30年以上小児科医として子育てに寄り添ってきた母を見てきて・・・【若江恵利子先生×惠三先生 小児科医親子インタビュー】
育児雑誌『ひよこクラブ』の監修でおなじみの小児科医の若江恵利子先生。30年前の創刊時から、子育て中の読者の育児の悩みに向き合い、寄り添い続けています。また、小児科医の仕事をしながら長男と長女の2人の子どもを育て上げ、長男の惠三さんは同じく小児科医になりました。その惠三先生のもとに、ベビーが生まれるというニュースが舞い込んできました。親子2代で小児科医として活躍する2人が、ばあばに、そしてパパに! そんな2人にこれまでの歩みを振り返ってもらいました。
※取材は惠三先生の第1子が生まれる約1週間前に行いました。写真は取材後にもらったものです
ママ小児科医として『ひよこクラブ』の人気企画の数々を監修してきた若江恵利子先生
――若江恵利子先生は『ひよこクラブ』創刊時から約30年にわたり、記事内容の監修や、読者の困りごとへのアドバイスなどをしています。
恵利子先生(以下敬称略) 30年前、愛育病院の小児科で勤務していたとき、当時の上司に「あなた、これやってみない?」と言われたのが『ひよこクラブ』の取材の話でした。「育児パスポート」というタイトルの企画で、赤ちゃんのお世話のアドバイスをする内容です。最初は上司に依頼があったようですが、第1子を育児中の私に向いていると思ったのでしょうか、これが『ひよこクラブ』での初仕事です。
そのあと、連載企画の「赤ちゃんすくすく成長日記」の監修の依頼をもらいました。ほかに有名な先生がたくさんいるのに、一介の小児科医である私にいろいろと仕事の話をくれたことに本当に感謝しています。
――小児科医としての専門的な指導はもちろん、ママとして読者に近い目線からのアドバイスをくれることが、とても好評でした。子育ての思い出はありますか。
恵利子 愛育病院に入る前は大学病院のNICU(新生児集中治療室)に勤務していて、そのとき息子を妊娠・出産しました。惠三は2カ月のときから保育園に預け、NICUには惠三が2歳まで勤務しました。愛育病院に移ったあとも、惠三は引き続き同じ保育園に通っていたのよね。
惠三先生(以下敬称略) 保育園でのお迎えはいつも自分が最後で、積み木などおもちゃで遊びながら母のお迎えを待っていたことを覚えています。「ごめんね、遅くなって」とお迎えに来てくれた母の顔を見ると本当に安心したし、一緒の帰り道がとても楽しかったです。
恵利子 今日はバスで帰ろうか、電車で帰ろうか、とか話しながらね。商店街によっておもちゃを見たり、スーパーに寄ったり。うっかり重い果物なんか買っちゃったあとに「抱っこ」って言われたこともあったわね(笑)。忙しかったしハードだったけれど、今から思えば本当にいい思い出ですし、惠三を抱っこしたりおんぶしたりした感触は今もよく覚えています。
だから今、私のクリニックに来るママたちには、子どもはみんないずれ離れるんだから、忙しいでしょうけれど今はいっぱい抱っこしたりおんぶしたりしてあげてね、ってよく言っているんです。
――恵利子先生も子育てに悩むということはあったのでしょうか。
恵利子 もちろんです。私のアドバイスがママ目線に近い、と言ってもらいましたが、それはきっと私自身も子育てに試行錯誤していたからだと思います。惠三は夜泣きがありましたし、1歳を過ぎたら小食で。惠三の10歳下の娘も言葉やおむつはずれが遅めで心配したものです。みなさんが抱える子育ての悩みは、ひと通り経験しているのではないかと思います。
小児科医になってから「お母さん、たまひよに出ているよね」とほかの医師に言われて
――恵利子先生の仕事ぶりを見て惠三先生はどのように感じていましたか。
惠三 小学校入学と同時に母の実家である栃木県に引っ越ししました。母は自宅と隣接したクリニックで仕事をしていましたが、自宅とは別棟だったので診察の様子などを見ることはできませんでした。でも、毎日夜遅く帰ってきて、大変そうだな、とは思っていました。
母が『ひよこクラブ』の仕事をしていることも知っていましたし、自宅にいつも『ひよこクラブ』がありましたが、正直言って男子学生だった自分には身近とはいえない内容だったので(笑)、読むことはありませんでしたね。編集部の方がクリニックや自宅に取材に来ることもありましたが、特別なことではなく母の仕事の一つとして自然に見ていました。
