長男の病気をきっかけにNICUでのピアノコンサートを開催。病気や障害のある子と家族の心に音楽を届けたい【ピアニスト斎藤守也】
1台4手連弾のピアノデュオ「レ・フレール」としても活躍するピアニストの斎藤守也さん(50歳)。神奈川県立こども医療センターのNICUで毎年のようにコンサートを開催しています。きっかけは長男のNICUへの入院だったとか。病院での演奏活動への思いや、長男の子育てについてなど、話を聞きました。全2回のインタビューの1回目です。
神奈川こどもで演奏をするきっかけは、長男がNICU卒業生だったこと
――斎藤さんが神奈川県立こども医療センター(以下、神奈川こども)でピアノを弾き始めたきっかけを教えてください。
斎藤 僕の長男は生まれてすぐに、神奈川こどもの新生児集中治療室(NICU)に入院し、容態が落ち着いてからはハイケア病棟に移動し数カ月入院していました。息子には障害があるので退院後も定期的に通院しています。病院を受診したある日、ボランティアの人がロビーにあるグランドピアノを弾いているのを見かけました。その周囲でピアノの音を聴いている子どもたちはとってもうれしそうでした。
それまで僕はプロの音楽家として、チケットを買ってコンサートに来てくださるお客さんがいるのだから、ボランティアでピアノを演奏してはいけないんじゃないか、という考えがどこかにあったんです。だけど、神奈川こどものロビーでの光景を目にして、本当にそうだろうか、と今までの考えに少し疑問を持ちました。
「音楽が大好きな子どもたちがいて、そこにピアノがあって、ピアノが弾ける僕がいる、それなのになぜ僕が演奏しないんだ」と、演奏しない自分に対してものすごい違和感を感じたんです。
それで新生児科長である豊島勝昭先生に相談し、2016年8月に1階のロビーでのコンサートを開催。そして同年12月にはNICU病棟でクリスマスコンサートを開催しました。そこから現在まで、コロナ禍を除いて毎年のクリスマスコンサートと、夏休みや春休みも含め、のべ20回ほどの演奏会をしています。
豊島先生に「NICUでのコンサートは世界でも珍しい!」と言われたことを覚えています。
――どのような曲を演奏するのでしょうか?
斎藤 子どもが知っているジブリやディズニーの曲、アンパンマンなどアニメの曲や手遊び歌、それにクリスマスソングなど季節に合わせた曲や、オリジナル曲を演奏します。
毎回必ず演奏するのは、僕が息子が生まれたときに作曲した『LITTLE LIFE ~小さき花の詩』(アルバム『MONOLOGUE』収録曲)です。これはそれ以来ずっと僕の活動のテーマ曲にしています。
NICUの赤ちゃんの家族や医療スタッフの心に届く音楽を
――神奈川こどものNICUは2019年にリニューアルされたそうです。斎藤さんの息子さんが入院していた当時と比べて、雰囲気は変わっていますか?
斎藤 息子が入院していたのはリニューアル前で、いわゆる病院らしいちょっと無機質な雰囲気の部屋に保育器がずらっと並び、医療機器のアラームがピコピコ鳴るような緊張感がある場所でした。今は赤ちゃんと家族がゆっくり過ごせるスペースが十分に確保されていて、照明も暖かい雰囲気になっています。天井にスピーカーが内蔵されて癒しの音がずっと流れているんです。
NICUに子どもが入院していたことがある僕としては、NICUは赤ちゃんがすごく頑張って病気と闘っている場であって、その病気については先生に任せるしかない、だから、親がぜいたくやわがままを言ってる場合ではない、僕だけじゃなくて、NICUに赤ちゃんが入院している家族はみんなそんなふうに感じるのではないかと思います。
中には、何カ月もの入院に付き添う家族もいます。ずっとそばで付き添う間は、食事などの生活の時間も限られているし、心身ともに疲弊してしまうと思います。だから、今の神奈川こどものNICUのような暖かい雰囲気や過ごしやすい設備になって、家族をサポートすることも大切にしてくれるのは、親としては本当にありがたいことだと思います。
――そういうところで斎藤さんのピアノ演奏は、家族にとっても癒やしになるのではないかと感じます。NICUでの演奏の反響はどうですか?
