的な感覚だと、双子を育てるよりも、海成1人の介護の方が何倍も大変でした。どうしても、海成の抱っこを優先せざるを得ないので、膝の上に海成を抱きかかえながら、両手で双子にミルクをあげたりもしていましたね。こんな感じで、介護と育児を両立できる場面も意外と多かったです。
自分たちなりに工夫をしながら、妻と2人体制で子どもたちをサポートできる育休期間中は、『もう限界』などと感じることは、実は1度もありませんでした。でも、私が仕事に復帰してしまって、妻1人が3人の子どもたちを見るというのは、やはり物理的に不可能だとも思いましたね」(佐薙さん)
海成くんが赤ちゃんの頃から、当たり前のように育児や介護をしてきた佐薙さんにとって、双子の育児が加わったことは負担ではなく、むしろ幸せが増えたと話します。しかしその一方で、自分が職場に復帰した後、直子さんがワンオペで3人の子どもの育児と介護をしなくてはいけないことには限界があるのかもしれない…という思いが強くなっていったと言います。
「なければ創ればいい!」重症児デイサービスを開所
そんなとき、佐薙さんが手に取ったのが、「全国重症児者デイサービス・ネットワーク」(以下、重デイネット)の前代表理事でもある、故鈴木由夫先生の著書『なければ創ればいい!重症児デイからはじめよう!』という1冊の本でした。
「この本には、重い障がいのある子どもたちのために、自らの手で重症児デイサービスを開設し、逆境に立ち向かっていくお母さんたちの雄姿が描かれています。初めは、『自分なんかにできるわけがない』と思っていました。でも、何回も本を読み返していくうちに、『息子や、この地域に住む重い障がいがある子どもたちが日中を過ごすことのできる場所をつくって、それを自分の仕事にすればよいのではないか。総社市には、障がいを持つ子どもたちの預け先がなくて困っている人が他にもきっといるはずだ』という思いが芽生えたんです」(佐薙さん)
その後、発行元である重デイネットのサポートを受けたり、クラウドファンディングで支援を募ったりと、立ち上げ時に直面したさまざまな困難を乗り越え、2022年9月1日に重症児デイサービス『多機能型事業所LaLa』の開所に結び付けることができました。
「誰にも気兼ねしない時間ができた」と重症心身障害児を持つお母さんの声
佐薙さんが開設した『多機能型事業所LaLa』は、1日定員5人に対して、看護師、保育士、理学療法士などの各専門職が必ずマンツーマン以上で接するように職員を配置。絶対に子どもが1人になる時間がないよう、安全面でも徹底しています。
また、定期的に重症心身障害児の親の会(名称:LaLaテリア)を開催するほか、地域住民との交流事業として、同施設にあるスヌーズレンルーム(※)の体験会やミニコンサートなどを通じたインクルーシブな地域社会の創生を目指す活動を行っているそうです。
「家族が幸せになるためには、この道しかないと、思いきって脱サラをし、多くの方の支援や協力を得てLaLaを開設することができました。一生子どもを介護する生活を覚悟していた妻も、日中に時間ができたことで、数時間ですが働けるようになったんです。
重症心身障害児を持つ多くのお母さんやお父さんが、24時間365日つきっきりで介護をしています。そして、空いた時間で家事をし、きょうだい児(病気や障がいを抱えた兄弟姉妹をもつ子ども)の相手をし、夜もたびたび起きてケアをするなど、満足に睡眠をとることもできない生活を続けています。
そんな風に、お母さんやお父さんが重い負担、心労や疲労を抱えているという現実があるなか、LaLaを利用されたご家族から、『やっと、まとまった時間が取れるようになりました』、『誰にも気兼ねせず、美容院に行けました』といった声をいただき、とてもうれしかったです。
また毎月1回、ボランティアの方にミニコンサートを開いていただいているのですが、子どもたちや職員、演奏される方も含め、みんなが楽しんでいる姿を見て、本当に開設して良かったと思いました」(佐薙さん)
海成くんも開所からLaLaに通うようになり、きめ細やかなマンツーマン体制で、日中は療育活動を送っています。そして下の双子も保育園に通うようになり、家族それぞれの生活リズムが整うようになりました。
※「スヌーズレン」という言葉は、オランダ語の「スヌッフレン(くんくん匂いを嗅ぐ、という意味。環境内のいろいろな刺激の探索)」と「ドゥーズレン(うとうとする、という意味。くつろぎ)」という2つの言葉から創られた造語です。見る・聞く・触る・嗅ぐといった感覚を刺激するグッズを用いて「心身の緊張がほぐれる」「穏やかになる」「コミュニケーションがとりやすくなる」などの療法的効果を提供します。
障がいがあっても、双子と一緒にさまざまな経験を
現在、海成くんは5歳、下の双子は2歳8カ月になりました。双子が海成くんに寄り添い一緒に遊んだり、妹が海成くんの胸に聴診器をあてて、お医者さんごっこをしたりと、微笑ましい光景も増えたそうです。佐薙さんは、訪問看護のない日曜日に、家族5人でお風呂に入る時間が、一番幸せを感じると言います。
「海成の命にかかわる医療的ケアに関すること以外は、障がいがあるからといって線引きせず、いろいろなことを経験してほしいと思っています。この夏も、家族で蒜山高原に行ってきました。ドライブが好きなので、家族と外出する時間が私のリフレッシュタイムにもなっていますね。
下の子どもたちには、『兄に障がいがあったから、自分の人生が変わってしまった。兄に障がいがあることによって、○○を我慢した』などと思うことがないように、海成と同じように愛情を注ぎ、のびのびと育っていって、自分の人生を歩んでもらうのが当面の目標です」(佐薙さん)
命が続く限り介護し続けたい…。親亡き後も考え、生活介護事業所設立を決意
来春から海成くんは小学生になり、特別支援学校に通う予定です。そして中学、高校と上がっていきますが、『多機能型事業所LaLa』は18歳までしか利用できません。
「18歳を超えてしまうと、特別支援学校も卒業になり、再び地域に居場所がないという状態になってしまいます。通常、18歳を超えると生活介護という通所サービスを利用することができますが、総社市にはまだ、重症心身障がい者や、医療的ケアが必要な方を専門に受け入れることができる施設がありません。ですから、次は 重症心身障がい者や、医療的ケアが必要な方専門の生活介護事業所をつくりたいと考えています。
下の双子が独立したあとも、私や妻の命が続く限りは、夫婦で海成を介護し続ける覚悟です。でも、親亡き後の生活も考えなくてはなりません。今はLaLaの運営で手一杯ですが、ゆくゆくは、親が亡くなったあとも、海成のような重症心身障がい者の方たちが安心して過ごせるような施設をつくりたいです」(佐薙さん)
海成くんが生涯、安心して過ごせる環境をつくることと、兄妹の双子がそれぞれの人生を切り開き歩んでくれることが何よりの望みだと話す佐薙さん。そんな環境が整ったら、夫婦二人で海外旅行をすることが最終目標だと教えてくれました。
写真提供/佐薙幸一さん、取材・文/佐藤文子、たまひよONLINE編集部
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年10月の情報で、現在と異なる場合があります。
<プロフィール>
佐薙幸一さん
一般社団法人KaiKai代表理事。出産時のトラブルで24時間介護が必要な重い障がいを持つ長男と下の双子の兄妹を育てるなかで、重症心身障害児を対象としたデイサービス『多機能型事業所LaLa』を2022年9月に岡山県総社市に開設。重い障がいのある子どもを安心して預けられる場所、子どもと家族が笑顔で過ごせる場所を総社市に創りたいと考えている。