でも、小児科医になってから「『たまひよ』に出ている若江先生って、若江くんのお母さんだよね?」とほかの小児科医に言われたことがあります。「あ、母は有名なのかな」と感じました。
――今は共働きが増えてきていますが、恵利子先生が子育て真っ最中のころは女性が働くこと、医師として働くことはいろいろ大変だったと思います。これまでの道をどのように切りひらいてきたのでしょうか。
恵利子 仕事と子育てを両立する大変さというのは、医師だけでなく、どの職業でも同じだと思います。仕事が終わってからの流れは、保育園に子どもを迎えに行き、ごはんを食べさせておふろ、寝かしつけという感じですよね。医師は診察以外にも論文を書くとか学会発表をするとかいろいろな仕事がありますが、そういった仕事は子どもを寝かしつけて家事もひと通り済ませたあとにやっていました。働く母親は今ほど多くなかったですが、みんな自分の睡眠時間を削る覚悟で向き合っていたのではないかと思います。働く母親が増えた今、どれほどその状況が変わっているでしょうか。さすがに以前よりは働き方改革、ワークライフバランスなどの考え方が広まっているとは思いますが、働く母親の負担はまだ大きいのではないでしょうか。
いちばん大変なのは夕食づくりだと思います。だから、平日はお総菜や市販の弁当などにどんどん頼ってもいいのではないかと思っています。でも、休日などの時間がある日は、家族の手料理で食卓を囲むことができるといいですね。私も、平日は母にお願いすることがありましたが休日はなるべく自分で料理をするようにしていました。子どもが何かで「好きな食べ物は?」と聞かれたときコンビニの総菜や外食のメニューではなく、できれば手料理を答えてもらえるとうれしいですよね。
母と同じ小児科医を志した惠三先生。そして今度はパパに
――恵利子先生と惠三先生はどういう経緯で小児科医を志したのでしょうか。
恵利子 もともと医師をめざしていて、医学部の6年生のとき、実習の授業で小児病棟をまわったとき、病気で苦しんでいる赤ちゃんを見ました。母親から離れて、こんなに小さな赤ちゃんが病気と懸命に闘っている姿に非常に心を打たれて。病気と闘う子どもたちを救う仕事がしたい、と思ったのがきっかけです。
惠三 私は外科医の祖父、整形外科医の父、小児科医の母を見て育ち、いちばん身近にあるのが医師という職業でした。小学3年生のころには、医師になりたいと作文に書いたことを覚えています。
医学部を卒業して国家試験に受かり医師になると、まずは2年間初期研修というものを受けて自分の専門を選ぶのですが、いろいろな科を経験するなかで小児科の仕事は病気に対して長期で見ていくところにやりがいを感じました。子どもが成長していく姿を見られるところもいいと思いますし、ゆっくり、じっくり向き合えるのが自分に合っていると感じたからです。
恵利子 惠三にはいつも忙しい姿を見せていて寂しい思いをさせてしまったこともあると思います。忙しい医師の仕事は選ばないかな、と思っていたので惠三が小児科を選んだときは、心の中で「やった!」とガッツポーズしました(笑)。いつか一緒に仕事ができればいいな・・・、と思っています。
お話/若江恵利子先生・若江惠三先生 取材・文/岩﨑緑、たまひよONLINE編集部
ママ小児科医として『ひよこクラブ』や「たまひよONLINE」でたくさんのアドバイスをしてくれる若江恵利子先生も、自身の育児に悩んだことがたくさんあったそうです。長男の惠三先生は小児科医の道へ、惠三先生と10歳離れている長女は、ミュージカルの勉強をしている学生だそうです。それぞれ個性に合った道を選ばれています。
●記事の内容は2023年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
若江恵利子(わかええりこ)先生
PROFILE
小児科医・医療法人恵徳会あさかクリニック理事長
東邦大学大森病院新生児科、愛育病院小児科を経て、栃木県で開業。長男も小児科医として活躍中。
若江惠三(わかえけいぞう)先生
PROFILE
小児科医・自治医科大学付属病院小児科
若江恵利子先生の長男。専門は小児神経。
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