2歳で全盲になった長男。数々のミュージシャンとも共演!24時間テレビやパラリンピック閉会式出演で感じたこと【全盲のドラマー体験談】
YouTubeに父の健太郎さん(46歳)が練習風景をアップしたのをきっかけに、多くのイベントで演奏しているドラマーの酒井響希さん(17歳)。日本テレビの24時間テレビや東京パラリンピック閉会式など、大きな舞台でも活躍しています。ドラムはもちろん、勉強やスポーツなども積極的に取り組む響希さんは、将来の進路を考える時期に差しかかっています。響希さんの活動を全力でサポートする父の健太郎さんと母の康子さん(46歳)、さまざまな人との出会いを経て、多くの経験を積んだ響希さんに、今後の夢などを聞きました。全4回のインタビューの4回目です。
父が軽い気持ちでYouTubeにアップしたドラムの練習風景が・・・
――現在、さまざまなイベントに出演している響希さん。きっかけはどんなことだったのでしょうか?
健太郎さん(以下敬称略) 響希が5歳のときに「銀河鉄道999」という曲の練習している様子を、たまたま携帯電話で撮影したんです。それを友人に見せたら「これはすごい。YouTubeで配信させてほしい」と言われました。私はYouTubeを見たことはあっても配信したことはなくて、やり方もわかりませんでした。
だから、軽い気持ちでその友人にアップしてもらったんです。すると、私の同級生や友人たちから反響があり、とても喜んでくれて、そして感動してくれました。
そのころ、私たちの住んでいる地域で積極的に講演会などを開いている視覚障害者の方がいました。その方が、「私の講演会でドラム演奏をしてくれませんか?」と声をかけてくれたんです。響希も人前でドラムを披露できると喜び、参加させてもらったところ、参加者の方から「よかったよ」とか「元気をもらったよ」と声をかけてもらえ、響希自身もやりがいを感じたようです。それから私がYouTubeで発信していこうと考えるようになりました。
YouTubeをきっかけに、いろんな場所で演奏させてもらうことやメディアで取り上げてもらう機会が増えていきました。SNSの影響力の大きさを感じます。YouTubeで配信していなかったら、現在のような形でいろんなイベントに参加することはなかったと思います。
24時間テレビではDef Tech、YOSHIKIとも共演
――これまで印象的だったイベントはありますか?
響希さん(以下敬称略) 2018年に出演した日本テレビの24時間テレビです。2013年、ミュージシャンのDef Techさんに会う機会があったのですが、「4年後、一緒に演奏しよう」と声をかけてもらいました。24時間テレビでは念願がかない、Def Techさんと共演できて、夢がかないました。
康子さん(以下敬称略) 私も24時間テレビが印象に残っています。X JAPANのYOSHIKIさんなど、もう2度と会えないのではないかという方にも会えました。演奏は生放送だったので、私たちは見守るしかなく、緊張しましたが本当に思い出深いです。
健太郎 響希が小学1年生でDef Techさんにお会いしたときに、「年齢は関係ない。ドラマーは少ないから日本を背負って立ってほしい。4歳からドラムを始めて、これだけドラムが好きなら、これからの伸びしろがどれだけあるか僕も期待している。きっと4年あればいける」とMicroさんが激励してくれました。その言葉が、響希が本気でドラムに取り組むきっかけになったと思います。毎日練習に励んでいたら本当に4年後、ゲストドラマーとしてDef Techさんのバックで演奏することができました。
東京2020パラリンピック閉会式にも出演。出演経験から得た思いを語り、弁論大会でも優勝
――東京2020パラリンピックの閉会式での演奏も話題になりました。
健太郎 パラリンピックはオーディションを受けました。書類審査、面接を受けて出演することができました。
響希 パラリンピックが日本で開催されると決まったときから、その舞台で演奏したいとずっと思っていて、それを実現できたのがすごくうれしかったです。パラリンピックの舞台に立っている人たちはみんな何かしらの障害を持っています。でも、だれも自分の障害を悲観的にとらえていなくて、一つの個性ととらえ、それを武器に変えて発信していく人ばかりだったのが印象的でした。