斎藤 NICUに入院中の赤ちゃんにとっては生の音楽に触れるのが初めて。そういった瞬間に赤ちゃんと一緒に音楽を聴いている家族が笑顔になってくれることはうれしいですね。音楽が流れることで、入院中の赤ちゃんの家族の緊張がほぐれたらいいなと思って演奏しています。NICUでずっと赤ちゃんと一緒にいると疲れてしまうこともあると思うので、ちょっと気分転換するきっかけになってくれればうれしいです。
また、子どもや家族以上に、看護師や医師など医療スタッフの人たちがものすごく喜んでくれたことも印象的でした。とくにコロナ禍になって、医療従事者はプライベートで遊びにも行けない、友だちとも会えない、仕事と家との往復ばかりのようでした。
2020年は演奏会ができず、録画した演奏動画を病院にお渡しするだけでしたが、2021年のクリスマスに久しぶりに演奏をしたら、スタッフの方がピアノの演奏を聴いて泣いていました。その姿を見て、本当に大変だったんだろうな、と。だから患者さんや家族だけでなく、スタッフの方にも音楽を届けたい気持ちがあります。
2019年には新生児病棟に電子ピアノを寄付しました。そのピアノは毎週金曜日に開放時間があり、スタッフや患者さん家族が弾いてくれているようです。だれかがピアノを演奏して、NICUに少しでもおだやかな時間が流れれば、と思っています。
12歳でピアノを始めてプロに。異色のピアニストデビュー
――ピアニストとして活躍する斎藤さんですが、どんなふうに育てられて、どんな子どもでしたか。
斎藤 僕自身は、7人きょうだいの3番目の長男として育ちました。両親は自宅で塾講師をしていたんですが、僕は勉強がとっても苦手でした。両親も最初のころは「勉強しなさい」と言っていたんだけど、学校の勉強に全然ついていけなくて、算数の九九もできない僕を見て「守也はそういう子なんだね」と受け止めてくれ、「勉強しろ」とは言わなくなりました。
11歳で作曲を始め、12歳からピアノを習い始めて、中学を卒業後にルクセンブルクの音楽学校に進学しました。その音楽学校で僕はガーリー・ミューラー先生に師事しましたが、彼自身が17歳でピアノを始めてプロになって演奏活動をしている人でした。先生は「15歳なら全然遅くないから来なさい」と言ってくれました。練習嫌いだった僕に、ミューラー先生は、効率よく上達するピアノの練習方法を教えてくれ、励まし続けてくれました。
――ピアニストというと、幼少期から厳しい練習を積み重ねるイメージですが・・・?
斎藤 僕の場合は特殊だと思います(笑)。弟の圭土との「レ・フレール」として活動していると、僕らは音楽一家で、親が僕と圭土の才能を伸ばした、みたいなイメージを持たれるようなんですが、実は全然違います。「レ・フレール」もいわゆるクラシックピアノではないですし、1台4手連弾という今までにないスタイルでデビューしたので、すべてにおいて、いわゆるピアニストのレールを踏んでいないと思います。
音楽と電車が大好きな息子を育てて知ったこと
――斎藤さん自身が、息子さんの誕生や障害がある息子さんの育児で初めて知ったことはありますか?
斎藤 まず、神奈川こどものような、こどもの専門病院があることすら知りませんでした。僕は横須賀出身なので、神奈川こどものすぐ横にある高速道路をよく通るけれど、以前は通っていてもあんなに大規模な病院があることに気づきませんでした。
息子のおかげで神奈川こどものみなさんとかかわるようになり、さまざまな病気や障害を持って生きる人がいることを知り、ほかの障害のあるお子さんやその家族とも出会うことができました。それが、医療施設や社会福祉施設、特別支援学校などに演奏しに行くライフワークにもつながっています。さらに2018年からはバリアフリーコンサートのプロデュースもしています。息子が生まれてくれたからこそ、たくさんの出会いに恵まれたと思います。
――息子さんはパパの音楽を聴くとどんな様子ですか?
斎藤 息子は音楽がとっても大好きです。朝起きてすぐに音楽を流し始めて、寝る寸前まで聴いています。僕が休みの日は、僕を自宅のピアノ部屋に連れて行って「ピアノを弾いて」とせがむんです。リクエスト曲を弾いてあげると、テンションが上がって隣で大騒ぎして大変(笑)。僕が練習をしているときも、1時間くらいは隣でおとなしくピアノの音を聴いています。
息子は電車も大好きです。よく休日に駅に行ったり電車に乗ったりしています。コロナ禍のときは電車に乗れなくなって寂しそうにしていたので、僕が駅メロを弾いて「まもなく1番線に電車が参ります〜」ってアナウンスのモノマネをしてあげたんです。そしたら息子は大喜び。すっかりハマってしまって、今は20曲くらい駅メロを弾けます(笑)
――斎藤さんは、息子さんにどんなふうに育ってほしいですか?
斎藤 僕もそうだったように、子どもは親の思うようにはならないものだと思っています。僕が息子をどういうふうに育てたいということはありません。生きていてくれれば、ありのままの息子でいてくれればいいと思っています。
お話・写真提供/斎藤守也さん 写真提供/神奈川県立こども医療センター 豊島勝昭先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
「12歳でピアノを始めるまでは、音楽はいっさいやっていなくて、むしろ絵を描くことや工作することが好きだった」という斎藤さん。音楽の道に進むと決めてから、ありのままの自分を受け止めてくれた両親や恩師の応援が自信になったそうです。次回は医療機関などへの訪問演奏やバリアフリーコンサートを開催することへの思いについてです。
●記事の内容は2023年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
斎藤守也さん(さいとうもりや)
PROFILE
1973年生まれ。ピアニスト、作曲家。ルクセンブルク国立音楽学校ピアノ科をプルミエ・プリ(最優秀)で修了。2002年に弟・斎藤圭土と1台4手連弾ユニット「レ・フレール」を結成、デビュー後、世界各国でツアーを開催。2017年初ソロ・ピアノ・アルバム『MONOLOGUE』(Universal Music)を発表以降、ソロ活動も開始。舞台音楽をはじめ、メディアでの楽曲使用も多数。医療機関や社会福祉施設などでのコンサートをライフワークとし、2018年から自身がプロデューサーをつとめるバリアフリー・ピアノコンサート「小さき花の音楽会」を開催している。