実は、閉会式では僕自身が「無意識の壁」を作っていることに気づきました。これまで自分と同じ視覚障害を持つ人とは普通に会っていましたが、それ以外の障害を持つ人とは接したことがなかったんです。だから、だれかと会うたびに「この人はどんな障害があるんだろう、どう接したらいいんだろう」と無意識のうちに考えていました。でも、僕が出会った人たちはこだわりなく、自分たちの障害の苦労話を笑って話し、みんなで一緒に食事をしていました。普段、健常者と障害者の壁がなくなってほしいと考えているのに、自分と違う障害を持つ人たちには壁を作っていると気づいたんです。
――2023年の夏に行われた「第91回全国盲学校弁論大会 全国大会」でも優勝されたと聞きました。
響希 先ほどお話した、パラリンピック閉会式で感じたことについて話しました。学校内でまず代表を決めたら、近畿地区大会で優勝しないと全国大会に出場できないんです。今回、初めて学校の代表になり、近畿地区大会で優勝し、勢いに乗って全国大会に出場したら優勝しました。
健太郎 弁論大会で話す内容は、点字で書きましたが、大会中は何も見ることができません。弁論の時間は7分間。その枠の中で全部暗記して、顔の表情なども意識して話していました。91回も続いている歴史のある弁論大会で優勝までできて響希も本当にうれしかったようですし、私たちも本当にびっくりしました。先生方も喜んでくれました。
将来はプロのドラマー?視覚支援学校の英語教諭?ドラムと勉強を両立する毎日
――響希さんの将来の夢を教えてください。
響希 二つあって、一つはプロのドラマーになることです。もう一つは、今通っている視覚支援学校の英語の先生になることです。英語が好きなので、大学受験に向けて勉強も頑張っています。英検2級も取りました。2023年の夏にはアメリカに10日間ほど短期留学しました。そこでもすごく大きな経験を得たと思います。
康子 視覚支援学校の教員になる場合、普通の英語の教員免許と、視覚支援学校の教員免許の二つを取得した上で、教員採用試験に臨む必要があります。だから、教員になるのも狭き門です。しかも、その二つの資格を同時に同じ学校で取得できる大学の数が少なく、全国でも数校しかありません。ドラムの練習もしたいから、下宿するとなると、防音の問題も出てくるし、練習時間も限られてしまいます。だから、自宅から通えるところを探しながら、受験勉強を始めています。
響希 受験勉強をするにしても、点字の「赤本」などがないので、勉強方法も自分で探さないといけないんです。YouTubeでおすすめの参考書を紹介している動画もありますが、そのなかの9割は点字の参考書はないです。英語の参考書はまだあるんですが、科学や数学は1冊あればいいほうです。点字図書館というところがあるのですが、そこで検索して参考書を探しています。視覚支援学校では、たくさんのことを学びました。僕も先生となって、後輩たちに僕が学んだことを伝えられたらいいなと思っています。
――さまざまなことに積極的に取り組んでいる響希さんにとって、ドラムはどんな存在ですか?
響希 たぶん目が見えていたらドラムには出会っていなかったと思います。人生を大きく変えてくれた、大切な存在です。僕にとっては、言葉よりもドラムを演奏したほうが気持ちを伝えられるんです。演奏によって、だれかを勇気づけられたり、元気になってくれたりしたら本当にうれしいです。
お話・写真提供/酒井健太郎さん、康子さん、響希さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
ドラムだけでなく、勉強や弁論大会など、何事も積極的に取り組む響希さん。その姿を見守る両親の健太郎さんと康子さんの明るさも印象的でした。ドラムに思いを乗せ、力強く演奏する響希さんは、明るい未来を切り開いていくに違いありません。
酒井響希さん(さかいひびき)
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2006年生まれ。両眼性網膜芽細胞腫(小児がん)により2歳で両目を摘出し全盲に。全盲となってから音に強い興味を持ち、4歳からドラムを習い始め、めきめきと上達。最近ではラジオ、テレビ出演、イベント出演等で活躍の場を広げている。